きょうがすべて
「屋上」の連載二回目を書き終えてちいさくため息をつく。亀について。
十月というたそがれの国は、ここ東京では木犀の香りにつつまれて始まる。ことし始めてその匂いをかいだのは二日くらい前のことだった。きょうは図書館に行ったついでに、その香りに導かれるままに少し歩いた。花の命は短いが、まだ散っているものはほとんどなく、いわば盛りで、木によってこれからのものも、真っ盛りのものもそれぞれ。たくさんあるからあたり一面木犀の香りにつつまれている。庭木として植えられている木は剪定がきちんとされているが、そのせいなのか花の数が少ない。一方、学校の際にある木はもう少し自然のかたちを残して、花があふれるほどにについていて見とれた。毎日のように歩く道だけれど、木犀の木や葉は地味なので、花のない時期はほとんど存在も忘れて素通りしている。それこそが在り方なのかもしれないと花を見ながら考えた。
明日は雨の予報だから、その雨でちいさな花はきっと一斉に散るだろう。チャンスとばかり満開の花を写真に撮ったのだが、う〜む、パソコンに繋ぐケーブルが行方不明でお見せすることが出来ませぬ。木犀の木のある道の反対側には、これも見事に大きな芙蓉の木があって、白から濃いピンクまでの花をたくさん咲かせていた。もちろん撮影したのですが。。。
十月というたそがれの国は、ここ東京では木犀の香りにつつまれて始まる。ことし始めてその匂いをかいだのは二日くらい前のことだった。きょうは図書館に行ったついでに、その香りに導かれるままに少し歩いた。花の命は短いが、まだ散っているものはほとんどなく、いわば盛りで、木によってこれからのものも、真っ盛りのものもそれぞれ。たくさんあるからあたり一面木犀の香りにつつまれている。庭木として植えられている木は剪定がきちんとされているが、そのせいなのか花の数が少ない。一方、学校の際にある木はもう少し自然のかたちを残して、花があふれるほどにについていて見とれた。毎日のように歩く道だけれど、木犀の木や葉は地味なので、花のない時期はほとんど存在も忘れて素通りしている。それこそが在り方なのかもしれないと花を見ながら考えた。
明日は雨の予報だから、その雨でちいさな花はきっと一斉に散るだろう。チャンスとばかり満開の花を写真に撮ったのだが、う〜む、パソコンに繋ぐケーブルが行方不明でお見せすることが出来ませぬ。木犀の木のある道の反対側には、これも見事に大きな芙蓉の木があって、白から濃いピンクまでの花をたくさん咲かせていた。もちろん撮影したのですが。。。
by suigyu21
| 2011-10-04 20:04
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