きょうはなにもしたくないなという日は誰にでもあるだろう。わたしにはそういう日が人一倍多いと思う。実際にはあれこれやっているけれども、どうしてもぼんやりしている時間が必要なのだ。なぜなのかよくわからないし、わかってもどうしようもない。なにもしないでいるのが快適なのだから。
こういう状態をあらわすときに何と言えばいいのか。こどものころに暮らした土地のことばがピッタリくる。小学生のころの仙台では「かばねやみ」と言った。中学生のころの松本では「ずくなし」だ。
こどものくせにこたつで寝転んでいると「かばねやみだごど〜」と祖母が言う。体が病んでいる、ということを軽くいうことばだと思っていたが、調べてみると「やみ」は休みの意味のようだ。それでも持って生まれた怠け者の感じがあるので、自分の状態を「かばねやみ」と言ってみるのは好きだ。
信州弁の「ずくなし」をもっともわかりやすく言うなら、気力がない、ということだと思うが、そういってしまうと、なにかがこぼれ落ちてしまう。「ずく」には気力という以外にもっと強い「根性」のような意味もある。ずくがでない、とも言う。ほんとうにまったく、ずくがでないし、ずくなしなのです。
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by suigyu21
| 2021-03-01 20:38
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偶然、2冊の小説を続けて読んだ。2冊ともある種のシリーズで、読みたいものが続いてしまったという偶然だ。どちらも主人公が魅力的だから読み続けているのだが、シリーズのなかでも時間が過ぎていき、主人公はふたりとも「高齢者」となっていた。
オリーヴ・キタリッジは心臓発作を起こして、ちょっとだけ心肺停止状態になっていたが、ICUに搬送されて無事に生還。しかしそのうちひとりで暮らすのが困難になり、地元の老人ホームに入った。かつてはその老人ホームで暮らす人を訪ねて会話をすることで、その老人に活力を与えていたのだった。オリーヴを訪ねてくれる若者がいるといいな。少なくともストーリーのおしまいには誰も来ていない。(『オリーヴ・キタリッジ、ふたたび』)
マット・スカダーは歩くと膝が痛くなるくらいまで年をとっていた。再婚相手のすてきなエレインがそのことを気遣っている。でも、マット・スカダーは相手が誰であれ、会話がおもしろいのはかわっていない。付かず離れず、それでいてときどき核心に入る。そのときのピシッという音が聞こえるようだ。膝は痛そうだけど、かっこいい。(『石を放つとき』)
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by suigyu21
| 2021-01-28 20:27
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今世紀になって、インターネットが自分でも使えるようになり、それならそこで「水牛通信」のようなものをやってみようと考えた。「水牛通信」は前世紀のおしまいに近いころに出していたミニコミ。ほんの20年ほど前のことだが、当時のインターネットは電話のダイアルアップ接続で、接続している間は通話料金がかかった。いまのように常時接続なんて、とても考えられないことだった。
HTMLファイルを事前に用意しておいて、公開日になったら電話接続してアップする。それからきちんとアップできているかどうかチェックするのだが、ともかく遅い。テキストだけで遅いのだから、画像を使うなんて論外だった。原稿はなるべく短くしてね、などとお願いしていたような気がする。
しばらくして、個人が自由に発信できるブログが人気となった。「水牛」のように何人かの書き手が同じところに並んでいるというサイトはあっという間に古くさく見えるようになった。しかし、「水牛」は雑誌だと思っているので、古くさくてもかまわない。いろんな人が水牛という場にいて、いろんなことが書いてある。それが大事なのだ。書く人が「水牛」を自分の書く場だと感じてくれるのがもっともうれしい。
長く続けているという自覚はあまりないが、実際には20年近くになる。長いこと続けられている秘訣は何ですか、とときどき訊かれるけれど、秘訣などというものはない。答えに窮して「う〜ん、惰性かな」と言ったら、笑われた。しばらくたって、フェルナンド・ペソアの言葉を見つけた。「活発な惰性の力を借りて自分自身の奴隷になる以外には、私は働く気にならない。」活発な惰性、それだ!
「水牛」に原稿料はない。経済から自由だと言ってみたりするが、ひょっとするとこれは一番のマイナス点かもしれないとは考えている。でも、経済や金銭しかない世界のひとつの頂点とも言える、いまの総理大臣の貧しさを日々見るにつけ、「水牛」はこれでいいのだ、と思えてくる。
きょうは2020年の大晦日で、明日は2021年の元旦。「水牛」の更新の日でもある。これを書いている間にも、原稿が届く。でも半数近くは今夜寝ている間に届くから、公開までの時間はあまりない。最低限のゆるい編集しかできないのは、かえっていいことだと思うようになった。
「何事であれ、考えようによっては、驚異にもなれば障害にもなり、すべてにもなれば無にもなり、道にもなれば悩みにもなる。そのたびに異なった方法で考えるなら、それだけで革新し多様化することになる。」これもペソアの言葉です。

HTMLファイルを事前に用意しておいて、公開日になったら電話接続してアップする。それからきちんとアップできているかどうかチェックするのだが、ともかく遅い。テキストだけで遅いのだから、画像を使うなんて論外だった。原稿はなるべく短くしてね、などとお願いしていたような気がする。
しばらくして、個人が自由に発信できるブログが人気となった。「水牛」のように何人かの書き手が同じところに並んでいるというサイトはあっという間に古くさく見えるようになった。しかし、「水牛」は雑誌だと思っているので、古くさくてもかまわない。いろんな人が水牛という場にいて、いろんなことが書いてある。それが大事なのだ。書く人が「水牛」を自分の書く場だと感じてくれるのがもっともうれしい。
長く続けているという自覚はあまりないが、実際には20年近くになる。長いこと続けられている秘訣は何ですか、とときどき訊かれるけれど、秘訣などというものはない。答えに窮して「う〜ん、惰性かな」と言ったら、笑われた。しばらくたって、フェルナンド・ペソアの言葉を見つけた。「活発な惰性の力を借りて自分自身の奴隷になる以外には、私は働く気にならない。」活発な惰性、それだ!
「水牛」に原稿料はない。経済から自由だと言ってみたりするが、ひょっとするとこれは一番のマイナス点かもしれないとは考えている。でも、経済や金銭しかない世界のひとつの頂点とも言える、いまの総理大臣の貧しさを日々見るにつけ、「水牛」はこれでいいのだ、と思えてくる。
きょうは2020年の大晦日で、明日は2021年の元旦。「水牛」の更新の日でもある。これを書いている間にも、原稿が届く。でも半数近くは今夜寝ている間に届くから、公開までの時間はあまりない。最低限のゆるい編集しかできないのは、かえっていいことだと思うようになった。
「何事であれ、考えようによっては、驚異にもなれば障害にもなり、すべてにもなれば無にもなり、道にもなれば悩みにもなる。そのたびに異なった方法で考えるなら、それだけで革新し多様化することになる。」これもペソアの言葉です。

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by suigyu21
| 2020-12-31 15:29
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買い物を終えて、電車で自宅に帰るべく、駅の改札を通ってから、長いエスカレーターでプラットフォームに上がる。プラットフォームは東西にのびていて、上がったところはその東の端だ。上がりきったとたんにオレンジ色の西陽を全身に受ける。
太陽は正面に見えるビルの上にあって、これからビルの向こうに沈もうとしているところだ。そういえばあのビルの向こうに、昔は富士山が見えたのだ、晴れた日にはくっきりと。わたしはプラットフォームを西に向かって歩いていく。電車が来るまであと数分だ。まぶしいので、ときどき目の上に手のひらをかざしてしまう。少し吹いている風も感じるし、歩いていく先には川も見える。やはり地上のプラットフォームはいいなあと思う。
気持ちよく歩いていると、太陽はどんどん沈んでいき、電車が到着するまえにビルの影に見えなくなってしまった。こんなに地球は動いている。時間を目で見たという感じはしたが、いま、という時を見ることはできなかったと思う。いまという時は動きをとめることがない。
そんな時間について、片岡義男はこんなふうに書く。
「 私鉄の駅に向けて歩いていくあいだ、なにごとかが終わっていくのを、自分のぜんたいとして、彼女は感じた。夏は終わった。その夏とともに、失われたものが、あるのではないか。失われて二度と戻らないそれはなになのか。ほかに人のいない階段を降りていくミレイは、失われて二度と戻らないものは、この自分ではないか、と感じた。
ついさきほどの自分は、もはやどこにもなかった。失われたと呼ぶなら、それは決定的に失われた。この階段を降り始めたときの自分は、ほんの二、三分前なのだが、取り返すことなど、誰にも出来ないほどに、完全に、失われた。刻々と自分は失われていく。消えていく。おなじ自分がここにいて、階段をさらに降りていくのだが、つい先刻のあの自分は、もうどこにもいない。自分は少しずつ失われていくのではないか。自分が失われていくとは、これまでの日々が終わっていくことだ、と彼女は考えた。」
そして、吉田健一を思い出す。
太陽は正面に見えるビルの上にあって、これからビルの向こうに沈もうとしているところだ。そういえばあのビルの向こうに、昔は富士山が見えたのだ、晴れた日にはくっきりと。わたしはプラットフォームを西に向かって歩いていく。電車が来るまであと数分だ。まぶしいので、ときどき目の上に手のひらをかざしてしまう。少し吹いている風も感じるし、歩いていく先には川も見える。やはり地上のプラットフォームはいいなあと思う。
気持ちよく歩いていると、太陽はどんどん沈んでいき、電車が到着するまえにビルの影に見えなくなってしまった。こんなに地球は動いている。時間を目で見たという感じはしたが、いま、という時を見ることはできなかったと思う。いまという時は動きをとめることがない。
そんな時間について、片岡義男はこんなふうに書く。
「 私鉄の駅に向けて歩いていくあいだ、なにごとかが終わっていくのを、自分のぜんたいとして、彼女は感じた。夏は終わった。その夏とともに、失われたものが、あるのではないか。失われて二度と戻らないそれはなになのか。ほかに人のいない階段を降りていくミレイは、失われて二度と戻らないものは、この自分ではないか、と感じた。
ついさきほどの自分は、もはやどこにもなかった。失われたと呼ぶなら、それは決定的に失われた。この階段を降り始めたときの自分は、ほんの二、三分前なのだが、取り返すことなど、誰にも出来ないほどに、完全に、失われた。刻々と自分は失われていく。消えていく。おなじ自分がここにいて、階段をさらに降りていくのだが、つい先刻のあの自分は、もうどこにもいない。自分は少しずつ失われていくのではないか。自分が失われていくとは、これまでの日々が終わっていくことだ、と彼女は考えた。」
そして、吉田健一を思い出す。
「日差しが変って昼が午後になるのは眼に映る限りのものが昼から午後に移るのでその光を受けた一つの事件もその時間の経過によって人間の世間に起った一つの出来事と呼んで構わない性格を帯びる。もし時間が凡てを運び去るものならばそこに凡てがなくてはならない。そういうことを考えていて唐松は一般に陳腐の限りであるように思われて脇に寄せられていることがその初めの意味を取り戻して時間のうちにその手ごたえがある形を現すのを見た。それが例えば人生であって人間が生れて死ぬまでの経過はそれとともに時間が運び去った一切があってその人間の一生と呼ぶ他ないものになり、そういう無数の人間の一生がその何れもが人間の一生であるという印象を動かせなくしてそこに人生がその姿を現す。又一日は二十四時間でなくて朝から日が廻って、或は曇った空の光が変って午後の世界が生じ、これが暮れて夜が来てそれが再び白み始めるのが、又それを意識した精神が働くのが一日である。そのことを一括して言えばそれが生きるということだった。」

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by suigyu21
| 2020-11-20 19:32
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書いてみようかな、と思うちいさなことがゆらゆらと、ときどき頭をよぎる。外を歩いているときが多い。だから帰宅したときにはほぼ忘れているけれど、書いても書かなくてもどっちでもいいようなことを思いつくのは案外楽しい。
おそらく、思いついたらさっさと書くのがいいのだ。思いついたときこそ、ちいさなことをいきいきと感じているのだから。じっくり考えたりすると、つまらなくなる。
書いても書かなくてもいいが、書かないほうがちょっとだけいいこと、というのを書きたい、だったか、書くようにしている、だったか、そう北杜夫が書いているのを読んで、心から納得したのはどういうわけなのか。読んだのは半世紀は前だが、忘れられない。
おそらく、思いついたらさっさと書くのがいいのだ。思いついたときこそ、ちいさなことをいきいきと感じているのだから。じっくり考えたりすると、つまらなくなる。
書いても書かなくてもいいが、書かないほうがちょっとだけいいこと、というのを書きたい、だったか、書くようにしている、だったか、そう北杜夫が書いているのを読んで、心から納得したのはどういうわけなのか。読んだのは半世紀は前だが、忘れられない。
コロナの夏が過ぎ、コロナの秋が来た。人間界の出来事と関係がないとは言えないだろうが、見上げれば空は高く青く、秋そのものだ。花咲く萩の枝が風にゆれている。

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by suigyu21
| 2020-09-30 21:29
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