ある日の午後でした
数年前には片岡義男さんが東京のあちらこちらを撮影するときに誘われて行った。その時のある日のことを書いたものが出てきました。(?) いま振り返ると、まるで夢のようだ。
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午後3時少し前に待ち合わせ場所の「chi-zu」に着く。深煎りのシアトルブレンドを注文して、片岡さんを待つ。まだランチやサンドイッチを食べている人がいるのは日曜日だからか。カウンターには子供連れもいる。3時を少し過ぎて片岡さんがあらわれる。「こんにちは」。
一杯のコーヒーを飲み終えて、不忍通りに出る。風のある曇った日曜日の午後の千駄木だ。古書ほうろうに向かって歩くとすぐに、閉店してかなりたち、いまは誰も住んでいない薬局がある。その建物は撮影されるべく、前に来たときよりもほんのすこし劣化の度合いを強めて、私たちを待っていてくれた。剥げかけた看板。太陽と風で劣化を続けるブルーの縞の陽よけ。カーテンの閉まった引き戸の前にはなにも載せられていないワイアのラックがあり、その隣には壊れかけたコンドーム自動販売機がそのまま置かれている。「正しい家族計画」という文字の意味について思う。
親戚に薬剤師の伯父がいて小さな薬局を経営していた。子供のころに母に連れられてときどき遊びにいくと、店は宝の山のようで、おいてあるものをすべて点検しないではいられない。たったひとつ、用途のわからないもの、それがコンドームだった。店番をしつつ謡をうなったりしている伯父に「これ、なあに?」と聞いてみるが「そのうちわかるようになる」と言うばかりで用途については教えてくれない。店の外に自動販売機もあったのだろうか。
薬局の撮影をおえて、不忍通りの向こう側に目を向けると、すずらん通り商店街の入口が見える。その入口の全貌を片岡さんは写真に撮る。コンデジのモードを変えて撮影された一枚は、黒く燃え立つような世にもおそろしい路地の入口の静止画となった。
不忍通りを渡って、すずらん通り商店街の入口に立つ。角にはやはり薬局がある。すでに閉店しているのは先ほどの薬局とおなじ。私「薬局が多いですね」。片岡さん「年寄りが多いんだよ」。看板の「クスリ」という赤い字などを撮る。道路に置いてある看板の文字は薄い木の板やゴムの板をていねいに切り抜いたもので、それらが白く濁ったプラスチックに強力に貼りつけてある。
すずらん通り商店街のアーチをくぐった。入ってすぐ左側に喫茶店があり、営業中だ。すずらん通りの雰囲気を強めているたたずまいに、帰りはここでコーヒーをもう一杯、ときめる。しばし立ち止まって通りの全体を観察してから歩き始め、細部を点検しつつ、撮影していく。
すずらん通りは戦後不忍通りにあった露店があつまって形成されたという。それから半世紀以上も夜ごとの夢をつむいできた。午後の曇り空の下では、古い小さな店の集まりはどことなくわびしくみすぼらしい。看板を降ろした店は手入れもされていないから、朽ちつつある部分が放置されている。丸い窓にかかる竹の桟の片方ははずれている。明日には取り壊されても不思議ではない古さを記録に残す。コンデジの小さなモニターに切り取られた風景を見て、片岡さんは何度も「わあ」と言う。これが片岡さんの感嘆符だ。切り取られた風景は色彩が現実よりもずっと鮮やかになって、どこか夢のようだ。特に看板の赤い字やゴミバケツの薄いブルーがより美しくなる。
すずらん通りは全長100メートルにも満たない路地で、不忍通りとよみせ通りをつないでいる。店の明かりが灯るころは華やいだ雰囲気となるのだろうか。
よみせ通りに出ると、すぐ右側にさらに狭い路地があって、すずらん通りの店の裏のドアが連なる裏道となっている。そのさらにひとつ先の路地を入る。きょうのお目当てのひとつがこの路地の途中にあるはずだ。以前古書ほうろうに来たときにカメラなしで歩いて見つけた「パーマ」の看板、しかも赤い字の。あれから半年ほどは経過している。その看板がいまもありますようにと願いながら歩いていく。路地の途中の右側の奥まったところにそれはちゃんとありました。看板がかかっているのは木造二階建ての建物の、外につけられた階段の途中だ。美容院は下の部屋なのかそれとも二階なのか、どちらもそのようには見えないごく普通の部屋だ。建物の脇にある隣の路地への細い通路を抜けると、美容院の入口はそちらの路地にあった。さきほどのすずらん通りの裏の路地だ。昭和のモダンな美容院の抜け殻。窓ガラスの幾何学的模様やドアの角度などおしゃれな様子から人気の美容院だったことが想像できる。ドアの把手には大きく「Pull」と書いてあり、その「P」という字の上部のまるく閉じた部分のなかには日本語で「引く」と小さくある。すばらしい。でもすでに死んでいる建物だ。片岡さんは感嘆符を連発しながらひとり静かに撮影を続ける。人は誰も通らず、一匹のねこだけが退屈そうにときどきこちらを見ている。
ふたつの路地での撮影で充足して、ふたたびよみせ通りに出る。日曜日でもあり、観光客がたくさん歩いている。これが現実、これも現実。へび道に向かって歩いていく。食堂のウインドウに料理のサンプルが置いてあれば近づいて撮る。オムライス。とんかつ。五目そば。餃子。片岡さんの原点か。一軒の中華料理屋の前を通りかかると「ここは撮ったことがあるなあ」と片岡さんがつぶやく。窓枠を赤や緑に塗った小さな窓に特徴がある。店は閉まっている。谷中のほうから歩いてきたおじさんが、立ち止まって店を見ている私たちに「ここは閉まっちゃったの、ダンナが死んじゃったからね」と解説してくれる。
よみせ通りからへび道にのびるこの道は藍染川という川で不忍池まで流れていた。雨が降ると、狭い谷底を流れる川には両方の高台から水が流れこんで増水することが多かったという。そのため1921(大正10)年に暗渠にする工事が始められた。
よみせ通りは商店の連なるただの道としか思えない。へび道に入ると、道は細くなり、その名のとおり、へびのように蛇行しているから、川だったことが想像できる。もうそろそろかと地図を開いてみた目の前が、もうひとつの目的地の焼き菓子屋さんだった。古いモルタルの二階屋に手を入れて、おしゃれで小さい店が何軒かならんでいるなかの一軒だ。フロランタンだけをそこで焼いて売っている。夕方近かったので、残っているものを買い占めたようで、買ったほうも、おそらく売ったほうも、満足でした。その建物の端に借り手を募集している小さな部屋がひとつあった。あそこを借りて、原稿を書く部屋にしたらどうだろう。表に向けて「執筆中」という札をかけて。片岡さんがそう言うので笑った。風景としてならじゅうぶん過ぎるほどおもしろい。
いま来た道を引き返す。へび道はよみせ通りに向かって歩くほうが景色がいい。まがりくねった細い道の角に引かれた白い線は車がぶつからないためのガイドだろうか。白線の中を緑に塗られた路上の三角形も、不思議な物体のように撮影された。
すずらん通りに戻ると、すでに何軒かの店にはのれんが出ていた。コーヒーを飲むことにきめていた喫茶店に入ると、さっき写真撮ってたでしょう、と言われる。あたりを観察していた私たちは観察されていた人でもあったのだ。次々と質問をうけ、小田急線沿線の遠くからわざわざやってきたヒマな人たちと認定されたようだった。コーヒーをさっと飲み終えて、千駄木の駅に着いたら午後5時を少し過ぎていた。
by suigyu21
| 2021-08-29 21:09
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