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水牛だより

愉しみ 8(2009.3.25)

製本ワークショップについて、一年分四回の予定をカリキュラムとしてあらかじめ決めるつもりでいたけれど、それはやめることにした。だって参加する人たちには製本する必要や希望があるはずだから、具体的なその必要や希望に沿いながら考えて準備するほうが実際的でおもしろいに決まっている。お互いに教え教えられる関係になれるのもいいと思う。もともと本格派にはほど遠く、愉快派というのならば少しだけ自信がある。(相方の四釜裕子さんは愉快派ではあるけれど、ちゃんとルリユールを学んだ本格派でもあるので、技術についてはご心配なく)

平野甲賀さんとワークショップの打ち合わせをした。製本の材料のほとんどは紙だ。表紙にも紙を使うことが多い。紙は材質も色もたくさんあるのが楽しいけれど、折ったり貼ったりの使い心地はそれぞれ違う。見て美しいものが扱いやすいとは限らないから、選ぶのは楽しいけれども悩ましい。

次に布で表紙を作ってみる。裏打ちなどの手間はかかるが、紙より柔らかくて思ったより扱いやすい。曲がったり縒れたりして紙ならばまちがいなく失敗になるものも、あんがい修復できてしまうところはわたし向きの素材だと言える。

むずかしだろうなと思いつつ、革もためしてみた。確かに決められたサイズにまっすぐ切ったりするのにはコツがいる。でも折ったり綴じたり縫ったり貼ったりするのは、はじめてでもそれなりに誰でもできるのだった。

頭の中で考えていた扱いやすさは紙が一番、布が次で革が最後という順序だったが、手が感じる扱いやすさの順序は革、布、紙と、まったく逆だった。なんだか意外。

一枚の紙にはいろんな使いかたが考えられるけれど、革はそれほど自由ではない。そしてその制約や不自由さこそがやりやすさに通じているのだよ、と平野さんは言った。もっと制約が大きくて使いかたが決まってしまっているもの、たとえば木の板を表紙に使ってみれば、きっと革よりもっとやりやすいはずだ、とも。なるほど。おもしろいな。

こうしていろんな考えかたがわたしのものとなってゆく。日々食べているものが自分の体をつくるように、日々見たり聞いたり行ったりしていることとそれらの記憶の蓄積が自分なのだとはっきり実感できるときには、ふだん思っているよりもはるかに自分というものが外に向けて開かれている。愉快派にはこういうときがたまらない。

売った物も含めるとこれまで三百冊くらいは製本したはずなのに、手元にはほとんど残っていない。きれい、とか、すてき、とか言われるとすぐにあげてしまうのが愉快派の困ったところで、残っているのはどこか失敗している難アリなものばかり。これではまずい。ワークショップの日までに、見本として何冊か違うタイプのものをつくっておかなくては。注文があれば「ひょうげん塾」のブログに書いてくださいね。
by suigyu21 | 2011-01-21 19:41 | Comments(0)