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水牛だより

覚えている?

五月なかばの快晴の土曜日、昼過ぎに地下鉄を降りて地上に出ると、銀座通りはほどよい人出の歩行者天国だった。約束の時間まで10分ほどあったが、銀座四町目の交差点からほど近い集合場所のレストランのあるビルの前を見ると、すでにわたし以外の四人がそろっている。全員が後期高齢者なので、やはり目立つ。彼らは高校の同期生。この20年ほど、なぜだか年に一度か二度くらい会って食事することになっている。

現役のころはよく接待に使ったんだよ、と幹事役が予約してくれた店で、お得なランチと日本酒を味わいながら、話すことはやがて当然のように高校のころの思い出になる。さまざまなあの時、というのは全員が経験しているのだが、半世紀以上の時がすぎた今、その細部についての記憶は人それぞれで、まったく一致しないのはどうしてなのだろうか。自分の記憶は正しく、相手の記憶は記憶違いだとそれぞれが言う。ずっと思い込んできた記憶を相手の言うように書き換えることはとても難しい、歳をとればとるほどに。ささいな笑い話のような出来ごとでもこうなのだから、事件や裁判などになれば、さらに頑なになるかもしれない。

そもそも記憶というのがどのようなものなのかもよくわからない。そのときの経験だけが記憶としてのこっているという単純なことではないのはなんとなくわかる。こどものころのことはおとなから聞いた話が自分の経験として記憶になっていたりする。たとえ思い出すことはなくても、いろんな経験が記憶を熟成させ、育ててもいて、機会があればそれが吹き出すのかもしれない。

3年日記をはじめて二ヶ月が過ぎた。小さなスペースにメモ書きのようにその日のことを少しだけ書いているが、何をどのようにどの程度まで書いておくのがいいのか、まだスタイル?が定まらない。今年をとりあえず書けば、来年は前の年の同じ日に書いたことを読みながら書ける。それをちょっとだけ楽しみにしながら空白を埋めている。


# by suigyu21 | 2024-06-01 16:46 | Comments(0)

五月

自宅のあるマンションの裏に大きなスダジイの木がある。この木はブナ科の常緑広葉樹。一年中葉がついている。木の根元に祠があるから、なにかこの木にまつわるストーリーがあるのだろう。そして、この季節のある日の朝、突然に花が咲いたのをその匂いで知る。雄の花と雌の花が同じ木に咲くらしいが、あまりに大きな木なので、目視はできない。黄緑色の花は大量に咲いて、そのせいで木の全体はまあるくなり黄色みがかっている。そして、その生臭い匂いは一週間くらいは続く。ドアや窓をあければ、全身をむあっとその臭い匂いにつつまれるのが、なんとなくうれしい。いったい誰を呼ぶ匂いなのだろう。

近所の公園ではなんじゃもんじゃの花が満開で、木の全体がふっくらと真っ白だ。下にあるはずの葉は白い花に完全に覆われてしまい、見えない。公園に行く道にはサツキの植え込みがあり、満開をすぎた。緑道にはいくつか藤棚もある。何年か前までは花房が垂れていたが、このところは手入れがされていないらしく、花はほとんど咲かず、葉だけがしげっている。

近所のマンションのいつも日陰のひっそりとちいさな庭にはエビネが咲き誇っている。それから、いろんなバラがいろんな家の庭に咲いている。いちめんのモッコウバラもいいが、一輪だけの大きな赤いバラもすてき。蜂がいないことを確かめて匂いを嗅ぐ。

花は美しい。花を咲かせて生き延びる植物のパワーはすごい。アスファルトにしか見えないところでも、少しすきまがあれば、植物が生えていて、こんなに土は生きていることを知らせてもくれる。

花屋で花のない葉っぱだけのブーケを売っていたので、五月の記念に買った。ローズ・ゼラニウムやアカシア、ユーカリが束になっていて、グリーンのいい香りがする。花瓶にはいれず、さかさまに吊るして乾燥させ、この夏の虫除けにしてみるのだ。


# by suigyu21 | 2024-05-01 20:21 | Comments(0)

すみれの花咲く頃

ことしはなぜか近所ですみれの花を見ない。去年咲いていたところに咲いていないのだ。そのせいか、ツイッターですみれの花の写真を見ると、いいね、のボタンを押してしまう。フォローしている人の写真にいいねをしていたら、知らない人によるすみれの花の投稿も表示されるようになった。みな愛らしいので、それらにもいいねを押す、を繰り返していると、タイムラインがいろんなすみれの写真だらけになった。すみれは野生だからか、ついでにいろんな野生植物の可憐な花もたくさん表示されて、淡い春の色が満ちている。

そんな春の宵に、熟年の友人たちと久しぶりに夕食をともにした。熟年とはいっても、みんな円熟からは遠い感じがとても好ましい。わたし以外の3人のうちふたりは3年連用日記をつけているという。残るひとりは、なんと10年連用日記をつけて3年目だという。その日に会った人の名前や行ったところとかの事実だけを書くのはいい考えだ。人と会って、この前会ったのはいつだったかな、と話してみても、きちんと覚えていないほうが多い。覚えていなければならない理由がないのかもしれないけれど、日記を見れば過去の日時を特定できて、ほかにも思い出すこともあるだろう。ちょうど年度末で、4月始まりの3年連用日記を見つけて買った。これから3年間、生きているかどうかわからないし、すぐに飽きてやめてしまうかもしれないけれど、ともあれ、4月1日から日記にメモをしておくことにする。

帰り道、日記帳を買った書店と同じビルにあるユニクロに寄ってみた。すると、今年はハローキティの生誕(?)50周年だそうで、キティちゃん柄のTシャツやコットンリラコが並んでいる。コットンリラコは夏の寝巻きとして愛用している。去年まではリサ・ラーソンの猫柄だったが、洗濯するうちに退色がひどくなったので、今年は新しいのを買おうと思っていたから、キティに飛びついてしまった。日記帳とキティの寝巻きを抱えて、年齢不相応な乙女な春が深まっていく。


# by suigyu21 | 2024-03-30 20:30 | Comments(0)

青空文庫はカノンを撹乱する

元旦に公開された青空文庫のそらもようは「カノンを撹乱するために――青空文庫に本を持ち寄ること」と題されている。そうなのよね、とカノンを撹乱するために、という文言にひとりで深くうなずく。首が折れそうなほど深くうなずいた。
収録作品数が二万近くなると、なんとなくではあっても、最初に計画や設計のようなものがあって、それに沿って構築してきたような感じがするかもしれないが、青空文庫にはそんなことはまったくないのだった。それぞれの理由があってそれぞれが公開したい作品を持ち寄って、いまがある。公開のための条件がクリアされているなら、作品は受け入れられたから。

月に一度、水牛を更新するときに、その月の水牛について短いテキストを書いている。寄せられたテキストを公開準備完了にしてから、最後にそのテキストを書くので、時間はあまりない。そのテキストの冒頭に、「一月」とか「二月」とか、月の名前が入っている短いテキストを引用しようと思いついた。もうだいぶ前のことだ。「五月」についてはハイネの詩を覚えていたので、それがきっかけだったかもしれない。ちょうどそのころだったか、いやもっと前だったか、青空文庫のなかの全文検索ができるようになったので、その機能を使ってみようと思ったのだ。すると。

月がかわる二、三日前くらいに検索してみると、どの月についても、とうていすべてを読むことができないほどの検索結果が出てくることを発見した。その無数ともいえる検索結果のなかで、毎月かならず上位にヒットするのが片山廣子の「或る国のこよみ」だった。ファイルを開いて見てみると、ヒットする理由はすぐにわかった。ケルトのこよみが以下のように綴られている。

  一月  霊はまだ目がさめぬ
  二月  虹を織る
  三月  雨のなかに微笑する
  四月  白と緑の衣を着る
  五月  世界の青春
  六月  壮厳
  七月  二つの世界にゐる
  八月  色彩
  九月  美を夢みる
  十月  溜息する
  十一月 おとろへる
  十二月 眠る

どこかの月は引用したと思うが、どの月だったかな、もう忘れてしまった。
なんども片山廣子という名前を見るので、これもなにかの縁と、他のエッセイを読んでみたら、たちまちとりこになった。たとえば「赤とピンクの世界」は一度読んだら忘れられない。赤貧というびんばふではなく、ピンクいろぐらゐのびんばふの世界について。青空文庫で公開されているものだけでは飽き足らず、わたしの書斎と呼んでいる近くの図書館で片山廣子と翻訳用のペンネーム松村みね子の著作はすべて読み、伝記も読んだ。

元旦のそらもようのなかの一節にはこうある。
「青空文庫の総合インデックスを開いたとき、全文検索を行ったとき、閲覧アプリでランダムに選び出されたとき、多くの作品のなかからひとつ、カノンを攪乱するような作品が現れて偶然目にとまる――そのような瞬間が生み出せるようなアーカイヴを、意志の積み重ねの結果として築いてきたのです。」

わたしの片山廣子との出会いはまさに、この具体的な体験だったと思う。全文検索が可能だからこそ体験できた。その後もときどき自分の関心のあるちょっとした単語を検索の窓に入れてみる。たとえば、ボタンとかマッチなど、具体的でちいさなものがよいように思う。思いもよらない結果が出てくるとうれしい。カノンを撹乱するような作品が現れるとさらにうれしい。青空文庫でアンソロジーを作ってみたらおもしろいだろうなあ。


# by suigyu21 | 2024-02-01 18:52 | Comments(0)

太陽の光を撮ってみる

快晴の冬の日には太陽の光が家のなかにも届いて、壁やドアなどにおもいがけない模様をつくる。模様に気がついてぼんやり見ているうちに光はすぐにうつろい、模様も消えていく。光の模様は写真に写るのだろうかとカメラを向けてシャッターを押してみると、その瞬間がきれいに固定されて残るのだった。

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# by suigyu21 | 2023-11-30 19:53 | Comments(0)