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水牛だより

十六夜の月を仰いで

9日はキヨシローの葬儀の日。松本からの中央線の窓からは雨に洗われた新緑がずうっと見えていた。いろんな緑の若葉の色は軽くて、そのまま空に溶けていきそう。山には桐や藤のうすむらさきの花が緑のなかに咲いている。松本の街の中にはライラックがそろそろおしまいの風情でゆらゆらと咲いていた。

夜になって、しまい込んであったTimersのCDを出して聞く。TimersはTigersというバンド名をもパロっているので、このCDが好きなのはしかたのないことだった。キヨシローによく似た(笑)ボーカルの名はゼリー。YouTubeで見ると、ヘルメットとサングラス、首に手拭の新左翼風できめているけれども、衣装に似合わず動きがなめらかで軽すぎる。聞きながら笑って、↓を思い出す。

 芸術家は自分の意識に留めた要素から作品を生み出すが、その要素は芸術家の生きる外的世界と関係し、外的事件への多少なりとも歪んだ見方、あるいは解釈となっている。事象の物質的側面ばかりでなく、社会も人間の外側にあるから、芸術は必然的に社会的な共有物とならざるをえない。個人、それも芸術家のようにしばしば特異な個人が生み出した作品であっても、芸術は「完全に」個人的なものにはならない。生きるとは共存することだ。だから厳密には芸術家がサイクルを終えるのは、作品が共同体に組み込まれて共に生きる者たちに共-感を引き起こした時点である。愛や友情と同じで、芸術も人の「なかに」あるのではなく、人の「間に」存在するのだ。
『作家とその亡霊たち』エルネスト・サバト)
by suigyu21 | 2009-05-11 01:33 | Comments(5)
Commented by espera at 2009-05-11 17:51 x
Timers の映像は何度も見たけど、あれ、新左翼なの? 地下足袋に大工さんがはくズボン姿は、てっきり、工事現場のおじさんだと思っていた。

「芸術家がサイクルを終えるのは、作品が共同体に組み込まれて共に生きる者たちに共-感を引き起こした時点である。愛や友情と同じで、芸術も人の「なかに」あるのではなく、人の「間に」存在するのだ。」
これ、すごく共感します。
Commented by suigyu21 at 2009-05-12 10:51
新左翼と土木作業員との両方をパロっていると思います。土木作業員ブルースという歌もありますが、あの格好で歌うと妙に浮く。一筋縄ではいきません。。。
Commented by 公子 at 2009-05-14 23:57 x
製本WSのときにCD持ってきて!
Commented by roshi@okinawa at 2009-05-16 12:54 x
Youtubeの動画に「夜のヒットスタジオ」生出演時のものがあり「おっ~」。ひとり夜中に喜んでいました。ジュリーのバンド、エキゾティクスでドラムを叩いていたのがキヨシローのラフィー・タフィーに参加していた、上原ユカリ(村八分、ごまのはえ、シュガー・ベイブ、大滝詠一、山下達郎ほか)だと最近知りましたよ。
Commented by suigyu21 at 2009-05-17 00:51
オ〜イェ〜! とおいらが言っても意味不明だぜ。
キヨシローは「イヤってイェ〜」とも絶叫しておりました。
「やだな〜、やだな〜、やだやだやだな」というフレーズはよく口をついて出てきます。
ジュリーも去年は武道館でしたね。