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水牛だより

10月29日(日)は満月

10月29日、午後の明るい時間に入院中の友人を訪ねた。ベッドの脇にすわって、彼の右手を握ったままでしばらくおしゃべりを楽しむ。娑婆では手を握るどころか触ったこともないのに、まるで約束をしたように、お互いの手がすっと相手の手に伸びていくのは不思議なことだった。
日曜日の病院は人が少なくて静かだ。病気のひとたちにはあれこれ不平不満はあるみたいだけど、基本的には休日でもきちんとケアされている。帰り道、数人しか乗っていないバスのなかで、ガザではこいういう病院も爆撃されていることを思う。

病院の霊安室はたいてい地下にあって、霊安室というよりは死んだばかりの死体置き場という感じが濃厚にただよっていることが多い。でもそうとばかりはいえない。埼玉県立小児医療センターの霊安室は病院の最上階にあるという。そこでは外の光が山本容子さん作のステンドグラス「星めぐりの歌」を通して部屋に満ちている。明るい光に包まれた亡骸から、ちいさな人のたましいは軽々と空をめざし、どこかで世界と混じりあうのだろう。こんなふうに、たましいの安らかさを願う明るいひかりがもっともっとあってもいいのにと思う。
パレスティナの子どもたちが腕に油性ペンで名前を書かれている映像を見た。彼らが死んだときにすぐ身元がわかるように、という理由だった。たましいの安らかさなど、どこにもない。
水牛楽団のレパートリーに「パレスティナのこどものかみさまへのてがみ」という歌があったが、そのころより事態がよくなっているとはとうてい思えない。世界は分断を深め、武器は威力を増している。どこかに明るさはあるのだろうか。

日暮れから顔を出しはじめた満月を中天まで見届けながら、春に亡くなった友人をふと思う。この美しい満月を彼が見ることはぜったいにない。しかし、わたしが見ている空間のどこかに彼のスピリッツは存在しているのだから、別世界にいながらいっしょにいるのだと思うことにした。

十月はたそがれの月。その最後の日曜日の夜、満月を眺めながら、わたしは東京に生きていた。


by suigyu21 | 2023-10-31 15:00 | Comments(0)