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水牛だより

すてきなピンクいろ

貧乏をどのように生きるかを考えることは、貧乏をどのように抜け出すかを考えるよりずっと楽しく役にも立つ。

この場合の貧乏は貧困とは違うし、もちろん赤貧とも違う。明日には死ぬかもしれないなら、楽しいなどと言ってはいられない。そこはひとまず置いておき、赤ではなくピンク色の貧乏がよい、と言ったのは片山廣子だった。近くに住むお金持ちのおばあちゃんが井戸に飛び込んで死んだことを知り、「あの人がこんなにきれいな家の人でなく、もつと貧乏なもつときうくつな生活をしてゐたら、死ななかつたらうと思つたのである。」「たとへ僅かの物でも手に持つことは愉しい。のんきな気もちで人から貰った金では自分が苦労して取つた物ほどたのしい味がないやうだ。びんばふといふものには或るたのしさがある。幸福といふ字も当てはまるかもしれない。死んだおばあちやんはびんばふは知らないで死んでしまつた。」

片山廣子のこのエッセイは「赤とピンクの世界」というタイトルで、6ページほどのもの。おしまいにまたグッとやられてしまう。「このピンク色の世界に住むこともずゐぶん苦しいけれど、びんばふだからいざ死なうといふ気にはなれない。私は欲も得もすつかりは忘れきれない人間だから、懐中になにがしかのお金を持つてゐれば、そのお金のあるあひだは生きてゐるだらう。赤貧となつては、土に投げ出されたお池の鯉のやうに死ぬよりほか仕方があるまい。死ぬといふことは悪い事ではない、人間が多すぎるのだから。生きてゐることも悪い事ではない、生きてゐることをたのしんでゐれば。」

そして森茉莉はさらに貧乏のよさを細部にまで広げた人だ。『贅沢貧乏』な身の回りと、『貧乏サヴァラン』のおいしさ。ピンク色のびんばふにのんきに安住していきたい。なんとか貧乏を抜け出したお金持ちを見てみれば、彼らの辞書には安住ということばはなさそうで、だからなのか、ケチだと思う。ぜんぜん魅力を感じない。


by suigyu21 | 2018-03-31 21:48 | Comments(0)