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水牛だより

柿を甘くする

秩父産の干し柿をいただいた。出来立て、といっていいだろうか、太陽によって渋柿が完全に甘くなってすぐの干し柿は、身をふたつにさいてみると、中はとろけるようにやわらかい。

久しぶりにとろけるような干し柿を食べながら思い出す幼いころの記憶。小学生になる前だから1950年ごろのことだ。仙台に祖母の家があって、敗戦後の一時期、みんながそこで暮らしていた。路面電車の終点から坂を登っていくと、坂の途中の右手に浄水場があり、左手からは広瀬川の流れが見渡せた。その先をさらに歩いて、どんづまりのような山道の脇にその家はあった。住所には「字」がついていた。門から玄関までまた坂を少し登ってゆく、その途中に大きな柿の木があった。冬のはじめに実が色づくと、まだ若かった叔母たちがその柿を採るのだが、渋柿なのでそのままでは食べられない。皮をむいて、藁でできた縄に、採るときに小さく残しておきた枝を差し込んでいく。柿の実がいくつかぶらさがっている縄を軒下の竿にずらりとのれんのようにかけていく。そして甘い干し柿になるのを待つのだった。

ちょっとおいで、と叔母に呼ばれて部屋にいくと、3人か4人の叔母たちがテーブルだったのかこたつだったかにすわっている。そしてテーブルだったかこたつだったかの上には大きなザルが置いてあり、干し柿がたくさんいれてある。天井から下がっている電球の暖かい光の下で、柿はどれもおいしそうな色に見える。しかし、干し柿にとっては微妙な時期で、完全に甘くなっているのもあれば、渋が残っているのもある。渋いのに当たると口中が渋くなって、その渋がなかなかとれずつらいけれど、甘くなったばかりのものは最高においしいのだ。その見極めができると思われていたわたしが呼ばれて、ザルのなかから甘くなったものだけを選んで叔母に手渡す役目を果たすのだった。実際に、なぜか甘くなっているものがわかり、何度選んでみても、失敗は一度もなかったと思う。干し柿をおいしいと感じるにはまだ幼なすぎたのに、なぜ?

父が長男だったからか、父の妹の叔母たちにとってはじめての姪のわたしは、生まれたときから関心を持たれ、あれこれと干渉されつつ育った。干し柿選びも、叔母たちのレクリエーションだったのかもしれないと思うこともある。わたしが選ぶのを失敗しても、甘いよと言って、そのときを楽しんだのではないだろうか。4人の叔母たちはすでにみなこの世の人ではないから、確かめることはできないが、そんなふうに想像することができるなにかが、そのときには確かにあったのだろう。

寒風と太陽にさらされて時間がたつうちに、柿はどんどん甘くかたくなってゆき、春の前には食べ尽くすか残り少なくなる。雪の山形で知人の家を訪ねたときにもそんな干し柿をごちそうになったが、「こいづはやらんねなあ」と言われた。これはあげられないわ。わかります、と思わず応えてしまったほど、おいしさが凝縮していた。自家製の干し柿は彼女のソウルフードだ。

ティムラズ・レジャバ駐日ジョージア大使のツイッターによれば、ジョージアでも干し柿を作るそうだ。日本とそっくりな柿ののれんの写真もあって、なんとなくうれしい。
https://x.com/TeimurazLezhava/status/1855601269467132375


by suigyu21 | 2024-12-31 14:25 | Comments(0)