危険に近づく
10月最後の日曜日の朝、ツイッターにおしえてもらった世界の森の音を集めたサイトで、日本や東南アジアやヨーロッパやブラジルなどの森の音を聴く。木々の葉ずれの音、風の音、鳥の声、雨の音、流れる水の音、などに耳をすます。音だけなのがとてもいい。静かな森はどこにもないことがわかる。
https://timberfestival.org.uk/soundsoftheforest-soundmap/
新しく出た本をあれこれ見ていて、『いきている山』に注目する。スコットランド北東部の村に生まれたナン・シェパードが1944年から45年ごろに執筆したものらしい。
「スコットランド北東部のケアンゴーム山群。深成岩塊が突き上げられ、氷と水の力により削られてできた約4000フィート(1219m)の山々。プラトーが広がり、湖や池が点在し、泉が湧く。この地にほど近いアバディーンに生を享けた作家ナン・シェパード(1893-1981)は、生涯、この山に通い、この山を愛した。
ナンの登山は、高さや速さを競うものではない。山の「内側」や「奥地」を求めて山に入る。山に会いに行き、山と共に過ごす。ナンは犬のように山々を歩き回る。五感を解放し、いきている山の営み――光、影、水、風、土、岩、木、草花、虫、鳥、獣、雨、雪、人――に出会い直す。」とある。犬のように山々を歩き回る人の本の序文はロバート・マクファーレンが書いていて、そのタイトルは「我歩く、ゆえに我あり」とある。読まなくては!
https://www.msz.co.jp/book/detail/09529/
「書物は危険なものかもしれないが、それ以上に、ありとあらゆる危険をみずから引き受けているのが読書である。
読書は、読む行為に全霊を傾ける人々を完全に変貌させる体験だ。真の書物を部屋の片隅でしっかりと握りしめていなければならない。なぜなら、真の書物は共同体の慣習に逆らうものだからだ。読書する人は「別世界」、部屋の壁の隅の自分だけの「片隅」に独りで生きる。こうして、読者は書物を通して、都市にいながらにして、かつて体験した孤独が穿つ深淵にたった独りで、身をもって対峙するのである。読んでいる書物のページをただめくるだけで、たったそれだけで、読者は彼自身を生み出した(性的な、家族の、社会的な)裂け目を裂き続ける。」(パスカル・キニャール『静かな小舟』小川美登里訳 水声社2019)
https://timberfestival.org.uk/soundsoftheforest-soundmap/
新しく出た本をあれこれ見ていて、『いきている山』に注目する。スコットランド北東部の村に生まれたナン・シェパードが1944年から45年ごろに執筆したものらしい。
「スコットランド北東部のケアンゴーム山群。深成岩塊が突き上げられ、氷と水の力により削られてできた約4000フィート(1219m)の山々。プラトーが広がり、湖や池が点在し、泉が湧く。この地にほど近いアバディーンに生を享けた作家ナン・シェパード(1893-1981)は、生涯、この山に通い、この山を愛した。
ナンの登山は、高さや速さを競うものではない。山の「内側」や「奥地」を求めて山に入る。山に会いに行き、山と共に過ごす。ナンは犬のように山々を歩き回る。五感を解放し、いきている山の営み――光、影、水、風、土、岩、木、草花、虫、鳥、獣、雨、雪、人――に出会い直す。」とある。犬のように山々を歩き回る人の本の序文はロバート・マクファーレンが書いていて、そのタイトルは「我歩く、ゆえに我あり」とある。読まなくては!
https://www.msz.co.jp/book/detail/09529/
「書物は危険なものかもしれないが、それ以上に、ありとあらゆる危険をみずから引き受けているのが読書である。
読書は、読む行為に全霊を傾ける人々を完全に変貌させる体験だ。真の書物を部屋の片隅でしっかりと握りしめていなければならない。なぜなら、真の書物は共同体の慣習に逆らうものだからだ。読書する人は「別世界」、部屋の壁の隅の自分だけの「片隅」に独りで生きる。こうして、読者は書物を通して、都市にいながらにして、かつて体験した孤独が穿つ深淵にたった独りで、身をもって対峙するのである。読んでいる書物のページをただめくるだけで、たったそれだけで、読者は彼自身を生み出した(性的な、家族の、社会的な)裂け目を裂き続ける。」(パスカル・キニャール『静かな小舟』小川美登里訳 水声社2019)
by suigyu21
| 2022-11-01 10:31
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