夏のりんご
こどものころ、8月も半ばをすぎるころに、まだ暑さ本番なのにその年はじめての青リンゴが出て、それを丸齧りするのが好きだった。いかにも採れたての若くて新鮮な青い色。齧ると皮と果肉のあいだがちょっと渋く、酸っぱさと少しの甘さのバランスは夏らしくてさわやかだ。そしてそこから冬までずっとりんごは身近にあった。
「りんごをかじると血がでませんか」とかいう歯ブラシだったか歯磨き粉だったかのCMがあったくらいで、少し前まではりんごは丸齧りするものであり、齧るとしばしば歯茎から出血するのであった。
ここ2年から3年、毎朝りんごをひとつ、連れ合いとわけあって食べている。去年の夏からは、長時間貯蔵されてスポンジのようになった国産のりんごよりは、ニュージーランドの採れたてのほうを選ぶようになった。何種類か輸入されているので一応すべて味わってみて、JAZZというのに落ち着いている。そろそろ南半球のりんごの季節は終焉に向かっていて、かわりに今年の長野県産が少しではじめている。りんごは遺伝子もしっかり解析されているようだし、なにより長期保存の技術によってこのように一年中食べることができるようになっている。
ニュージーランド産のりんごは、一つをふたりで分け合うにはちょっと小さいけれど、食べすぎるよりはいいだろう。朝、一口食べればなんとなく気分もしゃっきりするのは、軽いりんご依存症かもしれないが、特に弊害はないと思う。
りんごを手に取るとき、このひとつのりんごが自分のところにやってくるまでのりんごの時間を考えたりする。りんごの木は人間よりも先に存在していただろうけれど、失楽園からはじまって(はじまりはもっと前かもしれない)、人間が生まれてからはともに生きてきたのだから。
少し前に書いた『シベリアの俳句』にもりんごが何度も印象的に出てきた。リトアニアでもりんごが栽培され、人々はよく食べる。冬になると小さく切ったりんごの身を乾燥させて保存したものは彼らのソウルフードだ。シベリアに強制移住させられた人びとは、りんごのタネと蜜の滲み出た乾燥りんごを持っていく。りんごのタネはバケツの土の中から芽を出したが、それきり大きくは育たない。ある夜、ひどい吹雪に襲われて、たくさんの人が寒さで死んだ。翌日、遺体を埋葬するために土を掘るが、硬く凍結した土は人間の力では掘り起こせない。それで、凍った川に穴をあけ、そこから遺体を川に流すのだった。きのうまで仲良くしたり喧嘩したりしていた親しい人たちが、凍った川面の下を流れていくのをみんなで見送る。さいごに「シベリアではりんごは育たない」と言って、りんごの芽も川に流される。それがおとむらい。
林檎一個が墜ちた。地球は壊れる程迄痛んだ。最後。
最早如何なる精神も発芽しない。
(「最後」 李箱)
この夏に津軽産のシードルを一本もらった。軽く発泡するりんごのお酒をつめたくして飲むとおいしい。りんごの発酵酒なので、アメリカやヨーロッパでは水よりも安全だと言われたこともあったようだ。日本では以前からニッカがシードルを作っている。さらにアップル・ワインも作っている。若いころ、ニッカのブランデーを飲みつつ、これはりんごが原料で、つまりカルヴァドスと同じなんだよ、とおしえてくれた人はどうしているかな。ひさしぶりにりんごの香りたつニッカのブランデーを飲みたくなってきた。
「りんごをかじると血がでませんか」とかいう歯ブラシだったか歯磨き粉だったかのCMがあったくらいで、少し前まではりんごは丸齧りするものであり、齧るとしばしば歯茎から出血するのであった。
ここ2年から3年、毎朝りんごをひとつ、連れ合いとわけあって食べている。去年の夏からは、長時間貯蔵されてスポンジのようになった国産のりんごよりは、ニュージーランドの採れたてのほうを選ぶようになった。何種類か輸入されているので一応すべて味わってみて、JAZZというのに落ち着いている。そろそろ南半球のりんごの季節は終焉に向かっていて、かわりに今年の長野県産が少しではじめている。りんごは遺伝子もしっかり解析されているようだし、なにより長期保存の技術によってこのように一年中食べることができるようになっている。
ニュージーランド産のりんごは、一つをふたりで分け合うにはちょっと小さいけれど、食べすぎるよりはいいだろう。朝、一口食べればなんとなく気分もしゃっきりするのは、軽いりんご依存症かもしれないが、特に弊害はないと思う。
りんごを手に取るとき、このひとつのりんごが自分のところにやってくるまでのりんごの時間を考えたりする。りんごの木は人間よりも先に存在していただろうけれど、失楽園からはじまって(はじまりはもっと前かもしれない)、人間が生まれてからはともに生きてきたのだから。
少し前に書いた『シベリアの俳句』にもりんごが何度も印象的に出てきた。リトアニアでもりんごが栽培され、人々はよく食べる。冬になると小さく切ったりんごの身を乾燥させて保存したものは彼らのソウルフードだ。シベリアに強制移住させられた人びとは、りんごのタネと蜜の滲み出た乾燥りんごを持っていく。りんごのタネはバケツの土の中から芽を出したが、それきり大きくは育たない。ある夜、ひどい吹雪に襲われて、たくさんの人が寒さで死んだ。翌日、遺体を埋葬するために土を掘るが、硬く凍結した土は人間の力では掘り起こせない。それで、凍った川に穴をあけ、そこから遺体を川に流すのだった。きのうまで仲良くしたり喧嘩したりしていた親しい人たちが、凍った川面の下を流れていくのをみんなで見送る。さいごに「シベリアではりんごは育たない」と言って、りんごの芽も川に流される。それがおとむらい。
林檎一個が墜ちた。地球は壊れる程迄痛んだ。最後。
最早如何なる精神も発芽しない。
(「最後」 李箱)
この夏に津軽産のシードルを一本もらった。軽く発泡するりんごのお酒をつめたくして飲むとおいしい。りんごの発酵酒なので、アメリカやヨーロッパでは水よりも安全だと言われたこともあったようだ。日本では以前からニッカがシードルを作っている。さらにアップル・ワインも作っている。若いころ、ニッカのブランデーを飲みつつ、これはりんごが原料で、つまりカルヴァドスと同じなんだよ、とおしえてくれた人はどうしているかな。ひさしぶりにりんごの香りたつニッカのブランデーを飲みたくなってきた。
by suigyu21
| 2024-09-01 17:20
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