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水牛だより

愉しみ 9(2009.5.25)

『隼別王子の叛乱』を読んで以来の田辺聖子ファンだ。このごろ箴言集をよく開く。どれも自身の小説やエッセイのなかから選びとられたもの。『苦み(ビター)を少々 399のアフォリズム』『おせい&カモカの昭和愛惜』もいいけれど、みずから編集した『人生の甘美なしたたり』が一番おもしろい。著者七十四歳のときの刊行で、この年の始めに伴侶のカモカのおっちゃんを亡くしている。ほとんど一行か二行の短さがなによりすばらしい。もっとも短いのは「良心は悪」。たった四文字がグッとくる。「非行は健康の素」や「落ち目に定年なし」や「人格もみてくれのうち」というのもある。ぴったりな誰かさんの顔が浮かんで、なはは、と笑えてくる。「真実はつねにおかしいのである」というのもどこかに書いてあった。

『風花』(川上弘美)を読んだ。著者はじめての「結婚小説」だそうだ。のゆり、という主人公と同じ名前をどこかで見たことがある。そう、『鏡を見ては行けません』(田辺聖子)の野百合だと思いついて、こちらもまた読んでしまった。このふたりはまったく似ていないけれど、のゆりは野百合を意識してつけられた名前かもしれないという感じがどことなくする。気のせいだろうか。

思いついてふたつの愛のかたちのエッセンスを『人生の甘美なしたたり』から選んでみる。その一。『風花』は「愛も食べ物と同じで、旬がある」『鏡をみてはいけません』は「ココロとココロのむすびつきは食べることからはじまる」その二。『風花』は「わかれ、というコトバには自浄作用はない」『鏡をみてはいけません』は「人生、エエとこ取りでよい」

『風花』はのゆりひとりにつきあって終始タイトに読んでいかなくてはならない。『鏡をみてはいけません』のほうは朝ごはんも主人公のひとり(?)として位置づけられているので、野百合も解放されてゆるくなることがある。小説はときにレシピをかねているし、読んでいるだけでおいしい。いろんな問題をかかえていてもごはんを食べてるそのときはだれも幸せなのだわ。そう、「〈とりあえずお昼〉と〈とりあえず寝る〉こと以上の、大事な事はない」のです。

主人公も小説のかたちも似ていない。でもね、「人生は非常時の連続である」「人生は非常識の連続である」という人生を、のゆりと野百合は表と裏のように生きている、と思えるのだった。

『人生の甘美なしたたり』は古本屋の店頭の一〇〇円均一の箱をあさっていて見つけた。抜き出された元の小説やエッセイが収録されているからか、全集には入っていないみたい。大事にしよう。「六十過ぎたら、自分が神様じゃっ」なんてのを毎日見ていれば、いつかその気になるかもしれない。

田辺聖子は女学校に通っていたころに「少女草(おとめぐさ)」というお手製の雑誌を三号まで出した。挿絵や表紙の絵も自分で描いた一部限定。戦渦をくぐりぬけたその「少女草」の写真を見ると4つ穴のある和綴じになっていた。ほら、やっぱり製本、なのです。
by suigyu21 | 2011-01-21 19:43 | Comments(0)