先生の流儀?
トークがおしまいにさしかかり、クッツェーのある小説が『誰がために鐘は鳴る』の辛辣なパロディである、という話題になった。話を聞いている私の隣の椅子にすわっている先生がもぞもぞとジーンズの上に右手の指で何か文字を書いている。「が」や「る」が入っているのだけは読みとれた。トークが終わって会場から外に出て、解放されたとたんに先生が言う。『誰がために鐘は鳴る』の話があったでしょう。それを小説のタイトルにしてみようと考えてみたのです。『だれのために柿は成るのか』どうですか?
このふたつのタイトル、おおまかに言えば、鐘と柿、という一文字の違いでしかない。この国では昔から柿を食べれば鐘は鳴ることになっているし、ふたつ並べてみると笑うしかなくて、実際に笑いながら駅までの道を歩いたのだった。そのうち『だれのために柿は成るのか』というタイトルの短編小説が届くのだろうか。翌日、通り道の柿の木を観察すると、もうちいさな花が咲いているので写真にも撮ったほどだ。小説を書くときの先生は私が知っている生身の人格(?)ではなくて、フィクションの人になるらしい。小説について話すことが多いから、わかったような気になって想像していても、出来上がって送られてくる小説はそれとはまったく違う内容のことが多くて、いつも驚かされているのだった。
このふたつのタイトル、おおまかに言えば、鐘と柿、という一文字の違いでしかない。この国では昔から柿を食べれば鐘は鳴ることになっているし、ふたつ並べてみると笑うしかなくて、実際に笑いながら駅までの道を歩いたのだった。そのうち『だれのために柿は成るのか』というタイトルの短編小説が届くのだろうか。翌日、通り道の柿の木を観察すると、もうちいさな花が咲いているので写真にも撮ったほどだ。小説を書くときの先生は私が知っている生身の人格(?)ではなくて、フィクションの人になるらしい。小説について話すことが多いから、わかったような気になって想像していても、出来上がって送られてくる小説はそれとはまったく違う内容のことが多くて、いつも驚かされているのだった。
by suigyu21
| 2011-05-21 20:27
|
Comments(4)

脱力中のespera ですがひと言。作品はどう読もうと「読者」の自由ですが、あの作品の書き手:クッツェーはヘミングウェイのことは念頭にないと思いますよ。カフカやデフォーと違って、ヘミングウェイについて彼が評価している文章も見当たりません。あの作品は主人公と作者との関係をメビウスの輪のように反転可能なものとして書いている不思議な(実験的)小説です。
0

わたしずっと「たがため」と読むのだと思っていました。
ヘミングウェイのは「たがため」と読みますよね。
それを口語体(?)にすると「だれのため」になるかと。
それを口語体(?)にすると「だれのため」になるかと。