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水牛だより

幼いころ

『シベリアの俳句』の続きでヴァルター・ベンヤミンの「一九〇〇年頃のベルリンの幼年時代」を読みたいと思って、その本はここにあるが、まだ読んでいない。幼年時代というものをもう少し徘徊してみたいのだ。

いま、当たり前に存在していて、わたしの幼年時代にはなかったものは多い。電気といったら電灯を連想するくらいで、TV、冷蔵庫、洗濯機、炊飯器などなかった。部屋はほとんどが畳だったし、トイレは汲み取り式。電話もない家のほうが多かった。ちょっと考えてもこんな具合で、いったいどうやって暮らしていたのだろうと自分のことながら不思議な気がする。ラジオはよく聞いた。聞こえてくるのはことばだけなので、勝手に思い違いをしていることがよくあって、いくつかは覚えている。

たとえば。日曜日の午後に「のど自慢素人演芸会」があり、それが終了するときにかならず「司会はミヤタテルでございました」とか言うのだが、その意味がまったくわからないのだった。司会の意味がわからないし、ミヤタテルが名前だということもわからない。ただたどしく大人に聞いてみるのだが、今度はわたしの質問の意味がわかってもらえない。

ベンヤミンの幼年時代とは雲泥の差だとは思うけれど、自分の記憶にある幼年時代を呼び戻しながら、読んでみたい。

 すばらしき好運われに来し如し大きデリツシヤスを二つ買ひたり(片山廣子)


by suigyu21 | 2024-10-01 17:17 | Comments(0)