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水牛だより

2011年 01月 20日 ( 7 )

愉しみ 6(2008.11.25)

「トロイメライ」の三日間はいろんな人と会えてうれしかった。このマガジンイワトでおなじみの何人かにも会うことができた。文章を読むのはもちろん楽しみだけど、それを書いた人と会うのにはまた別の楽しみがある。文章から勝手に想像しているイメージとその人がおんなじでもまったくはずれでも、どちらでもふっふっふっ、と笑えるのはなぜかしら。

「トロイメライ」の主人公のサキとカイは12歳、演じる遠藤良子さんと鈴木光介さんの実際の年齢は少なくともその二倍以上ではあるだろうと思うけれど、ふたりともちゃんと12歳になっている。初日のステージをドアの脇の補助椅子にすわって見ていたら、ふとひらめいた。この12歳のコウスケくんが「ぼくは12歳」を歌ったらどうだろう、と。まだ一度も男の子に歌われたことのないこの歌はコウスケくんを待っていたのかもしれない。このアイディアは自分だけの一夜の夢だとしても悪くないと思ったが、それなら「うたのイワト」でやってみる? とシアターイワトがまた太っ腹な提案をしてくれたのだった。即座にコウスケくんとピアニスト(=作曲者)に快諾をもらって、ぐんぐん現実のものとする。

「ぼくは12歳」はほんとうに12歳で自殺した岡真史くんという男の子が残したいくつかの詩に作曲されている。藤井貞和さんの詩を歌ったり語ったりする「寝物語」は病気でいじめられてもうすぐ死ぬ男の子の話。でもそこには死だけがあるのではない。ということがコウスケくんのまっすぐな声からはきちんと伝わるような気がする。

男の子が12歳ならば、もうひとりおばあさんがいてくれるといいと思うと。新井純さんはまだおばあさんではないけれど、息子を戦争で亡くした「祖母の歌」(詩は木村迪夫さん)などを歌ってくれることになった。

『高橋悠治ソングブック』をうたう、うたのイワトの初日は2009年1月29日(木)午後七時からです。

『高橋悠治ソングブック』は綴じていない在庫がまだ少しあります。限定100部の私家版として作ったので、委託販売などはしません。でも欲しい方にはもちろんおわけします。水牛あてにメールをいただければ内容や価格についてお知らせいたします。手製本というそのことだけですぐに愛着を持っていただけるようで、そのことは少部数の出版というのを考え直すきっかけになるかもしれないと思っています。綴じるのに使った麻糸はとてもじょうぶですが、でも切れることがないとはいえません。そうなった場合には綴じ直しますからご安心ください。アフターケアも万全なのです。糸が切れるほど使われたら楽譜はしあわせ。
by suigyu21 | 2011-01-20 22:38 | Comments(0)

愉しみ 5(2008.9.25)

8月10日、シアターイワトでフラライブ「Island style」を見て聞いて笑う。ハワイやマオリや小笠原の歌とジーンスのフラはよく似合っていた。帰りにスコールのような雨に降られたのもまるで熱帯の島のようで気持ちよかったな。雨に濡れながら思う。歌はだれのものだろう。ことばを書いたひとがいて、曲を作ったひとがいる。はじめて歌ったひともいるだろう。だからといって、歌はそのひとたちのものだ、といってしまうと、なんだか違う。みんなのもの、というわけでもない。歌は歌そのものとしてそこにある、たぶんだれものでもない。

「トロイメライ」の公演にあわせて高橋悠治作曲のソングブックを作ろうと思ったのは、歌たちが独り立ちするのをちょっとだけ後押ししたかったから。思いつくのはかんたんだが、かんたんな思いつきを実現するのはかんたんとは言いきれない。

コピーが当たり前になってから、楽譜はむしろ取り扱いがたいへんになったのではないかしら。そもそも出版されているほとんどの楽譜や五線紙はA4やB4という定型サイズにはぴったりとおさまらない。まるでコピーするなと言っているみたいだ。しかたなく元の譜面より一回り大きなサイズにコピーされたぺらぺらの譜面はよく譜面台から落ちそうになっている。ライブで目にする光景ですね。

複数ページのものは1ページずつコピーしてセロハンテープで貼り合わせることが多いようだ。しかしセロハンテープはすぐに劣化する。接着剤が茶色に変色して紙に染み込み、テープははがれ、無惨な状態になってしまう。

そんなふうな実情だから、楽譜集を作るなら譜面台に乗せて使うことを前提にしなくてはいけないと強く思う。サイズも紙の種類も製本のしかたも、譜面台に乗せたときに快適でないとだめだ。この場合の快適とはよけいな心配をしないで楽譜に集中できるということで、そこを押さえていれば細部はきっと自然に決まってくるでしょう。

歌は「都市」(如月小春)、「世界でいちばん大きな木のうた」(長谷川四郎)、「おやすみなさい」(石垣りん)、「水牛のように」(ウェンディ・プサード)、「ぼくは十二歳」(岡真史)、「名前よ立って歩け」(中屋幸吉)、「ゆめのよる」(谷川俊太郎)など30曲ほどの予定。楽譜ソフトでかかれたものあり、手がきあり、歌うだけでなく、じっと眺めるだけでも楽しめます。PDFファイルが揃ったら(ということはまだ揃っていない・笑)、一気に進めよう。『高橋悠治ソングブック』は「トロイメライ」の初日9月19日に発売開始です。
by suigyu21 | 2011-01-20 22:35 | Comments(0)

愉しみ 4(2008.7.25)

シアターイワト主催の高橋悠治ポータブルシアター「トロイメライ 子供の情景 2008」に水牛(=わたし)も全面協力することになっている。もとになる如月小春さんの同名の戯曲の入力という最初のしごとを終え、作者に渡して、協力者としての第一歩はスタートした。

こどもが自殺するという事件がニュースになりはじめたころに書かれた「トロイメライ」の初演は1984年だった。その後もたくさんの中高生によって演じられてきたのは、かれらにとって、この夢(トロイメライ)がリアルだったからだ。

中高生のための「上演のための小さな手がかり」の一節。「この台本を書いている間、私の頭の中になったのは、何かキラキラする光のようなもの。遠くの街のネオンサイン、雪の夜道に光があたってきらめく様子。そして夢見る子供たちの瞳……。キラキラするもの、それはたぶん、好奇心と、勇気と、愛する心とを持った〈サキ〉の瞳のこことなのでしょう。夢を、工夫してみてください」(1992 如月小春)

「白く明るい 言いようのない痛ましさ 少年の心にひろがる空白を いまにも切れそうな細い糸でつなぎとめて いのちの側へとひきもどす少女の物語を 断片となったことばと音と沈黙の織物として再構成し 1984年にこの戯曲を書き 2000年にこの世界から消えてしまった如月小春の影を追う夜の航海」(2008 高橋悠治)

初演から20年以上がたち、こどもの自殺もなんだか日常の事件のようになってしまった今、如月さんの蛍光色のファンタジーはどのように再構成されるのだろうか。作者が充電するのを待ちつつ、協力者としてはそれ以外のことを考える。

この公演は高橋悠治さんの70歳の誕生日を祝うために企画されたものなので、その日にあわせて水牛で小さな出版物を用意したいと考えた。詩集のアイディアは拡大して、みすず書房からエッセイ集が出ることになった。もう一つ、歌の楽譜集を作りたい。如月さんの詩による「都市」と「ボクハソンケイスル」は水牛楽団のレパートリーだった。今度の公演でもきっと歌われるだろうから、楽譜があるといいと思う。「冬の旅」のアンコール用に作曲された「民衆に訴える」(詩はシューベルト)や三絃弾き唄いの「おやすみなさい」(詩は石垣りん)など、どれもいろんな人に歌ってもらえたらと思う。上演用のピアノや三絃にとらわれず、伴奏は自分の出来る楽器で弾けるように、アレンジしやすいものに書き直すことを作曲者に要請している。

「冬の旅」の公演では譜めくりを担当しているが、あの楽譜はひじょうに開きにくくて、めくるタイミングでないときでさえも勝手にページが戻ったりするほどだ。そんな楽譜を出版していいのか? と全音楽譜出版社には言いたい。だから水牛の楽譜は気持ちよく開くように糸で綴じるつもり。紙もよく吟味しよう。真夏に汗をかきながら作業することになるのかな。
by suigyu21 | 2011-01-20 22:33 | Comments(0)

愉しみ 3(2008.5.25)

ずっと気づかないふりをして避けてきたが、とうとうコンピュータのシステムを新しくする時期が来てしまった。しかたがなく移行すべきデータを整理しはじめる。メールボックスの中身も必要のないものは捨てようと思って、ずらずらとスクロールして見ていくと、もうこの世にいない三人からのメールが保存してあるままだ。いなくなる少し前に届いた何通かだけ、なんとなく捨てられなかった。日常のちょっとしたことや、会う約束のメール。彼女たちの不在に苦しめられて、実体のないデジタルのメールなら、ふと返事を出してみると、死んだ人にだって届くのではないかという気もしていた。彼女たちのエネルギーは輪廻転生して、すでに来世を生きていると仏教ではいう。みんなわたしのことは覚えていないだろうから、もしもメールが届いても、ふん、わけのわからないジャンクメールね、とすぐにゴミ箱行きでしょう。それでもいい、来世で元気にしていてほしい。

三人はそれぞれの死に方で死んだ。ひとりは自殺、ひとりは交通事故、ひとりは病気で。自殺する人は年に三万人以上いるというし、交通事故死は七千人。病死はいったい何人くらいいるのか見当もつかない。そんなふうに直接の死因はなんらめずらしいものではない。自分では自殺はしないと思うけれど、交通事故や病気はいつやってくるかわからない。あすは自分の番かもしれないな。

死んだ友人たちのおかげで死の核心にせまることを思いつつ、コンピュータの左側の堆積を見る。処理する必要があるものだけでなく、一度手にとったものはとりあえずなんでもここに積み重ねるくせがあるのだ。食べかけのチョコレート(リンツのペッパー入り)、水道料金の払い込み用紙(引き落としでなく毎月現金払い)、筆記用具、リモンチェッロのレシピ(ぜったいに作る!)、エッセンシャルオイルの成分表、ピアス、ファックスで届いたCDの売上報告書、なにかのアンケート用紙、中毒確実『プロ級ナンプレ』(いつでもパズルにとりかかれるよう鉛筆と消しゴムが挟んである)、プリントしたレイアウト用紙、届いた手紙を返事用の絵はがき、などなどの間に読みかけや読む予定の本、仕事用の本が何冊も乱雑に積まれ、頂上にはさっき買ってきたパンの袋まで置いてある。

ああ、このままではあす死ぬわけにはいかないわ。いくら乱雑でも自分では何がどこにあるのか把握しているが、自分以外の人にはぜんぶ無意味で、きっとどうしていいかわからないだろう。コンピュータの中だけでなく、机の上や本棚や押し入れや、つまり身の回りのすべてをきちんと整理して、安楽に死ねる日はくるのだろうか。
by suigyu21 | 2011-01-20 22:31 | Comments(0)

愉しみ 2(2008.3.25)

朝起きたらまずは空を見上げて天気を確認しないと一日がはじまらない。カーテンを開ける前から気配を感じる雪の日は、どうしたって「冬の旅」(歌斎藤晴彦+ピアノ高橋悠治)の北海道ツアーのことを思い出す。吹雪に迎えられた初日、コンサートを終えて外に出た留萌の夜は、降ったばかりのさらさらの雪が街の灯にきらきらと輝いて明るかった。雪の日に歌を聴くなら「冬の旅」、詩を読むなら小樽生まれの美形、小熊秀雄ですね。

小熊秀雄の全集を出版した創樹社がなくなってしまったので、全五巻を入力して青空文庫で公開しようと思い立ったのはもう前世紀のことだ。名づけて、小熊秀雄プロジェクト。勤勉で作業の早い浜野智さんと組んだおかげで、詩や小説、童話などは次々と公開できたのだが、水が低いほうに流れるように、いつの間にか怠惰で作業の遅いわたしのペースになり、ついに休止してしまった。本人にその気があるうちは、長いことそのままになっていても誰も何も言わないのが、ボランティア活動のいいところでもあり、よくないところでもある。

これも前世紀のことだが、冬の札幌で、詩人の江原光太さんが朗読する「長長秋夜(ぢゃんぢゃんちゅうや)」を聞いた。「朝鮮よ、泣くな、」で始まり。終わりの「すべての朝鮮が泣いてゐる」まで269行、小熊秀雄を代表する長篇詩のひとつだ。この詩を英訳したデイヴィッド・グッドマンによれば「これは日本の朝鮮に対する文化政策を正面から弾劾し、犠牲者との連帯を宣言するような単純な作品ではなく、老婆というもっとも弱い者たちの苦しみをきめこまかく記録することで、朝鮮の悲劇を痛烈に描写する作品である」。

しかしわたしにとってもっとも印象が深かったのは江原さんの声にのって何度もあらわれる「トクタラ、トクタラ」という音のひびきだった。老婆が木の台の上で洗濯物を棒(パンチ)で打つ音である。長長秋夜といえばトクタラであり、老婆の姿が目に浮かぶ。

小熊のたくさんのエッセイなど、まだ公開していないものも入力だけは済んでいるのだ。次の冬までにはプロジェクトを完結させなくては。あ、でもその前にアーサー・ビナード英訳の『焼かれた魚』を読んでみようと、近くの図書館に予約した。行き先がはっきり決まっていると道草せずにいられない。
by suigyu21 | 2011-01-20 22:25 | Comments(0)

愉しみ 1(2008.1.25)

友人たちと青空文庫をはじめて10年がすぎた。無事に10歳を迎えた記念に「青空文庫製本部」というのをつくった。書店にあふれる大量生産の本と、自分好みの一冊だけの工芸品のようなルリユールとの間に、手渡すために自力で気軽にできる製本技術というのがありそうな気がする。青空文庫のなかからテキストを選んで編集し、内容にふさわしい装幀を考えるのは楽しい。読みたい人や読んでほしい人の分だけ作って、無駄なく配れるといいなと思う。

デジタルテキストという抽象を、本という具象に呼び戻す小さなこころみといえばカッコいいが、ほんとは道草好きな邪悪な虫が騒ぎ出したというところ。

次の製本ワークショップのためには田山花袋の『蒲団』を選んだ。最近文庫(講談社文庫)になった中島京子の『FUTON』を見てひらめいたのだ。『FUTON』は『蒲団』を本歌取りした長編小説で、2001年の東京を舞台にいくつもの込み入った三角関係の物語がくりひろげられる。さらにその物語には、『蒲団の打ち直し』という小説が挟みこまれている。笑えるタイトルの小説の著者は現代の竹中時雄(『蒲団』の主人公)として物語に登場し、時雄のように三角関係に翻弄されるアメリカ人の日本文学研究者デイブ・マッコリーという設定だ。『蒲団の打ち直し』の主人公は『蒲団』では名前のない竹中時雄の妻である。原作から100年後の視点で打ち直された『蒲団』の妻の物語は本歌の痛烈な批評となっていておもしろい。

それが証拠に、『FUTON』の後に『蒲団』を読むと、悩める主人公竹中時雄は動物のオスそのものだという気がしてくる。野生動物の生態のドキュメンタリーを見ると、どんな動物もいつだってオスはメスをめぐって本気でこぜりあいをくりかえしていて、そのマジメでコッケイな姿が時雄とダブる。もしかして、オスメス関係の基本は三角なのだろうか?

ともあれ『蒲団』をまずプリントして製本し、それから『FUTON』のピカピカなカバーとペラペラな表紙をはがして、落ち着いた表紙をつけよう。そしてその二冊を並べてみる。デジタルとアナログ、『FUTON』と『蒲団』、新しいものと古いものとがわたしの手のなかで出合う。
by suigyu21 | 2011-01-20 21:35 | Comments(0)

イワトの愉しみ

「イワト」というリトルマガジンが2008年1月から2010年の終わりまでの3年間、隔月で発行されていた。タイトルからわかるとおり、編集・発行はシアターイワト。なんでもいいから好きなことを書いてみるように、と言われて、短いけれども18回も書いてしまった。あまり書くこともなく、書く気もない私にとっては3年も連載したというのは初めてのことだった。

シアターのほうのイワトでは何度か制作を担当した公演があり、ワークショップのイワトでは製本の講師(エヘン!)をしたので、そのことについて書くのに苦労はなかった。問題はそうした実際のあれこれが何もないときになにを書くのか、ということで、う〜む。PCで書くときには顔が下向きになる。季節によって汗や鼻水が自然に垂れて来て、ブスの縁に追いやられるのだったが、書く気もないのにどこか癖になり、3年も続けていると、ちょっと楽しみになったのでありました。

書くことがちょっぴり楽しいと実感できたのは「イワト」のおかげ。そのメモリーのために自分の書いたものをここに転載することにした。題して「愉しみ」1から18まで。イワトというタグを付けて、いざ。
by suigyu21 | 2011-01-20 21:33 | Comments(0)