おもしろい人とつきあう
「社交的人間とはどういう人かというと、第一に分別がある。常識といってもいいかもしれません。とにかく分別をよくもっていることが大事。しかしそれだけでは退屈だ。そこで奇妙な人、いわゆる奇人であることが求められる。分別をもっていて、しかも奇人である。そういう人とつきあえばとてもおもしろいわけですが、そういう人がイギリスの近代では大事にされたんです。」(丸谷才一@「考える人」2008年夏号)
分別をもっていることが前提で奇人であるというのは成り立つわけだ。たしかにそういう人とつきあえばおもしろいだろう。でもほとんどいません、そんな人。まわりに奇人はたくさんいるけど、彼らがこの先分別を手にするとはとうてい思えない。両方をそなえるのがむつかしいのなら、分別の人よりは奇妙な人がいいな。
分別をもっていることが前提で奇人であるというのは成り立つわけだ。たしかにそういう人とつきあえばおもしろいだろう。でもほとんどいません、そんな人。まわりに奇人はたくさんいるけど、彼らがこの先分別を手にするとはとうてい思えない。両方をそなえるのがむつかしいのなら、分別の人よりは奇妙な人がいいな。
by suigyu21
| 2008-07-16 21:30
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