夏の野菜でもっとも特別なもの、それはスイカだと思う。ごくふつうの野菜や果物売り場では夏にしか売っていないし、食べるのも夏に限る。ことしは大きなスイカを友人が送ってくれたので、暑い夏が豊かにはじけた。大きなスイカのまんなかに包丁を差し込むと、そこから自然にふたつに割れていくのを見るのも久しぶりの快感だった。こどものころは何人かで廊下に腰掛けて、井戸水で冷やして切り分けたばかりのスイカをかじり、タネをフッと口から庭に吐き出すのがよかった。おとなになって知った食べかたもある。まずスイカを半分に切る。切り口は平らだから真ん中を少しスプーンで削りとって、まずはそれにミネラルたっぷりの塩をかけて食べる。それから、穴の部分に氷をいれ、ジンを少し注ぎいれる。そしてやはりスプーンで少しずつ削りとりながら、ジンをまとった実を食べていくのだ。氷もジンも足りないなと感じたら足していく。
これがまあ、なんともいえず香り高いおとなの味で、やみつきになるのです。ジンはアルコール度数の高いお酒だけど、スイカといっしょだと酔っぱらわない。身も心もすっきりする。いまはふたり暮らしだから丸のままのスイカは買えない。ぐい飲みに氷とジンを入れ、角切りにしたスイカをちょっと浸して食べる。豪快さには欠けるが、おいしさは変わらない。
野菜売り場で白ウリを見たら、ひとつ、買う。サンドイッチ用のパンも買って、白ウリのサンドイッチを作る。ウリは縦半分に切り、スプーンでタネを取る。実を繊維を絶つように8ミリから1センチくらいの厚さに切り、塩をふって少し置いておく。さて、パンだ。このサンドイッチはバターがおいしいらしいのだが、なんといっても冷蔵庫に入っているバターは硬くてすぐにはパンに塗りにくい。だからいつも塗りやすいマヨネーズを使ってしまう。パンに薄くマヨネーズをのばして、ねり芥子をところどころに塗る。からし入りのマヨネーズもちゃんと売っているのは知っているけれど、からしは均等でないほうがおいしい気がする。10分もするとウリからは水分が出ているので、キッチンペーパーかなにかで適当に水分を拭き取り、パンに並べていく。ウリは半月形になっているから、できるだけパンに隙間を作らないように並べていくのはパズルのようで楽しい。上からパンを重ねて、半分に切れば出来上がり。ウリのそこはかとないほんのりした味わいと噛み心地がすばらしい夏の味。マヨネーズでなくバターだったらもっとおいしいのかもしれない、というか、それが本来の味なのだろう。でもいいんだ。マヨネーズで満足している。
白ウリのかわりに出盛りのキウリで作ると、これもまたしゃっきりとした夏のサンドイッチになる。作りかたは白ウリとおなじ。ただしキウリは縦に3ミリくらいの薄さに切る。塩をしたら、あとは二枚のパンに隙間なく並べて、キウリを中にパンを重ねるだけ。切り口もきれいで、白ウリよりは単純な味だが、かなりいけます。ハムやたまごをいっしょに挟むのもいいけれど、キウリだけだとそのもののおいしさがしみじみと感じられると思う。別にハムエッグを添えればいいのだし。
これがまあ、なんともいえず香り高いおとなの味で、やみつきになるのです。ジンはアルコール度数の高いお酒だけど、スイカといっしょだと酔っぱらわない。身も心もすっきりする。いまはふたり暮らしだから丸のままのスイカは買えない。ぐい飲みに氷とジンを入れ、角切りにしたスイカをちょっと浸して食べる。豪快さには欠けるが、おいしさは変わらない。
野菜売り場で白ウリを見たら、ひとつ、買う。サンドイッチ用のパンも買って、白ウリのサンドイッチを作る。ウリは縦半分に切り、スプーンでタネを取る。実を繊維を絶つように8ミリから1センチくらいの厚さに切り、塩をふって少し置いておく。さて、パンだ。このサンドイッチはバターがおいしいらしいのだが、なんといっても冷蔵庫に入っているバターは硬くてすぐにはパンに塗りにくい。だからいつも塗りやすいマヨネーズを使ってしまう。パンに薄くマヨネーズをのばして、ねり芥子をところどころに塗る。からし入りのマヨネーズもちゃんと売っているのは知っているけれど、からしは均等でないほうがおいしい気がする。10分もするとウリからは水分が出ているので、キッチンペーパーかなにかで適当に水分を拭き取り、パンに並べていく。ウリは半月形になっているから、できるだけパンに隙間を作らないように並べていくのはパズルのようで楽しい。上からパンを重ねて、半分に切れば出来上がり。ウリのそこはかとないほんのりした味わいと噛み心地がすばらしい夏の味。マヨネーズでなくバターだったらもっとおいしいのかもしれない、というか、それが本来の味なのだろう。でもいいんだ。マヨネーズで満足している。
白ウリのかわりに出盛りのキウリで作ると、これもまたしゃっきりとした夏のサンドイッチになる。作りかたは白ウリとおなじ。ただしキウリは縦に3ミリくらいの薄さに切る。塩をしたら、あとは二枚のパンに隙間なく並べて、キウリを中にパンを重ねるだけ。切り口もきれいで、白ウリよりは単純な味だが、かなりいけます。ハムやたまごをいっしょに挟むのもいいけれど、キウリだけだとそのもののおいしさがしみじみと感じられると思う。別にハムエッグを添えればいいのだし。
#
by suigyu21
| 2025-08-01 18:13
|
Comments(0)
おそらく一年中ハウスで栽培されているのだろうけれど、夏の野菜はやはり夏がおいしい。なかでもトマトは本来のトマトの青くささが強く感じられる。そんな夏のトマトでトマト丼を作る。真夏だから火を使わないのがいい。
大きめのトマトを小さめに切ってボールに入れる。いまなら新生姜をみじん切りにして、多すぎるかな?と思うくらい、トマトのボールに加える。塩を適当に入れる。塩味がきちんとつくくらいがおいしい。全体をかきまぜて、ボールごと冷蔵庫で冷やしておく。
トマトが冷えたころに、あたたかいごはんの上に、白いごはんが見えないくらい真っ黒になるまで、焼き海苔をちぎってのせる。冷蔵庫からトマトの入ったボールを出してみると、塩でトマトから水分がたくさん出ているはず。その汁ごとすべてをごはんにかけて、混ぜあわせながら食べる。
何年も前に見てためしてみたレシピだが、これまでに何度作ったかわからない。正式な(?)レシピから逸脱しているかもしれないが、こういうものこそ家でしか食べられないと食べるたびに思う。トマトはつめたく、ごはんはあたたかいほうがおいしい。完熟でもいいが、お尻に青いのがちょっと残っているくらいのトマトがおいしいと感じる。そしておいしさの鍵を握っているのは海苔です!
とはいうものの、そもそもごはんがなくては話にならない。去年収穫したお米はいったいどこに消えたのか。どう考えてもおかしいと思う。
大きめのトマトを小さめに切ってボールに入れる。いまなら新生姜をみじん切りにして、多すぎるかな?と思うくらい、トマトのボールに加える。塩を適当に入れる。塩味がきちんとつくくらいがおいしい。全体をかきまぜて、ボールごと冷蔵庫で冷やしておく。
トマトが冷えたころに、あたたかいごはんの上に、白いごはんが見えないくらい真っ黒になるまで、焼き海苔をちぎってのせる。冷蔵庫からトマトの入ったボールを出してみると、塩でトマトから水分がたくさん出ているはず。その汁ごとすべてをごはんにかけて、混ぜあわせながら食べる。
何年も前に見てためしてみたレシピだが、これまでに何度作ったかわからない。正式な(?)レシピから逸脱しているかもしれないが、こういうものこそ家でしか食べられないと食べるたびに思う。トマトはつめたく、ごはんはあたたかいほうがおいしい。完熟でもいいが、お尻に青いのがちょっと残っているくらいのトマトがおいしいと感じる。そしておいしさの鍵を握っているのは海苔です!
とはいうものの、そもそもごはんがなくては話にならない。去年収穫したお米はいったいどこに消えたのか。どう考えてもおかしいと思う。
#
by suigyu21
| 2025-07-01 22:04
|
Comments(0)
買い物をして帰宅するためにバスを待つ。夕方に近い午後の時間、バス停にはわたしと同じような年寄りたちが並んでいる。このごろの年寄りは荷物が多い、いや年寄りにかぎったことではなく、誰もが重そうな荷物を持っている。ひとつのバス停に四つの行き先のバスが停まるため、行列は比較的長いことが多い。少し後ろに並んでいる男性が膝を折ってうずくまったのを見て、わたしの後ろにいた女性が「だいじょうぶですか? 前のほうにベンチがあるからあそこに座ったら?」と声をかける。「いや、だいじょうぶ、だいじょうぶ、ちょっと休んでいるだけだから」と男性は答える。「でも座ったほうがいいわよ」とさらに言う。それから少し声をおとしてわたしに向かって「ベンチまでいっしょに行ってもいいんだけど、でもね、連れていく途中でなにかあったら、あなた、こちらの責任になるのよ。だからあまり親切にしすぎてはだめよ」と言ったところにちょうどバスが来て、彼女はそれに乗っていってしまった。
ちょっと休んでいるだけだというとおり、自力ですっくと立ち上がったおじ(い)さんはわたしと同じ行き先のバスを待っているという。バスの乗り口まで20メートルくらいありそうだ。その乗り口のかたわらで数人が列を離れてバスを待っている。その人たちを見咎めて、おじ(い)さんが言う。「あいつら、乗るときは並んでるおれたちより先に乗るんだよ、見ててごらん。ばかやろー並べよ、と言ってやろうか」といったところでちょうどバスが来た。「そんなこと言ってないで、あの人たちより早く乗りましょう」とおじ(い)さんを先に乗せる。乗ってしまえばそれぞれあいている座席に腰かけるので、会話はそこまででおしまいとなる。
バスは電気バスだった。静かで車体もおおきく、乗り心地がよいから、当たりの気分だ。待っている人たちの人生が交錯するパワースポットなバス停を離れて、バスは快適に走り始める。
ちょっと休んでいるだけだというとおり、自力ですっくと立ち上がったおじ(い)さんはわたしと同じ行き先のバスを待っているという。バスの乗り口まで20メートルくらいありそうだ。その乗り口のかたわらで数人が列を離れてバスを待っている。その人たちを見咎めて、おじ(い)さんが言う。「あいつら、乗るときは並んでるおれたちより先に乗るんだよ、見ててごらん。ばかやろー並べよ、と言ってやろうか」といったところでちょうどバスが来た。「そんなこと言ってないで、あの人たちより早く乗りましょう」とおじ(い)さんを先に乗せる。乗ってしまえばそれぞれあいている座席に腰かけるので、会話はそこまででおしまいとなる。
バスは電気バスだった。静かで車体もおおきく、乗り心地がよいから、当たりの気分だ。待っている人たちの人生が交錯するパワースポットなバス停を離れて、バスは快適に走り始める。
#
by suigyu21
| 2025-06-01 17:49
|
Comments(0)
四月の水牛更新を終えて、毎月一回送ってもらっている小泉農場の無農薬野菜の箱をあけると、たけのこが一本入っていた。近くのスーパーで小さな袋に入った米ぬかを売っているのは知っているが、採れたてみたいだったので、なにも入れずに茹でてみた。アクは少なめで、まったく問題なし。若竹煮とたけのこご飯でおいしく食べた。
札幌まで行ってきた。コロナのころは遠出はしなかったし、その前は母の介護があって遠出できず、飛行機に乗るのは10年ぶりくらい。果たしてちゃんと乗れるのか?と思ったけれど、同行者のおかげでなんとか無事に往復できた。飛行機は乗っている時間こそ短いが、乗るまでに時間がかかる。そして以前より座席が窮屈だと感じた。札幌駅では新幹線の工事がすすんでいたから、そのうち一度は新幹線でゆったりと行ってみたい。
白樺もまだ芽吹いていない札幌から帰ると、次の日の朝、裏の大きなスダジイの花が一気に咲いて、生臭い香りがあたり一面にただよった。近所の公園のなんじゃもんじゃの花も枝や葉をおおうようにもっこりとまっしろに咲いて、枝は花の重さで下にしなっている。満開のモッコウバラの垣根も見に行った。木々の若葉は太陽の光を反射して、生まれたばかりの緑いろに輝いている。
『パトリシア・ハイスミスの華麗なる人生』(アンドリュー・ウィルソン 柿沼瑛子訳 2024 書肆侃侃房)ぎっしり詰まった700ページを読み終える。図書館で借りたので、返却日が決まっているからその日までには、と決心して読んだ。ある種の締め切りみたいなもので、図書館で借りる良いところだ。ハイスミスが残したノートと手紙、著者によるゆかりの人たちのインタビューなどで構成されている。ゴロワーズと安いウイスキーを手放せなかった一生は「華麗なる人生」とは言い難い。取り上げられているところは少ないが、少し年上のアーサー・ケストラーとの友情だけは心に残った。その部分の引用を以下に。
「一九六九年一月に『変身の恐怖』の宣伝活動でロンドンを訪問した際、ジャーナリストたちはハイスミスの美貌が失われつつあることに気づいていた。「ガーディアン」紙は、彼女についてこう書いている。「肘掛け椅子に背中を丸めて座り、降り注ぐ光に、くたびれ果てた、ほとんどメキシコ人を思わせる姿がまざまざと浮かび上がった。両切りのゴロワーズをぎりぎりまで吸う。いまや白髪交じりのまっすぐな髪を手でかきまわし、毛先を逆立てる……」。ハイスミスは、この記事を「全体的にかなり誇張している」と書いたが、親しい友人でさえ、見た目の描写は正確だと認めざるをえなかった。アーサー・ケストラーの妻シンシアはロンドンのモントピリア広場の自宅でじかにハイスミスと会った後、「パットの顔にはかつての美しさがほとんど残っていない」と日記に記している。また、その後、BBCのトーク番組『レイト・ナイト・ラインナップ』のゲストのひとりとしてハイスミスが出演しているのを見て、「アーサーは、今の彼女をとてもよいと思っていた。これとははっきりいえないが、内面の正直さが顔にあらわれ始めているからだ」と書き加えている。」
月末の日曜日、友人の家でのたけのこパーティに誘われて、うれしく出かけていった。テーブルの上に並んでいる和風、洋風、中華風などの料理のすべてにたけのこが入っている。たけのこは彼らの家の庭に生えてくるもので、この日のために6本掘ったという。たけのこのパワーを満喫して、みな満足の顔。毎年おこなわれているこの催しはかつては酒類がなくてはならなかったのだが、今年はノンアルコールビールを飲む人が半数以上で、お持たせのシャンパンをみんなで一本あけた程度でおしまい。みんな歳をとったのだなあ。歳をとればアルコール摂取量は減っていくものなのに、ハイスミスは毎日朝からウィスキーを飲み、外出するときにはスキットルにウィスキーを入れて持ち歩き、ほぼ死ぬまで一日中飲み続けていたのだ、すごい!
この日は誰も記念写真を撮らなかったし、SNSに載せた人もいないだろう。すばらしい。
五月は『評伝ジョウゼフ・コンラッド-女性・アメリカ・フランス』(ロバート・ハンプソン 山本薫訳 2024 松柏社)を読もうと決めている。
札幌まで行ってきた。コロナのころは遠出はしなかったし、その前は母の介護があって遠出できず、飛行機に乗るのは10年ぶりくらい。果たしてちゃんと乗れるのか?と思ったけれど、同行者のおかげでなんとか無事に往復できた。飛行機は乗っている時間こそ短いが、乗るまでに時間がかかる。そして以前より座席が窮屈だと感じた。札幌駅では新幹線の工事がすすんでいたから、そのうち一度は新幹線でゆったりと行ってみたい。
白樺もまだ芽吹いていない札幌から帰ると、次の日の朝、裏の大きなスダジイの花が一気に咲いて、生臭い香りがあたり一面にただよった。近所の公園のなんじゃもんじゃの花も枝や葉をおおうようにもっこりとまっしろに咲いて、枝は花の重さで下にしなっている。満開のモッコウバラの垣根も見に行った。木々の若葉は太陽の光を反射して、生まれたばかりの緑いろに輝いている。
『パトリシア・ハイスミスの華麗なる人生』(アンドリュー・ウィルソン 柿沼瑛子訳 2024 書肆侃侃房)ぎっしり詰まった700ページを読み終える。図書館で借りたので、返却日が決まっているからその日までには、と決心して読んだ。ある種の締め切りみたいなもので、図書館で借りる良いところだ。ハイスミスが残したノートと手紙、著者によるゆかりの人たちのインタビューなどで構成されている。ゴロワーズと安いウイスキーを手放せなかった一生は「華麗なる人生」とは言い難い。取り上げられているところは少ないが、少し年上のアーサー・ケストラーとの友情だけは心に残った。その部分の引用を以下に。
「一九六九年一月に『変身の恐怖』の宣伝活動でロンドンを訪問した際、ジャーナリストたちはハイスミスの美貌が失われつつあることに気づいていた。「ガーディアン」紙は、彼女についてこう書いている。「肘掛け椅子に背中を丸めて座り、降り注ぐ光に、くたびれ果てた、ほとんどメキシコ人を思わせる姿がまざまざと浮かび上がった。両切りのゴロワーズをぎりぎりまで吸う。いまや白髪交じりのまっすぐな髪を手でかきまわし、毛先を逆立てる……」。ハイスミスは、この記事を「全体的にかなり誇張している」と書いたが、親しい友人でさえ、見た目の描写は正確だと認めざるをえなかった。アーサー・ケストラーの妻シンシアはロンドンのモントピリア広場の自宅でじかにハイスミスと会った後、「パットの顔にはかつての美しさがほとんど残っていない」と日記に記している。また、その後、BBCのトーク番組『レイト・ナイト・ラインナップ』のゲストのひとりとしてハイスミスが出演しているのを見て、「アーサーは、今の彼女をとてもよいと思っていた。これとははっきりいえないが、内面の正直さが顔にあらわれ始めているからだ」と書き加えている。」
月末の日曜日、友人の家でのたけのこパーティに誘われて、うれしく出かけていった。テーブルの上に並んでいる和風、洋風、中華風などの料理のすべてにたけのこが入っている。たけのこは彼らの家の庭に生えてくるもので、この日のために6本掘ったという。たけのこのパワーを満喫して、みな満足の顔。毎年おこなわれているこの催しはかつては酒類がなくてはならなかったのだが、今年はノンアルコールビールを飲む人が半数以上で、お持たせのシャンパンをみんなで一本あけた程度でおしまい。みんな歳をとったのだなあ。歳をとればアルコール摂取量は減っていくものなのに、ハイスミスは毎日朝からウィスキーを飲み、外出するときにはスキットルにウィスキーを入れて持ち歩き、ほぼ死ぬまで一日中飲み続けていたのだ、すごい!
この日は誰も記念写真を撮らなかったし、SNSに載せた人もいないだろう。すばらしい。
五月は『評伝ジョウゼフ・コンラッド-女性・アメリカ・フランス』(ロバート・ハンプソン 山本薫訳 2024 松柏社)を読もうと決めている。
#
by suigyu21
| 2025-05-01 16:14
|
Comments(0)
眠るというのは毎晩の新しい体験だと感じることが多い。夢を見て目覚めてもそれを覚えているときは特にそう感じる。夜のあいだに、いったいわたしはどこにいたのだろうか?
朝おきたら、トイレにいって、それから顔を洗ったりする前にまずコーヒーを一杯飲む。目覚めてすぐのその日最初のコーヒーはいつだっておいしい。コーヒー豆は深煎りを好んでいて、買う店は決まっている。唯一のプチぜいたくかもしれない。でもね、よいコーヒーは冷めてもおいしいし、なんならチンしても味があまり落ちない。豆を厳選してぜいたくする意味があるばかりかこの朝のコーヒーこそ養生というものではないかと思う。
家での食事は季節の野菜と肉や魚や卵などのタンパク質とをその都度適当に炒めたり煮たり蒸したりするだけだが、夕食にはそれとともに日本酒かワインが一杯あればじゅうぶんという気がする。かの土井善晴先生も言っている、「ほんとうのところ、日本で素材を活かしてシンプルに食べているのは家庭なんですよ」と。でも友人たちとの外食の楽しさは決して忘れてはいない。
夕食を終えたら、次は入浴だ。養生についてのSNSなどを見ていると、夜はシャワーでなくお風呂に入り、少しでも早く寝る、この二つは例外なく勧められている。そうよね、と、寒いときには入浴剤を入れて、毎晩湯船に浸かる。あたたかいお湯でからだがふんわりしてくる。さらに眠るまであたたかさが保たれるからか、気持ちよく眠りにおちる。匂いや色が添加されていない入浴剤がもっとあるといいのにと思う。
寝る前にスマホを見るとか本を読むとか、刺激になることはまったくすすめられていない、というより禁止の項目のひとつだが、早めに横になったらやはり本を開いてしまう。すぐに眠くなってしまうこともあれば、反対に目が冴えてそのまま一冊読んでしまうこともある。そういうときには目は疲れるし寝不足にもなるけれど、それでもやはりわたしにとっては養生のひとつなのだと思うことにしている。
朝おきたら、トイレにいって、それから顔を洗ったりする前にまずコーヒーを一杯飲む。目覚めてすぐのその日最初のコーヒーはいつだっておいしい。コーヒー豆は深煎りを好んでいて、買う店は決まっている。唯一のプチぜいたくかもしれない。でもね、よいコーヒーは冷めてもおいしいし、なんならチンしても味があまり落ちない。豆を厳選してぜいたくする意味があるばかりかこの朝のコーヒーこそ養生というものではないかと思う。
家での食事は季節の野菜と肉や魚や卵などのタンパク質とをその都度適当に炒めたり煮たり蒸したりするだけだが、夕食にはそれとともに日本酒かワインが一杯あればじゅうぶんという気がする。かの土井善晴先生も言っている、「ほんとうのところ、日本で素材を活かしてシンプルに食べているのは家庭なんですよ」と。でも友人たちとの外食の楽しさは決して忘れてはいない。
夕食を終えたら、次は入浴だ。養生についてのSNSなどを見ていると、夜はシャワーでなくお風呂に入り、少しでも早く寝る、この二つは例外なく勧められている。そうよね、と、寒いときには入浴剤を入れて、毎晩湯船に浸かる。あたたかいお湯でからだがふんわりしてくる。さらに眠るまであたたかさが保たれるからか、気持ちよく眠りにおちる。匂いや色が添加されていない入浴剤がもっとあるといいのにと思う。
寝る前にスマホを見るとか本を読むとか、刺激になることはまったくすすめられていない、というより禁止の項目のひとつだが、早めに横になったらやはり本を開いてしまう。すぐに眠くなってしまうこともあれば、反対に目が冴えてそのまま一冊読んでしまうこともある。そういうときには目は疲れるし寝不足にもなるけれど、それでもやはりわたしにとっては養生のひとつなのだと思うことにしている。
#
by suigyu21
| 2025-04-01 20:55
|
Comments(0)

