水牛だより

謎を生きている

新しい年が明けて、ほぼひと月たち、ようやく新しい年なのだなと実感できるようになった。もう2017年ではないと感じるようになった、というほうが正確かもしれない。

今年になってすでに2度もコンサートに行った。両方ともクラシックの名曲のコンサートだったが、目の前で演奏される音楽はその場での生きものだからいいなと思う。音は生まれるはしから消えていくが、わたしも生きているからちゃんとそれを受けとめることができる。

東京でも冬らしく雪が積もった。行くはずだったところに行けず、会うはずだった人に会えず。家に閉じ込められたからといって特になにかが出来るわけでなく、窓ごしに降り積もる雪を見ているだけで満足していた。夜になると雪景色は美しさを増す。

新年を迎える前後には久しぶりに会う人もたくさん。こどものころからの知り合いと会い、最近知り合った人にも会い、時間というものはとめどなく流れているものではない、とかいうよくわからない量子力学だったかな、そういう学問の言い分を信じたくなった。しかし時間が実在しないのなら、年齢とはなんだろう。生きていることは謎だらけです。


[PR]
# by suigyu21 | 2018-01-30 21:13 | Comments(0)

そして、その後

引き算レシピを読んでくれた編集者から、食べ物に限定しないで、青空文庫の収録作品と関連するエッセイを書いてみないかと言われた。本を読むのは好きだけれど、とくに系統だてて読んでいるわけではないし、そうたくさん読んでいるわけでもない。たんに自分がおもしろそうだと思うものだけを読んでいる。自分の好みだから言うまでもなく偏っているのだが、そういうものでさえも読み切れないほどたくさんあるのがこの世界というものだ。

そういう感じで書いたものが以下に残っている。

  手紙

  たけのこ

  略歴

  犬

  明日の天気

  歩行

  ボタン(あるいは月夜の浜辺)


一冊にまとめましょうと言われたのだったが、編集の仕事が忙しくなって、書くどころではなくなってしまった。でもこうしてかけらのようなものがネットの隙間にひっかかっているのが自分らしく思える。


[PR]
# by suigyu21 | 2017-12-07 20:27 | Comments(0)

引き算レシピ12 塩をつける

食べようと手に持っただけで、すでにすっぱい。すぼまった口の中には唾液が充満してくる。梅干ではありません、夏みかんです。

十代に達するまでにまだ二、三年はあったあのころ、夏みかんが好物だった。いまなら「超」とつけたいほどの強い酸味に少しの苦さ。小皿に盛った塩をたっぷりとなすりつけて一個まるまるをひとりで食べ終わるころには、塩と酸の作用によって唇は真っ白にふくれあがり歯はギシギシになる。でも少女の想像上の麻薬の効果のように全身は爽快となる。

クエン酸プラス塩分を摂取して元気になったのね、と今の知識で説明はできるが、あの味はもう今はない。右肩上がりの経済状態と比例して甘さが好まれるようになって、夏みかんは甘夏に人気を奪われた。いま夏みかんと呼ばれているのは甘夏のことであり、昔の夏みかんとはちがう。夏みかんを愛した者にとっては甘夏はなんだか中途半端な味がする。

正式には夏橙という名を持つ夏みかんは、一七〇〇年ごろに山口県長門市の海岸に漂着した種子から広く栽培されるようになったという。文旦の血を引く自然雑種、と分類されている。いったいどこから海を渡ってやって来たのだろう。名も知らぬ遠き島より、と思いたいところだが、近いところから流れ着いたのではないだろうか。あまりロマンチティックな気持ちにはなれないのは、みかんという味からはみだすエキゾティックな要素がなかったからだ。それに四国や九州では江戸時代から文旦は栽培されていたようだし。

果物は完熟していやが上にも甘くなったものより、ちょっと手前の未熟な青い感じの味が好ましい。初めてタイを訪れたのはもう四半世紀も前のことだが、そのとき未熟のマンゴーやグアバを食べる習慣があることを知ってうれしかった。カットされて売っているまだ固い果実には必ず塩と唐辛子が入った小さなビニール袋がついていて、それをつけて食べるのだ。おいしさが複雑になって、いくらでも食べられるのが難点だった。

夏みかんになすりつけていたのは専売公社が売っていた真っ白な「食塩」だった。塩といえばそれしかなかったあのころ。一九九七年に専売法が廃止され、さらに二〇〇二年には完全自由化されて、日本や世界のいろんな土地のいろんな種類の塩が手に入るようになった。ほんの微量のミネラル分がそれぞれの土地の塩の味を際立たせているのを確かめるのは楽しい。赤い粘土が混ざってオレンジ色したハワイの塩をつけた夏みかんはどんな味がするのだろうか。色のとりあわせがきれいで、いかにもおいしそうだ。

岡本かの子に「百喩経」という小品がある。その「前言」によれば、「百喩経(ひゃくゆきょう)は、仏典の比喩経のなかの愚人(仏教語のいわゆる決定性(けつじょうしょう))の喩(たと)えばかりを集めた条項からその中の幾千を摘出したものである。但し経本には本篇の小標題とその下の僅々二三行の解説のみより点載しては無い。本文は全部其処(そこ)からヒントを得た作者の創作である」。岡本かの子は仏教研究者でもあった。

十あるコントの最初は「愚人食塩喩」で、「塩で味をつけたうまい料理をよそで御馳走になった愚人がうちへ帰って塩ばかりなめて見たらまずかった」という解説の後に展開するのは、なんにも味のない気になる若い男に「すこし塩をつけて喰べてみ」たらどうなったか、というおはなし。当然、未熟の果物のようにおいしいだけですむはずはないのでした。おとなしい男にはすこしの塩でも利きすぎることを忘れてはいけない。


[PR]
# by suigyu21 | 2017-12-07 18:10 | Comments(0)

引き算レシピ11 かつおの皮

ある初夏に友人が作る彼の母親直伝のかつおのたたきをごちそうになったことがある。かつおの刺身を大きな皿の真ん中に並べて、その上から、きうり、ねぎ、しょうが、にんにく、みょうが、しそ、などを細切りにした青い薬味を山ほどかけて、最後にしゃもじでその山を叩いて形を整えたら、摘みたての木の芽をのせる。それが彼の家の「たたき」の流儀だという。青くきれいな薬味の山の上からポン酢をかけて、食べる。青い味がかつおとなじんでさっぱりとおいしかった。

かつおのたたき、というと、皮ごと藁で焼いたものをまず思い浮かべる。魚介類の表面にちょっと火を通すと旨みが増すのは知っているが、かつおの場合は皮が特に重要な気がする。

「かつおは皮がおいしい」と宣言しているのは東京・田園調布でパテ屋という惣菜屋を営む林のり子さんだ。かつおを刺身にするとき、皮は捨てられる。捨てられる運命の皮を魚屋に予約して取っておいてもらう。それを焼いて、青い薬味をたっぷりかけたもの、つまりかつおの皮のたたきがおいしいというのだ。香ばしさと歯ざわりが想像のなかで跳ね上がる。

鹿児島の枕崎港では遠洋漁業でとられたかつおが水揚げされて、鰹節に加工される。大量に残った皮は塩蔵にする。多めの塩をふり、一晩漬け込んで次の日にさっと水で洗い、その後むしろの上で乾燥させる。焼いたりゆでたりしてさつまいもといっしょに食べるのだそうだ。脂がのっていておいしいらしい。無駄なく食べる、土地の伝統食ともいうべきもの、一度は味わってみたい。

かつおはつねに群れとなって暖かい海を回遊している。黒潮にのって初夏に北上するのが初がつおで、秋に南下してくるのが戻りがつお。群れの移動は速い。時速は約三十キロという研究結果があるようだ。群れでこの速度だから、襲われたりして、一匹で必死に逃げるときにはその十倍くらいの速度が出るという。自転車と新幹線くらいの違いがある。

かつおの体型をあじやさばと比べるてみると、あきらかにお腹まわりが太い。完全にちかい紡錘型なのだ。これはもちろん速さに関係している要因だ。さらに。魚にはあるまじきことに、かつおの皮膚にはほとんどウロコがない。体を保護するためのウロコを退化させることで水に対する抵抗を弱めて速く泳ぐ。

何のためにそんなにも速く回遊しなければならないのか理解できないが、ウロコをなくすというかつお自身の引き算によって、皮は食べやすいのだとわかってきた。捨てられた皮にウロコがついていたら、食べるところまで到達できそうもない。

江戸に生まれた初もの好きな文化は「目には青葉山時鳥(ほととぎす)初松魚(かつお)」(山口素堂)と詠まれたが、江戸っ子の長谷川時雨に批判されていることも覚えておかなければいけません。

   *

利鞘をとつて衣食し、肥る商人を賤しめたのを、江戸の市井でうまれた「川柳」が、初鰹でもつてよく語つてゐる。
  初鰹女の料(れう)る魚でなし
  初鰹旦那ははねがもげてから
  初鰹煮て喰ふ氣では値がならず
  初鰹得心づくでなやむなり
  初鰹値をきいて買ふ物でなし
「はねがもげてから」は飛ぶやうに賣れる勢のいいうち買はないといふことであり、「煮て喰ふ氣」はさしみにする品は高いからであり、「得心づくでなやむ」のは安かれ惡かれ、中毒(あた)るのを承知で買つた、といふ皮肉で、平日貧乏人と見下される側から、旦那側の、金持ち吝嗇をあざけつたものだ。
(長谷川時雨「初かつを」)

   *


[PR]
# by suigyu21 | 2017-12-07 18:09 | Comments(0)

引き算レシピ10 お茶

小学校に入ったばかりの私を父が撮影した写真が何枚かある。そのなかの一枚に固定された私は茶の間のこたつに入り、自分専用の湯呑みでお茶を飲んでいる。祖母から母へと伝わったお茶好きをすんなりと受け継いでいるのだ。子供たちにも年に何度か、ふだんのものとは根本的に違うおいしさのお茶をいれてもらえることがあった。新茶だったのか、玉露だったのか、玉露の新茶だったこともありうる。

   *

普通の人は茶を飲むものと心得ているが、あれは間違だ。舌頭《ぜっとう》へぽたりと載《の》せて、清いものが四方へ散れば咽喉《のど》へ下《くだ》るべき液はほとんどない。ただ馥郁《ふくいく》たる匂《におい》が食道から胃のなかへ沁《し》み渡るのみである。歯を用いるは卑《いや》しい。水はあまりに軽い。玉露《ぎょくろ》に至っては濃《こまや》かなる事、淡水《たんすい》の境《きょう》を脱して、顎《あご》を疲らすほどの硬《かた》さを知らず。結構な飲料である。眠られぬと訴うるものあらば、眠らぬも、茶を用いよと勧めたい。
(「草枕」夏目漱石)

   *

「草枕」の老人が六歳の私に直接こう話してくれたなら、きっときちんと理解できたと思う。あのころから、お茶のせいで眠れないことはない。

抹茶の味を知ったのはおとなになってから。茶道の心得はなくたって、点ててもらったお茶は文句なくおいしい。お菓子も付いているものね。自宅でひとりのときには、抹茶にすることが増えた。それらしい碗に抹茶を入れ、お湯をそそいで茶筅でささっと混ぜる。お茶の味のために茶筅だけは欠かせないと思う。一口飲めば、千利休の「茶の湯とはただ湯をわかし茶をたてて飲むばかりなる本を知るべし」というお言葉をもっとも単純に実現しているような気持ちになる。一杯で満足できなければもう一杯。抹茶や粉茶は飲んでしまうとあとに何も残らない。引き算は成立しないいさぎよさです。インスタントというわけではないのに、お湯さえあればすぐに飲める。旅に抹茶を持っていくのはいい考えだと思う。

そして、お茶に似合う花といえば、だんぜん侘助椿だ。

   *

侘助椿は実際その名のやうに侘びてゐる。同じ椿のなかでも、厚ぽつたい青葉を焼き焦がすやうに、火焔の花びらを高々と持ち上げないではゐられない獅子咲(ししざき)のそれに比べて、侘助はまた何といふつつましさだらう。黒緑の葉蔭から隠者のやうにその小ぶりな清浄身(しやうじやうしん)をちらと見せてゐるに過ぎない。そして冷酒のやうに冷えきつた春先の日の光に酔つて、小鳥のやうにかすかに唇を顫(ふる)はしてゐる。侘助のもつ小形の杯では、波々(なみなみ)と掬(く)んだところで、それに盛られる日の雫(しずく)はほんの僅かなものに過ぎなからうが、それでも侘助は心(しん)から酔ひ足(た)つてゐる。
(「侘助椿」薄田泣菫)

   *

お茶の木が椿の一種だと判明したのは一八一八年らしい。八世紀には「茶経」が書かれてずっと飲まれ続けていたのに、正体がわかるまで長い時間がかかっている。そんな人間界の事情とは関係なく、お茶と侘助とは同じ椿として呼び合っていたにちがいない。侘助が「心から酔ひ足つてゐる椿」なら、お茶は「飲むばかりなる椿」だろうか。ふたつの椿の取り合わせは茶室の中もいいけれど春先の日の光の下でもよく似合う感じがする。


[PR]
# by suigyu21 | 2017-12-02 19:52 | Comments(0)

引き算レシピ9 山葵

好きなものは、と訊かれたら、些の躊躇なしに、旅と酒と本、と私は答える。
種田山頭火「雑記」

   *

あまりにもそのものずばりな、好きなもの。どう考えても反論はできません。

旅はこの身を遠くにはこぶ。本はここで静かに読んでいるのに知らない間にどこか遠くにはこばれてしまう。その間にある酒は、飲むほどに別世界にはこばれることがあれば、ここにはないかあってもかけらだけの、この世のあるべき姿を見せてくれることもある。三つの順番が山頭火らしいと思うけれど、泥酔して死んだ山頭火にとっては、この三つは別々に存在している好きなものというより、旅と酒、酒と本、と酒は旅と本とにぴったりとはりついていると感じる。よく考えるとおそろしいことだ。おいしく飲んで、ある量に達するとそれ以上は飲めなくなる体質でよかった。おかげでアルコールのおそろしさとは無縁でいられる。

寒いときにはお燗した酒がよい。あたたかい日本酒はすぐに吸収されるからグビグビとは飲めないし、かならず肴が必要なのもいいことだ。食べながら飲むと、酒も肴も、よりおいしくなる不思議は、足し算ではなくかけ算だと思う。

味と酒がよいかけ算になるように、肴は引き算でいきたい。たとえば、こんなふうに。

   *

酒の良いのを二升、そら豆の塩茄(しおゆで)に胡瓜(きゅうり)の香物(こうのもの)を酒の肴(さかな)に、干瓢(かんぴょう)の代りに山葵(わさび)を入れた海苔巻(のりまき)を出した。
「深川の散歩」永井荷風

   *

東森下町の二畳と四畳半の二間きりの裏長屋に深川夜烏という俳人が元芸者の妻とその母と姉の四人で暮らしていた。そしてある日その家に友だち十人ほどを招いた酒宴のメニューがこれ。四畳半に毛布を敷き真ん中に食卓を置いて宴会場としたらしい。

永井荷風によれば、深川夜烏は「山の手の町に居住している人たちが、意義なき体面に累(わずら)わされ、虚名のために齷齪(あくせく)しているのに比して、裏長屋に棲息している貧民の生活が遥に廉潔(れんけつ)で、また自由である事をよろこ」んだ人であり、「この湯灌場大久保の裏長屋に潜(ひそ)みかくれて、交りを文壇にもまた世間にも求めず、超然として独りその好む所の俳諧の道に遊んでいたのを見て、江戸固有の俳人気質(かたぎ)を伝承した真の俳人として心から尊敬していた」。

そら豆と胡瓜だから、きっとこの酒宴は夏だったのだろう。野菜を季節のものに変えて、山葵だけの海苔巻きがあれば、どの季節でも完璧にいけそうだ。わが家では海苔の袋を開けたら一帖ぜんぶを四半分にして密封容器に入れかえる。だから各自海苔にごはんとすりおろした山葵を好きなように好きなだけ乗せて、くるりと巻けばいい。あえてすし飯にしなくてもよさそうだ。

山葵が残るようだったら、梅干しひとつの実と同じ量のすりおろした山葵とを叩いてあえる。鶯宿梅という美しい名前がつけられていて、これ以上はありえないほどに日本酒と合う。もちろんごはんにも合う。かけ算の結果が最高値を記録すること間違いなしです。


[PR]
# by suigyu21 | 2017-12-02 19:51 | Comments(0)

引き算レシピ8 きゃべつのおかゆ

野菜をゆでて食べるなら、まず歯ごたえよく、さらに色よく仕上げたいと思う。だから、頃合いをみはからって短時間でお湯から引き上げる。というのが常だった。しかしイタリアには野菜をほとんど歯ごたえのなくなるまでゆでたり蒸したりする食べかたがあるらしいことを本で知り、「ゆでカリフラワー」なるものを半信半疑でやってみた。

やってみたといっても、塩を入れたお湯に丸のままのカリフラワーを入れて、ふたをして中火でゆでるだけ。くずれる寸前までやわらかくゆでたカリフラワーをそっと取り出してざるに上げてお湯をきり、小さな房に分けて塩とオリーブオイルをかけて食べる。たったこれだけのことなのに、なぜこんなにおいしいの? 口のなかでやわらかく甘くとけていく。「ゆでさやいんげん」というのもあって、こちらはやわらかく蒸し煮にしたものを塩とオリーブオイルににんにくを加えてあえる。やはり、甘い! やわらかくなるにしたがって野菜の成分のなにかが変化して甘くなるのかな。どこかごちそうという感じの味になっている。

三年くらい前に発見したこの調理法をまたしみじみと見直すことになったのは「ともしい日の記念」(片山廣子)を読んだから。

   *

米一合に小さいきやべつならば一つ、大きいのならば半分ぐらゐ、こまかくきざんで米と一しよにぐたぐた煮ると、米ときやべつがすつかり一つにとけ合つてしまふ。うすい塩味にして、それに日本葱を細かく切つて醤油だけで煮つけて福神漬ぐらゐの色あひのもの、まづ葱の佃煮である、これをスープ皿に盛つたお粥の上にのせて食べる。宿屋のお勝手で教へられたとほり作つてみると、温かくて甘くすべこく誠によい舌ざはりであつた。

   *

敗戦直後の軽井沢で、著者と同じ宿屋の二階に二人の子供があるアメリカ人一家が、「夕飯の時はきまつた量のパンと一品の肉料理、野菜と、そのあとでお粥をたべた」という、そのおかゆなのである。ゆでカリフラワーの味を経験していれば、きゃべつのおかゆのおいしさはズバリ想像できる。「このごろ食べるものはそれ程くるしくないのできやべつのお粥なぞ久しく忘れてゐたが、これは今食べても中々おいしい」と、ちゃんと書いてある。ぐたぐた煮るとなれば冬のしっかり巻いたきゃべつがよさそうだ。葱の醤油煮がさらに想像をかきたててくれる。

ともしい日、とは戦争中と戦後の食べるもののなかったころをいう。乏しく苦しかった日の記念日として年に一度「こんなきやべつのお粥とか砂糖なしの塩あんしることか、肉なしコロツケとかいふやうな献立を考へて、それもそれなりに愉しくおいしく食べてみたらどうかと考へる」。

「ともしい日の記念」は一九五三年出版の『燈火節』に収録されている。片山廣子は一八七八年の生まれだから終戦の年には六十七歳だった。日々食べるものから見出された「何とかして健全に愉快に生きつづける工夫」を静かに受けとめていきたい。

一九一〇年代からアイルランド文学を翻訳・紹介した松村みね子は片山廣子のもうひとつの名前です。


[PR]
# by suigyu21 | 2017-11-30 20:53 | Comments(0)

引き算レシピ7 トマト

森光子主演の「放浪記」を見たことがある。記録的な再演を重ねただけあって、芝居としてはある種の完成をみせていておもしろかったけれど、林芙美子その人は森光子演じる芙美子とはまったく相容れない別人のような気がした。「放浪記」という芙美子の青春時代から死ぬまでのお話には、パリに住んだり、戦時中に報道班の一員として中国、ジャワ、ボルネオなどに行ったというあたりはきっと意識的にカットされたのだろう。

   *

これからはトマトも出(で)さかる。トマトはビクトリアと云う桃色なのをパンにはさむと美味(うま)い。トマトをパンに挟む時は、パンの内側にピーナツバタを塗って召し上れ。美味きこと天上に登る心地。(「朝御飯」林芙美子)

   *

一九三九(昭和十四)年に出版された選集に載っているこんな洒落た味わいも森光子の林芙美子にまったくなかったものだ。

ビクトリアとはどんなトマトなのだろうか。皮が無色透明なトマトを桃色系というらしいから、桃太郎に似ているのかもしれない。ピーナツバタと合わせるのなら、甘いほうがおいしそうだ。それをやわらかい食パンで挟んだサンドイッチ。それを食べながら桐野夏生の『ナニカアル』を読めば、新しい林芙美子に出会えそうだ。

どんなに冷房のきいたキチンでも、暑いときにはできるだけ火を使いたくない。トマトは切るだけでおいしく使える強い味方だと思う。

たとえば朝ならトマトごはん。ひとり一個分のトマトをさいころに切る。ショウガを最低ひとかけみじんに切って、塩とともにトマトと混ぜ合わせる。ショウガは多めにね。しばらくそのまま置いて、トマトから水分が出てくるのを待ちます。あたたいごはんを茶碗に盛って、モミ海苔を一面にかける。その上からトマトを汁ごとかけて、まぜあわせながら、はい、召し上がれ。塩味のきいたトマトがごはんと海苔にからまっておいしいのです。トマトは完熟のものだけでなく、未熟(?)な青くさいものもおいしい。

パスタなら冷たいトマトソースを。予定しているパスタが全部入る大きさのボールか鍋にオリーブオイルを入れ、ニンニクのみじん切りと唐辛子、それから塩胡椒を好きなだけ加えて、香りがオイルに移るまでしばらく置いておく。そこに乱切りのトマトを入れてよく混ぜてから、パスタを茹ではじめる。パスタが茹であがるときにはトマトからジュースがたっぷり出てきているはず。トマトは皮を剥いて使うほうがおいしいと言われているけれど、私は剥かない。パスタを熱いうちにどっとトマトソースに投入して、じゅうぶんにトマトのジュースを吸わせたら、はい、召し上がれ。ソースにいろんなハーブを入れてもおいしいが、トマトだけのほうがさっぱりしていて夏らしい。でも大葉なら、細切りにしてたっぷりのせるとさらに夏の味になります。

トマトはパンやごはんやパスタと相性がいい。真夏の朝や昼間に、太陽といっしょに食べるのがよく似合うのはそのせいかもしれない。


[PR]
# by suigyu21 | 2017-11-30 20:51 | Comments(0)

引き算レシピ6 青菜

春は菜の花の仲間の青菜を毎日のように食べる。かき菜からはじまって菜の花はもちろん、アスパラ菜など、そのほろ苦さを五月くらいまで楽しめる。茹でるか油で炒めるか。

茹でたときは醤油に黒酢を少しまぜて、かける。炒めるときは、ぜひ上質のオリーブオイルで。薹のほうから先に入れて、できるだけ水分を出さないように炒めていく。ぜんたいにじゅうぶんオイルがまわって柔らかくなったら、酒をジュッと入れ、最後に醤油をかけまわして出来上がり。このやりかたは辰巳芳子さんがずいぶん前に新聞に書いていたものだと記憶している。オリジナルはこうして炒めた青菜をごはんの上に乗せる青菜丼だったかもしれないが、私が炒める青菜の量はごはんの上には乗り切れないほど多い。毎日食べてもまったく飽きない、不思議な春よ。小松菜のような青菜を炒めるときにはニンニクを入れたりするが、春の薹立ち菜は足し算をこばむ。

「智恵子は東京には空がないといふ」(高村光太郎「智恵子抄」)が、土がない。それでも、線路脇の土手などにはいろんな草が萌え出ている。菜の花だってよく見かける。あれを摘んで食べてみたら、栽培されているものよりずっと苦いのだろうか。

よもぎを摘んで持って帰ると、まだ元気だった祖母はすぐによもぎ団子にしてくれた。砂糖と混ぜたきな粉をたっぷりかけて食べる。こどもの摘み草はこんなところ止まりで、土筆はかたちがおもしろくて摘んではみても、食べることにまで興味はおよばなかった。

幸田露伴の「野道」はおとなの楽しみ色の強い摘み草のお話。洒々落々たる三人の先輩につれられて、「瓢酒野蔬で春郊漫歩の半日を楽もう」という趣向。それぞれ少しの酒と、杉の片木に味噌を塗って焼いたものを持ち、田舎道を歩いていく。江戸川の西の土手の上がり端に着くと、それぞれの酒を一杯。

そのうち先輩たちはひとりずつ野蔬をとってくる。まずは「春の日に光る白い小さい球根を五つ六つ……球は野蒜であった。焼き味噌の塩味香気と合したその辛味臭気は酒を下すにちょっとおもしろいおかしみがあった。」

次に「もっさりした小さな草……自分はいきなり味噌をつけて喫べたが、微しく甘いが褒められないものだった。何です、これは、……薺さ、ペンペン草も君はご存知ないのかエ」そして「百姓家の背戸の雑樹籬……には蔓草が埒無く纏いついていて、それに黄色い花がたくさん咲きかけていた。その花や莟をチョイチョイ摘取って、……花は唇形で、少し佳い香がある。食べると甘い、忍冬花であった。」
さて、自分の番だ。ようやく見つけた「桑のような形に裂れこみの大きい葉の出ているもの」を、「真鍮刀でその一茎を切って手にして一行のところへ戻って来ると、……それはタムシ草と云って、その葉や茎から出る汁を塗れば疥癬の虫さえ死んでしまうという毒草だそうで、食べるどころのものでは無い危いものだということであって、自分も全く驚いてしまった。こんな長閑気な仙人じみた閑遊の間にも、危険は伏在しているものかと、今更ながら呆れざるを得なかった。」

できることなら、いっしょに連れていってほしかった。くせのありそうなおじいさんたちと楽しみながら学べたら、おりこうになれたのに。


[PR]
# by suigyu21 | 2017-11-29 22:03 | Comments(0)

引き算レシピ5 ひっぱりうどん

お昼にはよく納豆そばを作って食べる。ふつうに売っている乾麺を使うので季節は問わないアバウトなもの。ちょっと早めに茹で上げた冷たいそばの上にきゅうりの千切り、その上に納豆、その上にねぎ、と重ねて入れ、そばつゆをかけまわすだけのもの。卵を入れるひともいるがわたしは入れないほうが好き。

そんな納豆そばのことを山形育ちの友人に話したら、彼の地では納豆はうどんとともに食べるもので、蕎麦はちがう、と言われた。

春の山菜のころ、宮城県と山形県を分つ奥羽山脈の山のなか、山形よりにある小さな村をたずねたことがある。おばあさんにくっついて山菜をとり、保存法もおしえてもらった。ともかく採集したらその日のうちに保存のための処理をしてしまわなければならない。その鉄則のため夕暮れどきはいそがしいのだが、食べなくては処理のための労働にさしつかえる。そこで明るいうちに庭にあるかんたんなかまどに羽釜をかけてお湯をわかし、乾麺をゆでるだけの「ひっぱりうどん」がはじまるのだった。

たれはふたつ。ひとつは納豆+ねぎ+醤油、ひとつは味噌+マヨネーズ+ねぎ。ねぎを切るだけの手間で、熱いうどんをからめて食べるとふしぎにおいしい。味噌とマヨネーズはおばあさんのオリジナルでおどろきのおいしさだ。

家でも冬にはよく釜揚げうどんを食べる。ゆであがったうどんを鍋ごと食卓に出して、おのおの麺つゆにつけて食べる。鍋の中はうどんだけなので、べつにおかずを用意していたのだが、あるとき思いついて、うどんといっしょに野菜などもゆでてみた。そしたらいけるんですね。

色や香りのたちすぎるものは避けて、たとえば薄く切った大根、しいたけ、白菜、豆腐、ねぎ、しょうが、などをうどんの出来上がり時間から逆算して、ちょうどよく煮えるように入れていき、最後に水菜をぱっと投じたら火をとめる。うどんの塩味がほんのりきいているせいだろうか、うまく煮える。ねぎやしょうががすでに入っているので薬味は七味があればじゅうぶんだ。

ほかにおかずはいらないという観点からは引き算かもしれないが、鍋の中をのぞけば足し算にも思える。どちらにしても、かんたんでバランスがとれている。唯一の難点はおいしくてつい食べ過ぎてしまうこと。

「青空文庫」のなかで、うどんをよく食べているのは織田作之助など西の方の作家たち。なかでも林芙美子と種田山頭火の作品には多く登場する。あたたかいうどんはおなかを満たす放浪の友だったのかもしれません。

かたや納豆は東の人の好きなもの。

「私は、筋子(すじこ)に味の素の雪きらきら降らせ、納豆(なっとう)に、青のり、と、からし、添えて在れば、他には何も不足なかった。」(太宰治「HUMAN LOST」)

もちろん朝ごはんです。

「納豆の糸のような雨がしきりなしに、それと同じ色の不透明な海に降った。」(小林多喜二 蟹工船)というのに行き当たった。納豆もこうした風景になると、奇妙なおいしさに反比例するかのように、存分に厳しい。


[PR]
# by suigyu21 | 2017-11-29 21:59 | Comments(0)