揺れている
2月のおわりに仙台にある父のお墓参りに行き、大船渡から仙台に引っ越した友人にほぼ20年ぶりに会ったばかり(彼女の無事は昨日の夜に確認できた)。
父の転勤によって、小名浜で生まれ、宮古と仙台で育ち、塩釜で小学生となった。当時の記憶があるのは仙台と塩釜だけだけれど、育ったところの痕跡はきっと自分のなかにあるのだろう。その大地一帯の揺れで、身も心も揺れる。
東京にいても、これまで経験した地震とはまったく違うエネルギーを感じる、しかも長い揺れだった。揺れがおさまって、本その他がぶちまけられている床を呆然と眺め、少し落ち着いてから、出かけていた家族に電話をするが通じない。こういうときこそのはずなのに、携帯電話はあてにならないのだなと思いつつ、震源はどこかとTVをつけたら、津波が押し寄せている映像が目に入ってきた。あそこに自分がいたらすでに呑み込まれていたのだと確信した。そのような時間の感覚だったから、失われた命は万という単位だろうと一瞬で実感できてしまい、また呆然とした。
余震は続くし、福島原発はコントロールを失うし、落ち着かない日々が続いているけれど、被災地ばかりでなく、いろんなところから明るいニュースも届くようになった。東北の人は開放的で充足していて、しかもガマン強いのだ。それらを心にとめて、今を生きるしかないべ。すべてが落ち着いていく長い時間のなかから、新しいなにかが立ち上がってくるだろう。そしてきっとその芽はすでにあるのだ。んだな!
父の転勤によって、小名浜で生まれ、宮古と仙台で育ち、塩釜で小学生となった。当時の記憶があるのは仙台と塩釜だけだけれど、育ったところの痕跡はきっと自分のなかにあるのだろう。その大地一帯の揺れで、身も心も揺れる。
東京にいても、これまで経験した地震とはまったく違うエネルギーを感じる、しかも長い揺れだった。揺れがおさまって、本その他がぶちまけられている床を呆然と眺め、少し落ち着いてから、出かけていた家族に電話をするが通じない。こういうときこそのはずなのに、携帯電話はあてにならないのだなと思いつつ、震源はどこかとTVをつけたら、津波が押し寄せている映像が目に入ってきた。あそこに自分がいたらすでに呑み込まれていたのだと確信した。そのような時間の感覚だったから、失われた命は万という単位だろうと一瞬で実感できてしまい、また呆然とした。
余震は続くし、福島原発はコントロールを失うし、落ち着かない日々が続いているけれど、被災地ばかりでなく、いろんなところから明るいニュースも届くようになった。東北の人は開放的で充足していて、しかもガマン強いのだ。それらを心にとめて、今を生きるしかないべ。すべてが落ち着いていく長い時間のなかから、新しいなにかが立ち上がってくるだろう。そしてきっとその芽はすでにあるのだ。んだな!
by suigyu21
| 2011-03-15 19:52
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