水牛だより

水に映る影とその影を浮かべている水

『ハウスキーピング』(マリリン・ロビンソン 篠森ゆりこ訳 河出書房新社)を読んだ。ハウスキーピングが家事のことだとすれば読む気にならないタイトルだけど、この小説では家事ではなく、家族のつながりが主題となっている。家族とは血のつながりだ。語り手の女の子は母を自殺で失い、その自殺した母は父を鉄道事故で失っている。母は自分が運転する自動車で湖に飛び込む。その父は湖にかかる橋から乗車していた鉄道ごと湖に落ちた。

湖と水は人間たちとともに主人公であって、その描写が美しくもおそろしい。洪水に見舞われた家の中で火をおこすところや、湖を小舟でいくシーンなど、大量の水は脅威でありながら、人にとって落ち着いた優しさもある。

「そして現在の瞬間というのは、いつも人の考えにすぎない。考えはそれを生む瞬間と関係があり、その関係は大きさや重さにおいて、水に映る影とその影を浮かべている水の関係に等しい。考えも影も、同じように偶然によるものか、ただの受け身だ。かがんで水たまりを覗きこむ人は誰もが水たまりの中の女になり、私たちの目を覗きこむ人は、誰もがその目に映る影になる。これらに反論の余地はない。このように私たちの考えは、前をとおりかかったものを映し出している。でもそれだけではすまない難しさがある。」

水に映る影とその影を浮かべている水の関係、がこの小説を貫いている。そしてそれはこの世界の構造といってもいいだろう。登場人物はまだ生きているようでもあり、すでに死んでいるようでもある。自殺した人や鉄道事故に合った人だって、水中で生きているのかもしれない。生死は明言されていないが、曖昧なのではなく、名言されないままでいいのだった。

この小説に惹かれて、次に『ギレアド』を読み始めたが、こちらは宗教がからんでいるせいか、すぐに挫折した。残念なことだなあ。しばらくしてからもう一度読んでみようか。


[PR]
by suigyu21 | 2018-05-28 13:58 | Comments(0)