センセイとわたし
片岡義男さん(著者のセンセイ)とわたし(編集者)とでこれまで三冊の小説を作ってきた。高齢者世帯などの定義にならうと、センセイとわたしはまぎれもなく高齢者コンビだ。しかし二人とも自分の年を忘れているのか、どこか年齢不詳な感じがあると言われる。『白い指先の小説』ができたとき、よぼよぼになるまでいっしょに仕事しましょうね、と言ったら、よぼよぼにはならないでしょう、という応えが返ってきた。ずっと年齢不詳でいくらしい。
こどものころ、自分たちがどんなおばあさんになるのかしゃべっていると、わたしは骨と皮でガリガリに痩せた意地悪ばあさん(長谷川町子の描いたような)になるにきまってるとみんなが言う。骨と皮の間にだいぶ余分なものがついて予想のようにガリガリではないけれど、意地悪は好き。父親の『文藝春秋漫画読本』にいつも載っていた「意地悪爺さん」を愛読して、ああいうおじいさんの友だちがいるといいなあと思っていた。おばあさんの友だちはいたが、おじいさんには恵まれなかった。
テディのころの片岡さんには『意地悪な本』という著書があるが、いまも単刀直入な意地悪度が高くて清々しい(笑)。意地悪が好きな編集者にとっては仕事がしやすくて、よぼよぼになるまでやっていけそうな気がするのです。
こどものころ、自分たちがどんなおばあさんになるのかしゃべっていると、わたしは骨と皮でガリガリに痩せた意地悪ばあさん(長谷川町子の描いたような)になるにきまってるとみんなが言う。骨と皮の間にだいぶ余分なものがついて予想のようにガリガリではないけれど、意地悪は好き。父親の『文藝春秋漫画読本』にいつも載っていた「意地悪爺さん」を愛読して、ああいうおじいさんの友だちがいるといいなあと思っていた。おばあさんの友だちはいたが、おじいさんには恵まれなかった。
テディのころの片岡さんには『意地悪な本』という著書があるが、いまも単刀直入な意地悪度が高くて清々しい(笑)。意地悪が好きな編集者にとっては仕事がしやすくて、よぼよぼになるまでやっていけそうな気がするのです。
by suigyu21
| 2008-06-24 17:30
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Comments(3)
おふたりの意地悪なら、いつでも受けさせていただきます。後進(?)のためにも、しっかりと「正しい意地悪」の勉強をしておかなくてはいけませんからね。あとは、元気過ぎるおふたりを追い抜いて、先によぼよぼにならないようにしなくては、と最近感じ始めているところです。
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私も絶対によぼよぼにはなりません(断言) (笑)
先日は、私が片岡さんに意地悪をしたけど、乗ってきてくれませんでした。(サインではなく、何か別の文字を書いてと頼んだこと)
次の機会はどんな機会になるのか今から楽しみです。
先日は、私が片岡さんに意地悪をしたけど、乗ってきてくれませんでした。(サインではなく、何か別の文字を書いてと頼んだこと)
次の機会はどんな機会になるのか今から楽しみです。
『意地悪な本』の裏表紙に著者自身の広告というのに、
「(タイミングのよい意地悪は)あらゆるストレスを吹きとばし、最高の健康法といえる」と書いてありますよ。だからよぼよぼにならないのでしょうか???
当人たちの意識ではスカッとして仕事をしているのに、若い人からはどことなくよぼよぼに見えるというのがよろしいと思います。
「(タイミングのよい意地悪は)あらゆるストレスを吹きとばし、最高の健康法といえる」と書いてありますよ。だからよぼよぼにならないのでしょうか???
当人たちの意識ではスカッとして仕事をしているのに、若い人からはどことなくよぼよぼに見えるというのがよろしいと思います。