水牛だより

引き算レシピ4 キノコの水分を飛ばす

もう何年も前のこと、はじめて訪ねた友人の家で、不思議なものをごちそうになった。ざるにこんもりと盛られたそれは細くて茶色いものの集合体だった。さあ、食べてみて、これが何だかあててごらんなさい、と言われて数本を手にとる。

細いけれどしなったりせずにしっかりした風情。口に入れると、こんがりと甘い。しゃっきりとした繊維質のなかにうまみの本質だけがある感じ。頭の中にハテナマークを点滅させながら、しばらく食べているうちに、あ、エノキだ、とわかった。ご名答! それはエノキの素揚げなたのでした。素性が知れるとさらにおいしく感じられて、ざるはたちまちからっぽになった。

ふだんはうちでは揚げ物をしない方針なので、あのエノキの味を再現するにはどうしたらいいかと考えた。フライパンにエノキをばらして入れ、上からオリーブオイルを回しかけて、エノキとなじませる。それを火にかけて、じっくりと炒めてみる。

キノコは大部分が水だというとおり、すぐにしんなりする。しかし軽く火が通ったあたりの水っぽいのを食べてもあまりおいしくない。弱火にして気長に炒めていると、水分がとんでねっとりとしてくる。三分の一くらいにかさが減って、ぜんたいがきつね色になってきたら、ちょっとつまんでみましょうか。うまい! と声が出たらそのへんで火を止める。ぱらりと塩をして出来上がり。

素揚げのときのひょろりとした姿とちがって、茶色の太めの糸がからまったような状態は美しいとは言いがたいが、ビール、ワイン、日本酒、どれにでもよく合います。「これ、なあに?」という台詞がついてまわるのも楽しい。暗い室内でいわば大量に促成栽培されたエノキだから、こんなふうに乱暴に調理しても、おいしく食べられるのならば許されるだろう。

渡辺隆次『きのこの絵本』(ちくま文庫 一九九〇)によれば、天然ものの「エノキタケ」は「十一月中旬から五月初旬までの採集記録があり、最も発生頻度が高いのは一、二月の真冬である。(中略)雪解け水をたっぷり含んだエノキタケは、しなやかで弾力のあるビロード状褐色の束生する柄に、濃い栗色の傘がひときわ逞しく太ってみえる。湿ると全体が著しい粘性でおおわれ、栽培物などからは想像もつかない姿形である」

力強くも繊細な天然ものは赤出しの味噌汁か鍋で食べると、重厚な味わいとこくがあっておいしいと書いてある。

ふと思いつく。素揚げにするか、とことん炒めた栽培もののエノキを赤出しの味噌汁に入れたらどうだろうか。天然ものの味を知らない身にも、なんだかおいしそうな気がする。水分を飛ばすというのはたしかに引き算ではあるし。

青空文庫で茸を検索してみると、食べる話より茸が口をきいたりする話のほうが多いのに驚く。宮沢賢治と茸はすんなり結びつくが、泉鏡花の小説に茸が数多く登場するのは意外だった。菌類の不思議です。もっともぴったりきたのは種田山頭火『行乞記』九月五日(一九三二年)の一節。

   *

「味覚の秋――春は視覚、夏は触覚、冬は聴覚のシーズンといへるやうに――早く松茸で一杯やりたいな」

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この秋、松茸にありつけるだろうか。
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# by suigyu21 | 2017-11-28 21:11 | Comments(0)

引き算レシピ3 つるんと甘い

夏を涼しくすごすのは、冬あたたかくというのより、いろんな工夫がいる。今は夏でも冬でもできるだけ外界を遮断した部屋でエアコンをオンにすれば、とりあえず涼しくもなりあたたかくもなる。けれども、外の世界をむりやり無関係にすることで成立しているその涼しさといいあたたかさといい、それほど快適なものとは言えない。

こどものころに暮らしていた家は木造平屋で、あちこちすきま風が通りぬけていた。ごはんのあとに食卓で父が吸う煙草の煙はまっすぐにのぼってはいかれず、いつも斜めにたなびくのだった。長谷川時雨の『旧聞日本橋』を拾い読みしていて、そんなことも思い出した。

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ふと、自分の家の午後も思出さないではない。みんなして板塀(へい)がドッと音のするほど水を撒(ま)いて、樹木から金の雫(しずく)がこぼれ、青苔(あおごけ)が生々した庭石の上に、細かく土のはねた、健康そうな素足を揃えて、手拭で胸の汗を拭(ふ)きながら冷たいお茶受けを待っている。女中さんは堀井戸から冷(ひや)っこいのを、これも素足で、天びん棒をギチギチならして両桶に酌(く)んでくる。大きな桶に入れた素麺(そうめん)が持ちだされる時もあるし、寒天やトコロテンのこともあるし、白玉をすくって白砂糖をかけることもある。
(長谷川時雨「流れた唾き」)

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やりましたよ、水撒き。板塀がドッと音をたてるのがおもしろくて、もういいかげんにやめなさい、と大人に言われるまで。知らぬ間に自分もびしょぬれになっている。つるんとした食べ物は自然な夏の工夫だ。昭和の少女は素麺をお茶受けではなくもっぱらお昼に食べた。寒天は塩えんどうとあわせて黒蜜をかけるのがおいしい。トコロテンも寒天なのに、細長いかたちは甘さと似合わない。だから葱と紅ショウガとカラシをのせて酢醤油で。暑い昼下がりに酢にむせながら食べるのが正解です。

白玉に白砂糖をかける、これ以上は引くもののない食べかただ。白砂糖は明治維新後に日本にもたらされたらしい。少女の時雨が食べていたのはきっと今より精製の度合いが低い白砂糖だったのだろう。できたてのむっちり白玉をよく冷やしてとろりメープルシロップをかけることを思いつく。サトウカエデの樹液を煮詰めてできたメープルシロップも砂糖だから、夏の午後のお茶受けにつるんと甘く、きっといける。

青い梅が出たらシロップを作る。梅と同量に砂糖を用意するだけ。梅はきれいに洗ってヘタをとり、皮を半分残してまだらにむく。ビンに梅と砂糖を交互に入れると、入れるそばから梅のエキスがしみ出してきて楽しい。毎日朝と夜にビンを揺すって、とろりとしたシロップにしわしわの梅が浮かぶ状態になれば出来上がり。梅はとりだして、シロップを冷たい水や炭酸水でうすめて夏中楽しむ。ことしはいろんな砂糖を混ぜて作って、白玉にかけてみよう。

江戸ッ児は「ほろびゆく江戸の滓」だったのかもしれないと長谷川時雨は書いているけれど、文明開化のあとの明るさが日本橋のひとたちの暮らしの上にあるのを感じる。その暮らしを支えていたものは、わたしが木造平屋の家に住んでいたこどものころまではすんなりとつながっていたのだった。


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# by suigyu21 | 2017-11-28 21:06 | Comments(0)

引き算レシピ2 蕗味噌

おとなになってよかったと思うことのひとつは、こどものころ食べられなかったクセのあるものがおいしいと感じられることだ。それは不思議にお酒が飲めるようになった時期とかさなっている。からだの成長がとまって衰退の時期に移ったという変化の証拠なのかもしれない。

春はさまざまな山菜のあくの強い味に魅了される。おとなの楽しみです。このごろは半分栽培されているような山菜が出回っているけれど、それでもほかの野菜のように一年中手に入るわけではなく、春だけのものだ。だから季節の間にできるだけ食べる。スタートは蕗の薹、雪解けを待たずに早々と出てくる蕗の花のつぼみは春の精をとじこめてほろ苦い。

薄田泣菫の『艸木虫魚』には春について書かれたものがたくさんある。南宗画家として明治のはじめまで生きたという日根対山のエピソードもそのひとつだ。

   *

 対山は自分の居間で、小型の薬味箪笥のようなものにもたれて、頬杖をついたままつくねんとしていたが、客の顔を見ると、
「久しぶりだな。よく来てくれた。」
と言って、心から喜んで迎えた。そしていつもの剣菱をギヤマンの徳利に入れて、自分で燗をしだした。その徳利はオランダからの渡り物だといって、対山が自慢の道具の一つだった。
酒が暖まると、対山は薬味箪笥の抽斗(ひきだし)から、珍らしい肴を一つびとつ取り出して卓子に並べたてた。そのなかには江戸の浅草海苔もあった。越前の雲丹もあった。播州路の川で獲(と)れた鮎のうるかもあった。対山はまた一つの抽斗から曲物(まげもの)を取り出し、中味をちょっぴり小皿に分けて客に勧めた。
「これは八瀬の蕗の薹で、わしが自分で煮つけたものだ。」
客はそれを嘗めてみた。苦いうちに何とも言われない好い匂があるように思った。

   *

このエピソードは数ページの短いもので、こわい結末がついているのだが、それよりも印象が強いのは、薬味箪笥と「わしが自分で煮つけた」蕗の薹。

ちいさな抽斗のひとつひとつにいろんな肴や酒器が入っている箪笥があったら、家で毎日飲まずにはいられませんね。いや、毎日飲むためにこそ薬味箪笥があるというほうが正しいのかもしれない。抽斗をぜんぶあけて見てみたい。お客が顔を出したのは昼間で、案の定、夜まで飲み続けてこわい目にあう。

煮つけた蕗の薹は嘗めているのだから、たぶん蕗味噌だろう。ある程度保存して楽しむためには蕗の薹にも味噌にも火を通すのが一般的な作り方で、味噌に酒や味醂、最近では油や砂糖を加えたりするレシピが多い。

蕗の薹は案外そのへんに顔を出しているから、見つけたら、ひとつかふたつ、細かく切って味噌とただ和える。酒を少し加えて味噌をゆるめると混ぜやすい。火を通さないと、香りも苦みもそのままの春がピシリと身を貫きます。これぞ引き算の力。お酒と合う、ごはんとも合う。そこでだいたい食べきってしまうので、オムレツにするとおいしそうだと思いつつ実現できないままに春は何度も過ぎていく。
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# by suigyu21 | 2017-11-27 21:40 | Comments(0)

引き算レシピ


aozorablogという青空文庫関連のブログがあって、以前そこに投稿したものを備忘のためにここに転載しておくことにした。12回ほど続きます。自分のつけたタグがあまりにもおおざっぱで、今となってはとても探しにくいから。(まあ、探せなくても誰も困ったりはしないんですけどね)


青空文庫に製本というテーマを持ち込んでくれたのは四釜裕子さん。
製本についてあれこれ相談をしているうちに四釜の「4」と八巻の「8」とを足した4+8という名前で、いろいろとささやかながらも楽しい仕事をするようになった。そのひとつである製本ワークショップには青空文庫の人たちも多数(笑)参加してくれて、本の世界はその生まれた所に絶えず戻っていくことが必要なのだと実感する機会にもなった。

四釜さんは「健康」というタイトルの不思議な季刊雑誌の編集もしていた。「いた」と過去形で書いたのは、その「健康」が2012年春号をもって休刊となったからだ。

製本ワークショップのための打ち合わせで四釜さんと会ったときのことだった。打ち合わせを終えてから、どうやってかんたんにおいしいものを作るのかという話になり、手を抜くのはだめ、材料を引いていくほうがいいと思う、と言うと、それを書いてみたらと提案された。書けるかどうかわからなかったが、「健康」にとりあえず一年連載することになってしまった。そしてそのまま休刊までの3年ほど書いた。

青空文庫で読めるものと関連づけて書いたので、休刊を機会にこのブログに転載し、同じテーマで書いていくことにしました。そのタイトルが「引き算レシピ」です。


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# by suigyu21 | 2017-11-27 21:34 | Comments(0)

乗るならバスに

自宅のあるマンションの玄関を出ると、そこはバス停である。だから暑い日寒い日雨の降る日ならとくに、出かけるときには地下鉄ではなくバスに乗る。始発からふたつめの停留場なので、バスといえどもほぼ時刻通りに来るから、1分まえに家を出ても間に合しうし必ずすわれる。便利かつ快適だ。バスが少し走った先に、不動産屋のドアのところでいつもごろりと気持ちよさそうに寝ている老犬がいるのでチェックをかかさない。寝ていると安心するのはなぜなのだろうか。隣りの交番のおまわりさんや道行くひとびともちょっと腰をかがめてその犬を見ているのが見える。人気者なのね。

渋谷から帰宅するときも最近はほぼバスだ。好きな座席は運転手の後と最後尾のひとつ手前の席だが、夏の午後は夕方に近くなるほど西陽の直射を避ける席をめざす。そんなある真夏の午後のこと、発車間近のバスに乗ると、後のほうの席はほぼ埋まっていた。それで、入り口のところの一人がけの座席によじのぼった。バスは西に向かって走るので、もっとも西陽の直射を受ける座席だけど、しかたがない。

3つめのバス停で男性がひとり乗ってきた。定期券をかざしてから、じっと私のすわっている座席を見たまま動こうとしない。空いている座席はたくさんあるのになあ。「ここにすわりたいの?」と訊いてみると、「うん」と言う。「じゃあ、どうぞ」と自分の尻を窓側にずらして小さな彼がすわれそうなあきを作ったら、躊躇なくすっとこしかけたので、私も運転手も笑った。前の窓から外を見ていた彼はやがてすっくと立ち上がって、前のドアのあたりに身を乗り出してバスの内部をくまなく観察している。「アブナイからダメだよ」と運転手によっては言うだろうが、このときの運転手は彼の動きを注意して見てはいるが、なにも言わずに好きなようにさせている。きっとその子の気持ちがわかるのだな。先に降りた彼とはちいさく手を降って別れた。

電車では起きない愉快なことがバスでは起こる。ほんとです。


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# by suigyu21 | 2017-09-01 21:13 | Comments(0)

川にある駅

駅の改札口をとおってから、プラットフォームで電車を待つ短い時間が好き。とはいえ、そのプラットフォームは新宿や渋谷のような大きな駅あるいは地下の駅ではなく、もっとローカルな地上にある駅でないと、好き、とはいえない。

二子玉川駅のプラットフォームはもっとも好きかもしれない。ここのプラットフォームの下り側つまり西側の端は多摩川の上にある。そこに立つと、どっしりと流れる川の上にいて、さらにその上には空がひろがっている。東京の常として両岸に高い建物はあるけれど、都心ではないから、高さはそれほどでもなく、川の広さのほうが勝っている。

プラットフォームは川の上にあるから川上も川下も見渡せる。ここは世田谷区だが川を渡れば川崎市だ。南にあたる川下はあまり特徴がない。武蔵小杉の高層ビル郡が見える。そこにいれば、新幹線も走りぬけていくので驚いたりもするけれど、ここから見ているとなんだかちまちまとしていて貧乏くさい。天気の悪い日はぼんやりとかすんで見える。

北側の川上の風景はいつもいい。多摩川が蛇行しているし、中洲もあるし、川から離れた池のようなものもある。釣り人がいたり、白鷺がいたりする。散歩している人も多い。真下に246の橋があるのだが、プラットフォームからは見えない。少し向うに自動車専用の道路があり、昼も夜も絶え間なく自動車が走っている。最近は渋滞もなく、自動車たちはいつも快適そうに走っている。そして、空気が澄んでいるときには、その向うに見えるのはおそらく秩父の山なみだ。

プラットフォームに立つときの時刻と天候はさまざまだ。昼間もあれば夜もある。快晴、曇、雨、雪。どんなときも川上の風景はいい。晴れている昼間なら夏も冬も川の水は太陽の光を反射してきらきらと輝いている。夜の川はいろんな色と形の電光をそのまま反射しつつ、波のゆらゆらが加わって美しい。川の水の他の木々や草や石などは光を吸い取ってほぼ黒くひろがっている。黒いひろがりがあるからとりわけ光の美しさがある。

いつも見とれて、酷暑や極寒の日でなければ、乗る電車をひとつやりすごしてしまう。


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# by suigyu21 | 2017-08-02 21:17 | Comments(0)

あれから20年とは

数住岸子が死んで、20年目だという知らせが友人から届いた。
20年前の6月2日にその日の朝食を食べて、しばらくして看護師が見回りに行くと、そのときにはすでに息絶えていたということだった。担当の医師が必死に心臓マッサージをしたのちに、臨終です、という前に病室には行ったけれど、そのときの岸子はもう私の知っている岸子ではなく、体だけが静かに横たわっている、なきがらでしかなかった。

末期の肺がんがみつかったのが前の年のおしまいごろで、余命3か月と言われたが、余命宣告の倍くらいは生き延びた。それでもたったの半年だった。これといった治療法が当時はまだなく、ただ本人の持つ力だけに頼る日々だったのだが、岸子はまったく病人らしくない病人だったと思う。入院していても寝間着を着ていることはなかったし、私が病室を訪ねると、すぐに外に出て散歩したり、おいしいサンドイッチの店で食べながらしゃべったりした。

次第に苦しさがましてきたころ、死ぬまでは意識をできるだけ清明に保ちたいと、モルヒネの投与量を増やすよりは苦しいことのほうを選んだのも岸子らしい。だって、意識がなくなって、ヘンなこと言ったらいやだから、と彼女は言ったが、そういう恐れを自分でも感じていたのだろうか。言いたくないいろんなことは誰にでもあるしね。

岸子はヴァイオリンのソリストだった。こどものころから活躍してはいたようだが、プロになってから45歳で死ぬまでの録音というものがあまり残されていないのは残念だ。大柄だったから、ヴァイオリンを弾く姿は大胆で、弓を持つ右手は特に美しい。音もおなじように大胆で美しく、さらに繊細だった。ヴィオラが好きだったのも彼女らしい。

毎日さらう努力の人だったが、ソリストとしての演奏会の前にはさらにさらう人でもあった。さらう以外に意識を逸らされることを避けていた。食べるものはあらかじめ大量に作っておき、毎回おなじものを食べた。また、髪を洗わないとも言っていた。体の末端を刺激すると(シャンプーですら)弾く音に影響するの、と聞いたときにはビックリして、彼女はほんとにおなじ人間なのかしら、とギモンに思ったものだ。

彼女がいなくなってから20年たったとはどういうことなのか、よくわからない。自分の誕生日は覚えているが、人の誕生日や、命日や、なにかの記念日など、ぜんぜん覚えられない。何か難ありなのかと思ったりはするけれど、たとえば、岸子と知り合って、愉快は日々がたくさんあり、そして年下の岸子が私より先に死んだのだ、ということは覚えているから、それでいいやと思う。ね、岸子。


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# by suigyu21 | 2017-06-04 20:34 | Comments(0)

この春の満喫をメモしておこう

ほら、庭に出たふきのとうよ、と友人がくれたのが二月の終わりで、その日が春のはじまりだった。背骨がのびるような苦い春。三月に届いた小泉循環農場の野菜の箱のなかの一番上にはふきのとうがのっていて、背骨はさらにのびた。

四月には小豆島の友人から、好物の菜の花が届いた。彼女の飼っているヤギや、知り合いの豚も食べ飽きるほど食べてもまだまだたくさんあるからということだった。どうやら動物にとっては毒も含まれているらしい菜の花は、写真を見ると温室のなかでほぼ満開状態だったけれど、花開く前の枝を選んで刈ってくれた新鮮なものは炒めても茹でても苦くて甘い。また背骨がのびる。

そして、たけのこ。たけのこが出る庭を所有している友人がふたりもいる。だから食べるのは彼女たちからもらうたけのだけだ。集中して食べるので、一年にこのときだけで足りる。

それから「農家さんの野菜」でそらまめや春キャベツ、緑色の濃いうど、細いアスパラなどを調達しているうちに、明日は五月だ。きょうはことしの春の最後の日かもしれない。さあ、カレンダーをめくらなくては。


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# by suigyu21 | 2017-04-30 20:54 | Comments(0)

片隅でその日を暮らす

近くのスーパー・マーケットで取り扱っている「農家さんの野菜」が一気に春めいてきた。アブラナ科の葉っぱがどれもおいしい。山形産の小ぶりな小松菜を見ると、つい買ってしまう。彼の地はまだ冬だから、小松菜もまだ旬なのだろう、柔らかくて繊細なおいしさ。食べているうちに体が青くなっていくような気がする。「農家さんの野菜」はどこの誰が育てているのかわかる仕組みで、いろんな野菜があるのがすばらしい。農家さんの規模もいろいろみたいだ。野菜を見ると、大量生産の規格からははずれているような気がするが、私のようにそれを好む消費者はいるのだった。

だからこのごろはまずこの小さな「農家さんの野菜」のコーナーをくまなく見て、その日おいしそうな野菜を買うようになった。それからどう調理するかを考える。先に献立を決めることはほとんどなくなった。東京の片隅におけるその日暮らしはこの程度のことではあるけれど、とりあえずは今日というその日がある。


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# by suigyu21 | 2017-02-27 21:40 | Comments(0)

子供の病気

年末に風邪をひき、それから中耳炎になった。耳鼻科で「中耳炎と言われたら」というパンフレットをくれた。見ると、好発年齢は6ヶ月から6歳となっている。子供の病気なのでした。しかし大人もたまにはなる。事実私の片方の耳はまだつまった感じだし、インターネットで調べてみると、治療法はあってなきがごとくで、いつ治るのかわからない。治るかどうかもわからないらしい。治らないと聴力が落ちたままになるらしい。ちょっとした不調でもそれは全身に影響を及ぼす。お正月のお酒は飲んでもだいじょうぶと医者は言ったが、なんとなく及び腰になっている。健康というものはあやういバランスの上に成り立っていることをつくづく思い知った年越しだった。

「Like a Water Buffalo(水牛のように)」というCDのことを下に書いたが、それよりももっと前の、カセットテープが主流のころのことを思い出した。水牛で『フジムラ・ストア』というカセットテープを出そうという話になって、しかし資金が足りない。そこでいつも水牛を支援してくれる周囲の人たち20人に声をかけた。ひとり一万円を出資してもらい、カセットテープが売れたら(いつと特定はできないけれど)出資金は返す。カセットテープを進呈して、それが利子がわり。ということで、無事に出資金が集まり、作ったカセットテープを売って、出資金は無事にみなさんに返却した。
最近はクラウド・ファンディングが盛況で、おもしろそうな試みには自分でも出資したこともある。出資金は戻ってこない。納得して協力しているのだから、それはそれでいいのだが、水牛は資金をもらってしまうことまでは考えなかった。どうしてだろう。出資してくれた人たちが知り合いだからという理由だけではないような気がする。


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# by suigyu21 | 2017-01-01 16:10 | Comments(0)