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水牛だより

先生の流儀?

トークがおしまいにさしかかり、クッツェーのある小説が『誰がために鐘は鳴る』の辛辣なパロディである、という話題になった。話を聞いている私の隣の椅子にすわっている先生がもぞもぞとジーンズの上に右手の指で何か文字を書いている。「が」や「る」が入っているのだけは読みとれた。トークが終わって会場から外に出て、解放されたとたんに先生が言う。『誰がために鐘は鳴る』の話があったでしょう。それを小説のタイトルにしてみようと考えてみたのです。『だれのために柿は成るのか』どうですか? 

このふたつのタイトル、おおまかに言えば、鐘と柿、という一文字の違いでしかない。この国では昔から柿を食べれば鐘は鳴ることになっているし、ふたつ並べてみると笑うしかなくて、実際に笑いながら駅までの道を歩いたのだった。そのうち『だれのために柿は成るのか』というタイトルの短編小説が届くのだろうか。翌日、通り道の柿の木を観察すると、もうちいさな花が咲いているので写真にも撮ったほどだ。小説を書くときの先生は私が知っている生身の人格(?)ではなくて、フィクションの人になるらしい。小説について話すことが多いから、わかったような気になって想像していても、出来上がって送られてくる小説はそれとはまったく違う内容のことが多くて、いつも驚かされているのだった。
# by suigyu21 | 2011-05-21 20:27 | Comments(4)

花園はヒミツです

震災の後は外で飲んでもあまり遅く帰ることはなかったが、連休最後の日曜日の夜、友だちと飲んで、久しぶりに深夜になった。深夜といってもまだちゃんと電車は動いている時間だ。駅から歩いて自宅に向かっていると、あ、オレンジの花の匂い。花咲く木があるところはわかっている。30メールほど先から強く匂っているのはきっと花が開いたばかりなのだと思って、足早にその木に近づいて観察する。葉に隠れた奥に目立たない白い花がたくさん咲いている。そのかぐわしさに世界の不思議をうっとりと感じつつ、しかし人がいないことだけは冷静に確認して、花のついた小さな一枝をいただいた。手入れはされず、道端に勝手にはえている風情の木なので花もたくさん咲きすぎているから、許されるでしょう。部屋の中で茶色に枯れてからも匂いはまだ残っている。

小学生のころ「秘密の花園」のマンガ版を読んだ。主人公のメアリといとこのコリンがぜんぜん可愛くないのが意外だった。メアリやコリンという名前の「西洋人」もかかわらず、なのだ。当時のマンガの世界にはめずらしいことだった。それが気になっていて、いつか原作を読みたいと思っていた。で、読みました、『秘密の花園』(土屋京子訳 光文社古典新訳文庫)。おおざっぱに言えば、マンガ版の印象とあまり違わないのはよかったと思える。

しかし細部のいろんなおもしろさは当時のマンガには描かれていなかったのかもしれないし、きちんと描かれていたとしても、当時の年齢の自分にはわからないことだったと思う。そもそも、「GARDEN」が「花園」と訳されたことがすばらしいなあ。コリンの瞳は不思議な灰色、動物や植物のことがわかるディコンの瞳は空のような青。そんな色の瞳がいつも目の前にあったら、深く影響されそうな気がする、というようなおもしろさ。ページを繰るごとにちいさな驚きがあって、原発の問題は大きくなりつつあるこの現実の世界だけれど、ただそれだけがあるのではないことを思い出させてくれたのでした。
# by suigyu21 | 2011-05-12 22:00 | Comments(2)

エネルギーを食べる

毎年タケノコの季節になると、パーティをするよ、と呼んでくれる友あり。自宅の脇に竹林があり、ニョキニョキとタケノコが出て来るのだ。

今年はいつもより遅く、きのうがその日だった。去年まで、その竹林は誰かよその人の所有だったが、今年は彼女たちのものになっていた。あれこれうるさいから買っちゃったわ、ということらしい。いろんなタケノコ料理とお酒類がテーブルに並んでいて、それぞれ好きに食べ、かつ好きに飲む。いつも最初は若竹煮に気持ちを持っていかれるのだが、ことしの最初は薄く切ったお刺身タケノコにブルサンチーズを載せて。タケノコごはんなどはもちろん、グラタンやカレーもあって、カツは外に出て揚げ、揚げたてをほうばる。ついでに庭にあるタラの芽もつまんで揚げる。日本酒は切りたての竹の筒で飲む。どれもおいしい。

食べている横には土の上に一メートルほど伸び上がって、まだ黒い皮をつけたままの一本がはえている。その姿はかわいらしいけれど、次の日にはどんなふうになっているのかな。

帰りに姫皮のトマト煮をいただいてきたので、きょうのお昼はパスタにした。木の芽とパルメザンチーズをたっぷりかけて。ごちそうさま!

なぜかタケノコには駆り立てられる。あの成長するエネルギーにやられるのだろうか。こうしてニョッキリの季節にたくさん食べさせてもらうと、他の季節には食べたいと思わない。食べてもおいしくない。タケノコに関しては健全な食欲でいられる。
# by suigyu21 | 2011-05-01 17:34 | Comments(0)

初演の次は再演あるのみ

「カフカノート」は財団法人全国税理士共栄会文化財団の助成を受けた。きのうはその目録贈呈式に。「がんばってください」と励まされ「ありがとうございます」と、ほんとうにありがたくお受けした。この四月から始まる年度の助成なので、すでに公演が終わってしまっているのは「カフカノート」くらいのようでした。

以前は助成金なんてとんでもない、どこからどこまで自力でやるのだ、という姿勢だった。その根本的な態度はいまも変わっていないから、自由を担保にしてまで助成金を申請したりはしない。しかし金銭的困難はいつもあるので、うるさいことを言わずに助成してくださるところには感謝の気持ちを忘れない。今回は公益財団法人朝日新聞文化財団、財団法人アサヒビール芸術文化財団からも助けていただいた。

感謝の気持ちの一方で、どうして自力で出来ないのだろうかと思い続けてもいる。今回の5000円というチケット代金は見る側からは高いと思うし、予定通りの観客数を達成できたにもかかわらず、それでもチケット代だけでは赤字になってしまう。どこかがおかしいと思うのだ。

公演のとき、出演者が読んだり歌ったりするときに見ていたノートを製本したが、じつは重大な手抜きアリ。表紙のマーブル紙を芯の薄いボール紙に貼るのに両面テープを使ったのだ。遠くからはそれとわからなくても、触れてみればすぐにわかる。テープの隙間に空気が入って、プカプカしているものね。まずいじゃありませんか。もしものときにそなえて材料はもう一冊分ちゃんと用意してあった。再演のためにきちんとしたものを作っておかなくては。そう、再演したいのです。
# by suigyu21 | 2011-04-26 20:57 | Comments(0)

「カフカノート」は無事に終わりました

「カフカノート」が無事に終了してほっとしている次の日の満月の夜。無事に、ということをこんなに具体的に考えたことはなかった。これまでそんなに安全な日々が続いていたのだろうかと不思議だ。「カフカノート」はほんとうにささやかな試みだというのに、そこにも厄災は落ちてきた。もちろん最大のものは地震です。311の後は予約はぱったりと途絶えた。実際に16日の午前中にも東京はかなり揺れた。中止するという選択肢はなかったが、本番中に地震が発生する可能性は限りなく100パーセントに近いという前提に立たなくてはいけない。客席のあちこちに誘導係が三人ほどすわって、そのときに備えた。どんなに準備万端でも、揺れが来なくてよかった。

17日の午後はイワトの前の道を救急車がサイレンの音高く何度も通りすぎていく。なかには埼玉県のものもあった。イワトは外の音が聞こえるので、できれば本番中には通ってほしくないと思いながらも、埼玉県からこのあたりの病院までたらいまわしにされているのだろうかと気になる。

さらにこの日は新宿区議会議員選挙の告示で、神楽坂の駅から外に出ると、演説の声がいくつも高らかに響いている。しかも何人もで行進しているから、その高らかな声は長いこと続くのだ。本番中にこの行列がイワトの前を通ったら最悪だと思い、来たら、黙ってくださいとお願いしようと、ずっと監視する。開演前に選挙カーが二度ほど通っただけで、さいわい本番中は静かないつもの通りだった。

劇場のなかでは、稽古のはじまりのときから本番のおしまいまで、天井からオドラーデックが見守っていてくれた。揺れもせず、救急車も通らず、選挙演説も聞こえず、三回のステージが無事におわったのはオドラーデックのおかげだったのかもしれないと今は感じられる。そう、あんなふうにちいさくささやかにいればいいのだ、どんなことがあってもね。

16日19時の公演は中継のあとアーカイブされたので、いつでも見ることができます。
http://www.ustream.tv/channel/sora-kita
# by suigyu21 | 2011-04-19 00:01 | Comments(0)