年に一度、だいたい早春のころに病院で採血と胸部のレントゲン検査をする。自宅からもっとも近い総合病院にもう何年も通っている。院長が最初にコロナワクチンを受けた病院だ。
午前中の病院はいつも混み合っている。再診受付をしてから採血までに三十分も待った。右腕の採血の跡を左手の親指で押さえつつ、廊下を曲がってレントゲン撮影室の前にいくと、そこには不思議に誰もいない。静かな別の空気が流れていた。病院らしく死の影のようなものを感じる静けさだ。廊下の先にはリハビリテーション室があるので、ときどきそこへいく人が通っていく。車椅子の人が多い。いまは手術をしても次の日からリハビリ開始で、ゆっくり寝かせてはくれない。窓から午前中の陽ざしが深くはいってきて、きれいな影が出来ているのを見て、ふとカメラを向けてみた。
診察の番が来た。レントゲン写真を見ながら、
「胸はきれいですよ。コレステロール値が高いですね」
「はい」
といういつもながらの診断を受けて、きょうはおしまい。コレステロールの薬を飲むように、とも言われない。会計がおわるまでさらに待つ。
病院の玄関を出ると、外は快晴。湿度も低く、風がちょっとつめたい。救急車が二台とまっている。さらにもう一台やってきた。病院と道路の境には大きな木がたくさん並んでいるのだが、それらが一本残さず剪定されていて、いつもはうっそうとしていたあたりが妙にスカスカだ。その証拠写真を一枚撮る。来年来るときにはきっとうっそうとしていることだろう。地面の下草のところに何かおいしいものがあるらしく、鳩やカラスが草のなかにつんのめってごそごそやっている。
陽ざしの強いときは、影が建物に思わぬ美しさを加えてくれる。建築家は設計するとき、そういう効果についても考えているのだろうか。陽ざしを直に受けるとき、スマホの画面は暗くなってとても見にくい。きちんと確認できないままにシャッターを押したから、やっぱりうまくは撮れていない。
空を見上げると、うすい雲がわきあがっている。さっきまでは快晴だったのに。風の強い日だったから、上空では激しい気流がおきているのかもしれなかった。
というわけで、早春のこの日に撮った写真を添える。もう四ヶ月も前のある日のことだった。
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by suigyu21
| 2021-06-30 19:20
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片岡義男.comで、片岡さんの書き下ろし短編小説のコーナー「短編小説の航路」を担当している。左右社から先週発売になった『いつも来る女の人』はこの「短編小説の航路」からの7編と書き下ろしの1編とで構成されている。片岡さんがごく最近、どのような短編を書いているのか、よくわかる一冊だ。自分で担当したのだが、あらためて最初の「イツモクルオンナノヒト」を読んでみたら、小説というのはものすごい頭脳プレイだと感じた。
さて、その「短編小説の航路」はすでに40作近くにまでなってきた。先日最新作が送られてきて、その短編のなかにアカシアの花のことが出てきた。そういえば中学の庭に何本かニセアカシアの木があって、ちょうどいまごろ、白い房状の花が一気に咲いたことを思い出した。独特な匂いも花からふってくる。授業はいつも以上にうわのそらで、教室の窓から花にみとれていた。雨の日は特によかった。そしてそれからすぐあとに、ライラックの花が咲く。高校の庭には大きなヒマラヤスギのすぐ隣にうすむらさき色の花のライラックがあって、よくこの木の近くでお弁当を食べた。というようなことを、片岡さんと電話で話した。
そうして、偶然読み始めた『いっぱしの女』(氷室冴子)のなかに「夢の家で暮らすために」というエッセイがあった。冒頭の部分を引用する。
私にはいつも夢想する”夢の家”がある。
それはたとえば、私が高校生のころ、通学路の途中にあった平屋の家であってもいい。その家は敷地が三〇〇坪くらいあって、校倉造りみたいな瀟洒な平屋の南側が、広い庭になっていた。 生け垣がぐるりと庭を囲み、ニセアカシアやライラックの木々がぎっしりと植わっていて、甘い匂いが辺りに漂い、綺麗な赤やオレンジ色のひなげしが咲き、茎の太り、もしや名のあるお方ではといいたくなるような鮮やかな黄色の薔薇がたくさん、咲いていた。(中略)
毎日、その家の前を通るたべに、私はなんということもなく、将来、こういう家に、気の合うともだちと住みたいなァと夢想していた。そうして、そのためにはともだちの誰かが莫大な遺産を相続するとか、誰かがすごいベストセラーを書いてイッパツ当てるとか、そんな、とほうもないことが起こらない限り、見込みがなさそうだなと現実に返って、しょんぼりするのだった。
気が合うという、ただそれだけのつながりの人々と、ひとつ屋根の下で暮らせたら素敵だというのは、そのころからの夢だった。
ここに書かれている「夢の家」は北海道で、わたしの中学高校は松本だった。おなじよい匂いの花が咲くのは、たぶん気候が似ているからだろう。そういえば、松本には薔薇があふれかえるように咲くお屋敷もあって、花のときにはその庭が開放されていたことも思い出す。夢の家のすばらしさは容易に想像できる。
このエッセイでもっとも惹かれたのは「気が合うという、ただそれだけのつながりの人々と、ひとつ屋根の下で暮らせたら素敵だというのは、そのころからの夢だった。」というところ。そうできたらほんとうに素敵だろう。気が合う人というのは年齢や性別にはあまり関係がないところがいいなと思う。どう考えてみても、これはほとんど見果てぬ夢だろうけれど、いつもそのイメージを自分が持っていることは、現実をちょっぴり夢のほうにひっぱるくらいの作用はしてくれる。
東京ではニセアカシアの花もライラックの花も見ることはない。こういう家に暮らせたら、と思ってしまうような、木のたくさんある平屋の家はたまに見かけるけれど、次にそこを通るとその家はなくなっていることも多い。素敵な家から出てくる人が、見るからに気が合わない感じで、ガックリすることもある。都会では、植物が繁茂している平屋というのは絶滅危惧種だし、気が合う人を見つけるのもかんたんではない。
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by suigyu21
| 2021-06-01 15:23
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2021年4月は複数の友人たちと会った。友だちと会うのは「要」であり「急」である。少なくともわたしにとっては、と加えるべきか。誰かに会いたいと思ったらその人に会いたいと言うし、友だちから会いたいと言われれば迷わずに会う。どのような状況であってもそのことははっきりとしている。
会うと、まずはお互いの現在をチェックしあう。そしていっしょに食べて、ときには飲んで、しゃべって、笑う。会うとはすなわちしゃべりあうこと。生産性に結びつく話がなにもない、というのがもっともあらまほしい。そこでしか通じないくだらない会話が楽しいというのは、ほんとうに無駄で最高なことだ。会話が成り立っているのかどうかもよくわからないことだってある。会話に生産性が生じることがときどきはあって、そうするとどこかにシゴトの要素が迷い込んできてしまう。それはそれでいいこともあるけれど、友だちとの非生産的な会話という極意からちょっとはずれて、別のものになってしまう。
小学生のころは父の転勤にともなう転校が多く、そのころの友だちとはいつの間にか連絡が途絶えた。人間というよりは動物のようにじゃれ合っていた子供のころからの友だちがいないのは残念だ。いまの自宅の近くに小学校がある。その小学校の隣は図書館だ。午後に図書館に行くとき、ちょうど小学校の下校時間とかさなることが多く、狭い歩道に子供が群れて歩いている。一応マスクはしてるが、腕を組んだり、走る者を追いかけて抱きついたり、大声をだしあったり、と密だらけ。
遠くから来た友だちや久しぶりに会った友だちとは、別れるときに、ついハグをしたり、手を握りあったりした。推奨されない行為だったが、密な小学生とおなじだなと思う。そういうとき、自分と彼女や彼との境界は無意識のうちに広がって、あいまいになっているのだった。
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by suigyu21
| 2021-04-29 22:34
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きょうはなにもしたくないなという日は誰にでもあるだろう。わたしにはそういう日が人一倍多いと思う。実際にはあれこれやっているけれども、どうしてもぼんやりしている時間が必要なのだ。なぜなのかよくわからないし、わかってもどうしようもない。なにもしないでいるのが快適なのだから。
こういう状態をあらわすときに何と言えばいいのか。こどものころに暮らした土地のことばがピッタリくる。小学生のころの仙台では「かばねやみ」と言った。中学生のころの松本では「ずくなし」だ。
こどものくせにこたつで寝転んでいると「かばねやみだごど〜」と祖母が言う。体が病んでいる、ということを軽くいうことばだと思っていたが、調べてみると「やみ」は休みの意味のようだ。それでも持って生まれた怠け者の感じがあるので、自分の状態を「かばねやみ」と言ってみるのは好きだ。
信州弁の「ずくなし」をもっともわかりやすく言うなら、気力がない、ということだと思うが、そういってしまうと、なにかがこぼれ落ちてしまう。「ずく」には気力という以外にもっと強い「根性」のような意味もある。ずくがでない、とも言う。ほんとうにまったく、ずくがでないし、ずくなしなのです。
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by suigyu21
| 2021-03-01 20:38
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偶然、2冊の小説を続けて読んだ。2冊ともある種のシリーズで、読みたいものが続いてしまったという偶然だ。どちらも主人公が魅力的だから読み続けているのだが、シリーズのなかでも時間が過ぎていき、主人公はふたりとも「高齢者」となっていた。
オリーヴ・キタリッジは心臓発作を起こして、ちょっとだけ心肺停止状態になっていたが、ICUに搬送されて無事に生還。しかしそのうちひとりで暮らすのが困難になり、地元の老人ホームに入った。かつてはその老人ホームで暮らす人を訪ねて会話をすることで、その老人に活力を与えていたのだった。オリーヴを訪ねてくれる若者がいるといいな。少なくともストーリーのおしまいには誰も来ていない。(『オリーヴ・キタリッジ、ふたたび』)
マット・スカダーは歩くと膝が痛くなるくらいまで年をとっていた。再婚相手のすてきなエレインがそのことを気遣っている。でも、マット・スカダーは相手が誰であれ、会話がおもしろいのはかわっていない。付かず離れず、それでいてときどき核心に入る。そのときのピシッという音が聞こえるようだ。膝は痛そうだけど、かっこいい。(『石を放つとき』)
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by suigyu21
| 2021-01-28 20:27
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