水牛だより

ポルトガルはペソアからはじまる

花びらや蕾がちょうどあの雪に覆われた椿の花はその部分が茶色く変色してしまっていつもの年のように美しくない。茶色くへたりきった半分を抱えながら半分は新鮮に咲いているが、いつもの年のようには花が目立たない。でもそれは椿には関係のないことだろうと思うが、もしかしたら咲くときに少し苦しいのかしら。

年下の友人たち三人とポルトガル料理を食べた。ふたりは彼女たちが子供のころから知っているので、会って話していると、突然昔の記憶がよみがえってくるのがおもしろい。まあ、たいていはどうでもいいようなことだから忘れているのはむしろ当然なのだ。彼女たちの母親とまず知り合って、そしてそれから彼女たちとも友だちといえるようになった。年齢差が縮まることはないが、30歳を過ぎていれば差はあまり感じないで話している。年齢の差や世代の差というものには鈍感なので、違いがあってもそれをおもしろく感じることのほうが多いし、そもそも違いはどこから来るのかわからない。

ツイッターでフェルナンド・ペソアのボットをフォローしてからというもの、短く切り取られたペソアのテキストを毎日何度も目にする。そしてつい、手もとにある『不安の書』を開く。こういう読みかたは新しいのかもしれないとふと思う。さらにペソアからの連想で、タブッキの『レクイエム』を再読した。そこにいろんなポルトガル料理が出てきて、巻末には料理についてだけの注釈もある。どんな味がするのかと気になっていたところに、ポルトガル料理を食べようという提案があったので、その偶然もひとりで楽しんだ。

タブッキの小説に似合うのは、最後にお店の人がすすめてくれた鯛のリゾットかな。ポルトガルではみんな盛大にデザートを食べるのですと言われて、リゾットの後に四種類のデザートを頼み、四つのお皿を回しながらみんなで食べた。四人がかりでもクリームたっぷりのセラドゥーラを少し残したのは、私だけでなく、みんな食べ盛りを過ぎていることの証拠だった。
[PR]
by suigyu21 | 2014-02-26 20:25 | Comments(0)