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水牛だより

模索舎

水牛のCDを置いてくれるというので模索舎へ。
むかしと同じドアをくぐったのはいったい何年ぶりだろう。新宿や渋谷のどんなに品揃えのよい大型書店でも見ることのない、ミニコミ(自主流通出版)や少流通出版物が店内にあふれている。ミニコミの傾向はむかし(「水牛通信」を出していたころ)と同じではないし、AVの作品がふえているのは時代というもの。ときどき覗きに来ようと思う。『歌っておくれ、ビオレッタ——証言で綴るチリ・フォルクローレ歌手の生涯』(B・シュベールカソー、J・ロンドーニョ編著 新泉社 1988)を買った。ビオレッタ・パラはタペストリーを作るのにも熱中し、パリのルーブル美術館で展示会をおこなったほどだった。見てみたい。
# by suigyu21 | 2007-10-26 20:14 | Comments(0)

ルリユール

羽田野麻吏さんの工房をたずねて、ピシッとしていて、それはそれは美しい手製本(ルリユール)を見せていただく。いくつもの行程を経て、そのための時間をまとっているような、この世に一冊だけの本のたたずまいと手触り。青空文庫製本部を続けて、あるプロトタイプをつくってゆくためには、最高のできばえのものを見ることは必要だ。同じものをめざすのではなく、簡便なところにとどまる。でもその延長にあのルリユールがあることをいつも意識していよう。

日本では仮綴じの本というものは売られていない。手製本のために中身だけを作って売るのもアリかもしれないな、などと思う。
# by suigyu21 | 2007-10-18 23:25 | Comments(2)

秩序の原形を感じる

生まれてきて、なんとかおとなになって、そしてお酒を楽しめるようになってよかったな〜と思うことがある。たとえば吉田健一を読むときに。

「多くの人々の説とは反対に、酒は我々を現実から連れ去る代りに、現実に引き戻してくれるのではないかと思ふ。長い間仕事をしてゐる時、我々の頭は一つのことに集中して、その限りで冴え切つてゐても、まだその他に我々を取り巻いてゐる色々のことがあるのは忘れられ、その挙句に、ないのも同じことになつて、我々が人間である以上、さうしてゐることにそれ程長く堪へてゐられるものではない。
 さういふ場合に、酒は我々にやはり我々が人間であって、この地上に他の人間の中で生活してゐることを思い出させてくれる。仕事をしてゐる間は、電灯はただ我々の手許を明るくするもの、他の人間は全く存在しないものか、或は我々が立ててゐる計画の材料に過ぎなくて、万事がその調子で我々に必要なものと必要でないものとに分けられてゐたのが、酔ひが廻つて来るに連れて電灯の明りは人間の歴史が始つて以来の灯し火になり、人間はそれぞれの姿で独立してゐる厳しくて、そして又親しい存在になる。我々の意思にものが歪められず、あるがままにある時の秩序が回復されて、その中で我々も我々の所を得て自由になつてゐることを発見する。仕事が何かの意味で、ものの秩序を立て直すことならば、仕事に一区切り付けて飲むのは、我々が仕事の上で目指してゐる秩序の原形を再び我々の周囲に感じて息をつくことではないだらうか。」(吉田健一「甘酸つぱい味」より)
# by suigyu21 | 2007-10-11 00:30 | Comments(0)

肝心かなめの領域

ジンは想像力のはたらきをよくすると請け合っているのはルイス・ブニュエルだ。『映画、わが自由への幻想』(早川書房 1984)には「現世のたのしみ」というタイトルでお酒と煙草についての一章がある。その一章のためだけにもこの本を手放せない。バーとアルコールと煙草は好きでたまらない、肝心かなめの領域である、とブニュエル自身も書いている。煙草が身につかなかったのがちょっと残念に思えたりします。その中の実用的な一節を以下に。

「いうまでもなく、わたしはバーでは葡萄酒を飲まない。葡萄酒は純粋に肉体的なたのしみであって、どうあろうと、想像力を刺戟してはくれない。
 バーに坐って、夢想をよび出し、維持するには、イギリス産のジンがなくてはならぬ。わたしのごひいきの飲みものはドライ・マーティニだ。
 ………
 長い経験の結実であるわたし流のつくりかたを、ここで披露させていただきたい。いつもこのやりかたで、なかなかうまく行っているのだ。
 客が来る前日に、グラス、ジン、シェーカーと、必要なものはすべて冷蔵庫に入れておく。手持ちの寒暖計で、氷が零下二十度前後になっていることをたしかめておく。
 翌日、友人たちがそろってから、いるものを全部とり出す。とびきり堅い氷の上に、まずノワイー・プラットを数滴と、アンドストゥーラを小さな茶さじに半杯、たらす。一緒にシェークして、外に出す。二通りの香りがうっすらついた氷だけとっておき、この氷の上に、生《き》のジンを注ぐ。もう一度さっとシェークして、グラスにつぐ。それだけのことだが、これにまさるものはない。」
# by suigyu21 | 2007-09-30 20:38 | Comments(3)

「理性に油を注ぐ酒」

「だってね、あなた、かつてはホントに凄かったんですよ。食事の伴どころか、食事代削ったって酒代だけは確保する。飲むためだけに、飲んでいた。ただし、昼間から飲むことだけはするまい、その一線を越えるのはマズイと思っていたので、ひたすらに夜を待つ。暗くなってくると、ソワソワする。
 さあ飲めるぞ、嬉しいな。
 私は大勢で酒を飲むのが好きではない。うるさい。くだらない。集中できない。したがって、夜な夜なアパートの一室で独り酒を飲むことになるのですが、これが凄かったんですよ。一升瓶を抱え込んでいるわけですから、ドブドブ注いで、ガブガブ呷る。安酒は全身を経巡り、思考は脳天を突き破り、もう火が出るかという勢いでしたね。
 なんでそんなに酒を飲んだのか、欲したのかという理由が、つまりこれのようです。たぶん変わっています。酒を飲むと、私は異様に頭が冴えてくる。「頭が」というのは不正確で、正確には「理性が」というところ、酒を飲むと私はいよいよ理性的になってくる。これが自分で面白くて、夜な夜な鯨飲しては理性に油を注いでいたようです。」
(『暮らしの哲学』池田晶子(2007 毎日新聞社))

飲んでいる時、「異様に頭が冴えてくる」状態になることは私にもある。お酒は強くないし、飲むようになったのは30を過ぎてからなので、こういうのを読むとうらやましい。昼間からキンと冷えたジンなんかをストレートで飲んで、すずしい顔をしていられたらすてき。休日の晴れた昼にそんなことを思ってみる。見果てぬ夢です。
# by suigyu21 | 2007-09-22 11:51 | Comments(3)