青空文庫はカノンを撹乱する
元旦に公開された青空文庫のそらもようは「カノンを撹乱するために――青空文庫に本を持ち寄ること」と題されている。そうなのよね、とカノンを撹乱するために、という文言にひとりで深くうなずく。首が折れそうなほど深くうなずいた。
収録作品数が二万近くなると、なんとなくではあっても、最初に計画や設計のようなものがあって、それに沿って構築してきたような感じがするかもしれないが、青空文庫にはそんなことはまったくないのだった。それぞれの理由があってそれぞれが公開したい作品を持ち寄って、いまがある。公開のための条件がクリアされているなら、作品は受け入れられたから。
月に一度、水牛を更新するときに、その月の水牛について短いテキストを書いている。寄せられたテキストを公開準備完了にしてから、最後にそのテキストを書くので、時間はあまりない。そのテキストの冒頭に、「一月」とか「二月」とか、月の名前が入っている短いテキストを引用しようと思いついた。もうだいぶ前のことだ。「五月」についてはハイネの詩を覚えていたので、それがきっかけだったかもしれない。ちょうどそのころだったか、いやもっと前だったか、青空文庫のなかの全文検索ができるようになったので、その機能を使ってみようと思ったのだ。すると。
月がかわる二、三日前くらいに検索してみると、どの月についても、とうていすべてを読むことができないほどの検索結果が出てくることを発見した。その無数ともいえる検索結果のなかで、毎月かならず上位にヒットするのが片山廣子の「或る国のこよみ」だった。ファイルを開いて見てみると、ヒットする理由はすぐにわかった。ケルトのこよみが以下のように綴られている。
一月 霊はまだ目がさめぬ
二月 虹を織る
三月 雨のなかに微笑する
四月 白と緑の衣を着る
五月 世界の青春
六月 壮厳
七月 二つの世界にゐる
八月 色彩
九月 美を夢みる
十月 溜息する
十一月 おとろへる
十二月 眠る
どこかの月は引用したと思うが、どの月だったかな、もう忘れてしまった。
なんども片山廣子という名前を見るので、これもなにかの縁と、他のエッセイを読んでみたら、たちまちとりこになった。たとえば「赤とピンクの世界」は一度読んだら忘れられない。赤貧というびんばふではなく、ピンクいろぐらゐのびんばふの世界について。青空文庫で公開されているものだけでは飽き足らず、わたしの書斎と呼んでいる近くの図書館で片山廣子と翻訳用のペンネーム松村みね子の著作はすべて読み、伝記も読んだ。
元旦のそらもようのなかの一節にはこうある。
「青空文庫の総合インデックスを開いたとき、全文検索を行ったとき、閲覧アプリでランダムに選び出されたとき、多くの作品のなかからひとつ、カノンを攪乱するような作品が現れて偶然目にとまる――そのような瞬間が生み出せるようなアーカイヴを、意志の積み重ねの結果として築いてきたのです。」
わたしの片山廣子との出会いはまさに、この具体的な体験だったと思う。全文検索が可能だからこそ体験できた。その後もときどき自分の関心のあるちょっとした単語を検索の窓に入れてみる。たとえば、ボタンとかマッチなど、具体的でちいさなものがよいように思う。思いもよらない結果が出てくるとうれしい。カノンを撹乱するような作品が現れるとさらにうれしい。青空文庫でアンソロジーを作ってみたらおもしろいだろうなあ。
収録作品数が二万近くなると、なんとなくではあっても、最初に計画や設計のようなものがあって、それに沿って構築してきたような感じがするかもしれないが、青空文庫にはそんなことはまったくないのだった。それぞれの理由があってそれぞれが公開したい作品を持ち寄って、いまがある。公開のための条件がクリアされているなら、作品は受け入れられたから。
月に一度、水牛を更新するときに、その月の水牛について短いテキストを書いている。寄せられたテキストを公開準備完了にしてから、最後にそのテキストを書くので、時間はあまりない。そのテキストの冒頭に、「一月」とか「二月」とか、月の名前が入っている短いテキストを引用しようと思いついた。もうだいぶ前のことだ。「五月」についてはハイネの詩を覚えていたので、それがきっかけだったかもしれない。ちょうどそのころだったか、いやもっと前だったか、青空文庫のなかの全文検索ができるようになったので、その機能を使ってみようと思ったのだ。すると。
月がかわる二、三日前くらいに検索してみると、どの月についても、とうていすべてを読むことができないほどの検索結果が出てくることを発見した。その無数ともいえる検索結果のなかで、毎月かならず上位にヒットするのが片山廣子の「或る国のこよみ」だった。ファイルを開いて見てみると、ヒットする理由はすぐにわかった。ケルトのこよみが以下のように綴られている。
一月 霊はまだ目がさめぬ
二月 虹を織る
三月 雨のなかに微笑する
四月 白と緑の衣を着る
五月 世界の青春
六月 壮厳
七月 二つの世界にゐる
八月 色彩
九月 美を夢みる
十月 溜息する
十一月 おとろへる
十二月 眠る
どこかの月は引用したと思うが、どの月だったかな、もう忘れてしまった。
なんども片山廣子という名前を見るので、これもなにかの縁と、他のエッセイを読んでみたら、たちまちとりこになった。たとえば「赤とピンクの世界」は一度読んだら忘れられない。赤貧というびんばふではなく、ピンクいろぐらゐのびんばふの世界について。青空文庫で公開されているものだけでは飽き足らず、わたしの書斎と呼んでいる近くの図書館で片山廣子と翻訳用のペンネーム松村みね子の著作はすべて読み、伝記も読んだ。
元旦のそらもようのなかの一節にはこうある。
「青空文庫の総合インデックスを開いたとき、全文検索を行ったとき、閲覧アプリでランダムに選び出されたとき、多くの作品のなかからひとつ、カノンを攪乱するような作品が現れて偶然目にとまる――そのような瞬間が生み出せるようなアーカイヴを、意志の積み重ねの結果として築いてきたのです。」
わたしの片山廣子との出会いはまさに、この具体的な体験だったと思う。全文検索が可能だからこそ体験できた。その後もときどき自分の関心のあるちょっとした単語を検索の窓に入れてみる。たとえば、ボタンとかマッチなど、具体的でちいさなものがよいように思う。思いもよらない結果が出てくるとうれしい。カノンを撹乱するような作品が現れるとさらにうれしい。青空文庫でアンソロジーを作ってみたらおもしろいだろうなあ。
by suigyu21
| 2024-02-01 18:52
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