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水牛だより

タイムレス・ビューティ

『大人のパリ イネスのおしゃれガイド』を楽しんで、「私の人生の師は歌手のフリオ・イグレシアスです」と書くイネス・ド・ラ・フレサンジュはやっぱりいいな〜と思う。本は大仰で重いし、中身の大半はパリの情報だからほとんど役に立たないものだけど、彼女の精神はじゅうぶんに伝わってくる。

フリオ・イグレシアス(!)の名前が出てくるのは本のちょうど真ん中ごろの「永遠の美しさ」という項。この見開きのページに書かれていることをすべて引用する。自分のためのメモです。

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私の人生の師はフリオ・イグレシアスです。彼に「年を取ることを怖いと感じますか?」と問いかけたところ、彼は「私はもう年を取ってしまったから……」と答えたのです。50代よりも、20代のほうがしわを気にするものですからね。

私はしわを気にしません。鏡で自分を凝視しないからです。望み通りの効果が得られるものなら、いつかボトックスに挑戦してみてもいいと思っていますが、未だにしっくりこないのです。それに、年を取ることにも利点はたくさんあります。4個のスーツケースではなく、ひとつで荷造りができるようになりますし、今を楽しむようになります。他人が言うことに耳を傾けるようにもなれば、相対的に考えることもできます。だからと言って美しさを見捨てなければいけない、ということはありません。永遠の美しさのための秘密を教えましょう。

For lifelong beauty:
*身だしなみに気を配ること。
*良い香りがすること。
*きれいな歯でいること。半年ごとに歯石を除去してもうらこと。
*笑顔でいること。
*寛容であること。
*気楽でいること、自分の年齢を忘れること。
*クールでいること。
*エゴイストになりすぎないこと。
*一人の男性、計画、家に夢中になること。リフティング効果大です。
*自分にふさわしいことだけをすること。これこそがゼンの精神です。
*ときには悪い日もある、ということを受け入れること。そして良い日を目いっぱいに楽しみましょう!

メモ
軽薄さこそが永遠の若さの秘訣!

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軽薄というのは大事なことだ。そして、おしゃれも同じように大事。

パリの情報は役に立たないと書いたけれど、イネス自身がファッションやインテリア、書店、レストラン、ホテル、などなどの場所の写真を撮って、なぜそこが好きなの説明する方法はおもしろい。こんなふうに、いろんな人の東京ガイドがあるとよさそうだ。知っている人だけでも『大人の東京 旬子(内澤)のおしゃれガイド』とか『大人の東京 佐知子(岸本)のおしゃれガイド』とか、『大人の東京 公子(平野)のおしゃれガイド』とか、『大人の東京 ゆかり(木南)のおしゃれガイド』とか、どんどん思いつくけれど(男性の名前も思いつく)、どれも読んでみたいな。『大人の東京 美恵のおしゃれガイド』もひっそりとあり得る。それぞれにまったく違う東京が立ちあらわれてくるにちがいない。
# by suigyu21 | 2012-08-09 21:53 | Comments(0)

洋食屋から歩いて5分

片岡義男さんのエッセイ集『洋食屋から歩いて5分』が発売になった。食べる、ということがテーマの一冊だが、しかしグルメなどとは何ひとつ関係ない。コーヒーの登場がもっとも多いかもしれない。

2009年から2012年の今年前半までに書かれたエッセイからテーマに沿って集めた。その間には2011年3月11日というあの日もあった。あの日の後しばらく片岡さんは都心に出て来ず、したがって打ち合わせその他は町田あたりまで出向くことになり、夏の暑い盛りに町田駅の近くに一軒の居酒屋を発見したのだった。というわけで、居酒屋に関する考察も存分に書かれている。エッセイなので、時に私らしき人物も登場したりはするのだが、それは私というよりは私の欠片であり、短いものでもフィクションだと感じる。「彼女は彼女のまま、彼女という役柄だった」というわけです。

小説の場合は書かれた時間に沿って並べていくのが編集方針だ。エッセイは短いものが多いし、内容もあれこれあるので、ついその内容に引きずられて、テーマを考えながら魅力のありそうな順番=目次を作ってしまうが、これも時間軸に沿って並べてみればよかったのかもしれない。次の機会にはそうしてみたい。忘れないようにしよう。

「コーヒーに向かってまっ逆さま」という書き下ろしの田中小実昌さんとの一夜はおもしろい。1960年代のテディの頃の片岡さんが夕方に新宿駅地下通路で田中さんと偶然会って、そのまま朝までいっしょに過ごすというお話。実際にあったことだよ、と片岡さんは言うので、それを疑うわけではないが、書かれたものはやはりフィクションに違いない。「作家とは、その人自身、フィクションだよ」と片岡さんが書いている(小説のなかで登場人物にそう言わせている)とおり、片岡さんも田中さんもフィクションなのだと思う。フィクションの二乗がここにはある。
# by suigyu21 | 2012-07-29 20:43 | Comments(0)

ことしの七夕

7月7日は青空文庫の誕生日ということになっている。ことしはその日が土曜日だったので、年に一度の大オフ会の日となった。午後に校正の電子的効率のよい方法についてのレクチャーがあり、夜はいつもの宴会があった。

青空文庫午後の部は欠席して、同仁教会に向かう。「鶴の恩知らず」というコンサートがその教会であったのだ。鶴、とは鶴井千恵子さんのことで、彼女は2年前の7月に52歳で亡くなった。彼女の思い出に、というサブタイトルのついたコンサートを夫の井上茂さんと娘のはるさんが企画したこの日。鶴井さんと井上さんとは古い知り合いだ。親密に会ったりはしなかったが、鶴井さんはイワトでおこなっていた製本ワークショップに何度か参加してくれた。乳がんの治療中で(結局はそれで亡くなったわけだが)いつも毛糸の帽子を目深にかむっていたけれど、明るい目をしていた。

なぜ製本ワークショップに来てくれたのだろう。どんなことがやりたいのと、聞いてみたいと思いながら、彼女はワークショップが終わるとすぐに帰っていったし、こちらは後のあれこれが残っていて、立ち止まって話をするという時間はほとんどなかった。

同仁教会の講壇にあたるところのまんなかにピアノがあり、その右側にオレンジや赤い花に囲まれた彼女の遺影が飾られている。天井から下がっているいくつかのまあるい明かりのうち、遺影の前のものだけ音楽に合わせたようにときおりゆっくりと揺れる。揺れるのはエアコンの風の当たり具合だとわかってはいても、外から聞こえる鳥の鳴き声とともに、なんとなく不思議な感じにもおそわれるのだった。

小雨模様のなかを同仁教会から坂を下って護国寺で地下鉄に乗り、青空文庫のオフ会に向かう。集合時間に少し遅れて着いた居酒屋の個室の障子戸を開けると、みんなが拍手で迎えてくれて、現実に戻った気持ちになる。日本語の、主に文学作品のテキストを公開しつくすための仕組みに関して、ふつうは出会うことのない人たちが集まって、必要な相談をする。一年のうち364日はメールのやりとりだけの関係なので、知っているような知らないような人たちと実際に会って話すのは楽しい。まじめな話やくだらない話をする。くだらない話が私は好きだ。富田倫生さんは頭に一文字必要なくらいのまじめな考えを持つ人物であり、またそうでなくては青空文庫が繰り返し誕生日を迎えることはできなかっただろうとは思うが、そういうこともこの日ばかりは笑いの種にされてしまうのだった。
# by suigyu21 | 2012-07-14 14:20 | Comments(1)

恋愛は小説か

片岡義男さんの短編小説集『恋愛は小説か』が発売になっている。

去年の夏から「文學界」に連載された6編にその前に書かれた1編を加えた7つの短編が収録された一冊だ。この短編集を作ることはひそかに進んでいたので、「文學界」で連載が始まるときにはすでに4、5編は出来上がっていた。だから連載はすばらしいタイミングだったのだ。「あとがき」に名前の出てくる「文學界」の担当編集者だった鳥嶋さん、編集長の田中さん、単行本を担当してくれた北村さん、そして装丁の大久保さんと、この一冊が世に出るまでに関わったのが偶然とはいえ、みな女性であることもなんだか楽しいことだった。

「あり得ないか、あり得てもほんの一瞬でしかないような、夢のような、あるいは理想的な、関係や状況。これは書くに値するのではないか。僕が書くいわゆる男と女の物語が、いまではほとんどこの方向へと整理されている」とかつて片岡さん自身が書いたように、『恋愛は小説か』はそのような物語のひとつの頂点に達していると感じる。ストーリーは具体的ではあるけれど、実はものすごく抽象的であり観念的なのだ。抽象度と観念度が極まっている。

片岡さんの編集を担当するって、実際にはどんなことをするのか、と知り合いに聞かれた。原稿をもらって整理をしてから掲載予定の出版社に送る、というようなことは当然の業務だ。一編の小説を書く前に、あれこれ片岡さんと話す。それが編集ということの核心なのかもしれない。主人公やストーリーの展開について話す。片岡さんが話すのを黙って聞いているだけのことも多い。それから、直接はあまり関係がなさそうなことも話す。片岡さんは、「よし、出来た」と言って帰ることもあるのだが、数日後に送られて来る原稿を読むと、これがまったく想像外の内容だったりするのだ。

「一冊の本は、著者がそこから出発したしるしだ。」と辻まことが書いているように、『恋愛は小説か』が本になったときには、片岡さんの関心はすでに次に移っている。いまは食べることについてのエッセイを編集中で、きっと夏には出ると思う。『恋愛は小説か』と同時に進行していたもう一冊の短編小説集も原稿は出来上がっている。こちらは男性が主人公。たぶん、秋には出版されるでありましょう。
# by suigyu21 | 2012-06-26 20:20 | Comments(0)

満月バー

9日土曜日、「内澤旬子のイラストと蒐集本展」開催中のスタジオイワトでの一夜だけのお楽しみは満月バー。太陰暦を見間違えたのか、当日は満月はすでに過ぎていて、寝待ち月でした。しかも雨もようで月は雲の上だった。

強い酒をショットでね、と合意してそれぞれ用意した。そのままのおいしさが至福に到達する深い単純さが我らにはふさわしい。

内澤さんが用意したのは、ハイチのラム、奥飛騨の米製ウォッカ、それに奄美は徳之島のラム酒ルリカケスの三種類。私は南大東島のラム酒コルコルアグリコール、奄美の黒糖酒まんこい、そしてフランスのCitadelldeというジン 。

もうひとりのチイママ清美さんは自分からこのバーで働きたいと言ってきたことからもわかる通り、だんぜんリキが入っていた。雨にも負けずお着物だったしガラガラと引っぱってきたトランクには酒瓶が何本も入っていたのだからね。イギリスのタンカレーのジンの最高級もの、キューバとジャマイカのダークラム、コーンウイスキー、そしてドイツの金粉が舞っているリキュール。(イワトにまだ置いてあるから写真に撮っておこう、と書きながら思いつく。。。)

金粉の入っている「オードヴィードダンチック」は強くて甘〜い。きっと食後酒なのね、と思っていると、木下杢太郎の詩集『食後の歌』の最初に「金粉酒」というのがあり、この酒のことを歌っていると清美さんがコピーを見せてくれた。

木下杢太郎全集で確認したので、その詩を記念に載せておこう。お酒には物語がついていたりするし、映画や絵などにもふと見つけることもある。そんなものを集めてみるのもおもしろそうだ。しかし、それは個人的な楽しみであって、文学バーなどにはけっしてしてはいけないと思う。(この決意は固い)


    金粉酒  木下杢太郎

  Fau-de-Vie de Dantzick.(オオ ド ヰイ ド ダンチツク)
  黄金(こがね)浮(う)く酒(さけ)
  お お、五月(ごぐわつ)、五月(ごぐわつ)、小酒盞(リケエルグラス)、
  わが酒舗(バア)の彩色玻璃(ステエンドグラス)、
  街(まち)にふる雨(あめ)の紫(むらさき)。

  をんなよ、酒舗(バア)の女(をんな)、
  そなたもうセルを着(き)たのか、
  その薄(うす)い藍(あゐ)の縞(しま)を?
  まつ白(しろ)な牡丹(ぼたん)の花(はな)、
  觸(さは)るな、粉(こ)が散(ち)る、匂(にほ)ひが散(ち)るぞ。

  おお、五月(ごぐわつ)、五月(ごぐわつ)、そなたの聲(こゑ)は
  あまい桐(きり)の花(はな)の下(した)の竪笛(フリウト)の音色(ねいろ)、
  わかい黒猫(くろねこ)の毛(け)のやはらかさ、
  おれの心(こゝろ)を熔(とう)かす日本(につぽん)の三味線(さみせん)。

  Fau-de-Vie de Dantzick.(オオ ド ヰイ ド ダンチツク)

  五月(ごぐわつ)だもの、五月(ごぐわつ)だもの――

  (V.1910.))


一夜とはいえ、設備投資はした。バーカウンターとその上から光を落としてくれる明かり、それに冷蔵庫はイワトがこの夜のために用意してくれたのだし、うまい酒を使い捨てのプラスティックのグラスで飲むことはありえないから、グラスその他も用意した。一夜限りなのに、なんだかみんな常連という感じがよかった。だから、またやります。また来てね。♡
# by suigyu21 | 2012-06-11 20:47 | Comments(2)