言葉を生きる
片岡義男さんの新著『言葉を生きる』が発売になっている。
「図書」に3年ほど連載されたエッセイを一冊にまとめるにあたって、すべてを書きなおす、と片岡さんは言った。そしてその完成まで伴走することになった。最初の原稿が届いたのは昨年の10月の末だったから、そこから数えると、完成までほぼ半年かかったことになる。その前の連載からの時間を加えれば、5年はゆうにこえているだろうと思う。最初の読者という役割で伴走するのは楽しかった。
小説家としての言葉を獲得していく、時間に沿った自伝的なエッセイだから、言葉に関心のある人ならおもしろく読める。読み始めると次へ次へと運ばれていく。片岡さんの小説よりはわかりやすいだろうとも思う。
タイトルを決めるときのこと。これは言葉に関する一冊だから、「言葉」というのは必須だ。最初に「言葉」という言葉があれば、次に来る助詞はおのずから決まってくる。「が」「の」「へ」「で」「に」「は」「や」「よ」「を」くらいしかない。このなかでは「を」が好ましい、なぜなら「を」の次は動詞です、と片岡さんが言った。言葉を生きる、とか? 思いつきでそう言った私に、片岡さんはすかさず、いいね、いいよ、それにしよう、と言って、そのままそうなった。深く考えもしないで口に出した一発目で決まったので、他の候補というのもなかった。そしてそう決まってしまえば、他の何でもありえないと思えてしまうのがおもしろい。
著者の手を離れてから本が完成するまでにひと月くらいはかかる。出来上がった本をぱらぱら読んでみたら、なかなかおもしろかった、というのが著者ご本人の感想だった。何を書いたのかすでに忘れているからね、という注釈がついていたけれど、書く人は自分の書いたものにも、第三者としての冷徹な目を持っているのだと思う。
「図書」に3年ほど連載されたエッセイを一冊にまとめるにあたって、すべてを書きなおす、と片岡さんは言った。そしてその完成まで伴走することになった。最初の原稿が届いたのは昨年の10月の末だったから、そこから数えると、完成までほぼ半年かかったことになる。その前の連載からの時間を加えれば、5年はゆうにこえているだろうと思う。最初の読者という役割で伴走するのは楽しかった。
小説家としての言葉を獲得していく、時間に沿った自伝的なエッセイだから、言葉に関心のある人ならおもしろく読める。読み始めると次へ次へと運ばれていく。片岡さんの小説よりはわかりやすいだろうとも思う。
タイトルを決めるときのこと。これは言葉に関する一冊だから、「言葉」というのは必須だ。最初に「言葉」という言葉があれば、次に来る助詞はおのずから決まってくる。「が」「の」「へ」「で」「に」「は」「や」「よ」「を」くらいしかない。このなかでは「を」が好ましい、なぜなら「を」の次は動詞です、と片岡さんが言った。言葉を生きる、とか? 思いつきでそう言った私に、片岡さんはすかさず、いいね、いいよ、それにしよう、と言って、そのままそうなった。深く考えもしないで口に出した一発目で決まったので、他の候補というのもなかった。そしてそう決まってしまえば、他の何でもありえないと思えてしまうのがおもしろい。
著者の手を離れてから本が完成するまでにひと月くらいはかかる。出来上がった本をぱらぱら読んでみたら、なかなかおもしろかった、というのが著者ご本人の感想だった。何を書いたのかすでに忘れているからね、という注釈がついていたけれど、書く人は自分の書いたものにも、第三者としての冷徹な目を持っているのだと思う。
by suigyu21
| 2012-05-19 23:07
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