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水牛だより

すべての終わりの始まり

『すべての終わりの始まり』を少し読む。著者のキャロル・エムシュウィラーは1921年生まれで、作家になったのは50代になってからのようだ。さらにSFという手法をなによりも必要としたとある。そのことと関係があるとはっきりわかるような変な話ばかりな短編集だ。「わたし」がつきあわなくてはならないはめに陥る相手が人間とは限らない。どこのだれ(何)だかよくわからない謎のいきものだとしても、関係を持つことは謎ではなく当然であるという一貫した態度です。あとがきで紹介されている、最初の著書のための自筆略歴に親しみを感じるので、写しておこう。わたしも仕事はすべて食卓か寝室でやっているし、自分の部屋を持ったことはない。

なぜか私は三十近くなるまでものを書かなかった。
最初にアートと音楽を試した。
三人弟がいることで、もろもろの説明はつくだろう。
自分が妻と母になるべきか、作家になるべきかわからなかった。
断筆しようと三、四回試みたが、やめられなかった。
私は現代詩人が好きだ。
いつも思っているのだが、ほかの作家は自分で洗濯をするのだろうか? 皿を洗うのか? 壁のペンキ塗りを自分でするのだろうか? たとえばサミュエル・ベケットは? ケイ・ボイルは? アン・ウォルドマンは? アナイス・ニンは?
書くようになってまもなく最初の子が生まれたので、書き手としてはつねに戦ったり、すねたり、叫んだり、わめいたり(ときにはいい子であろうとしたり)して、書く時間がないことに相対してきた。
本書に収録した作品はすべて食卓か寝室で書いた。
これまで私は自分の部屋を持ったことはない。
by suigyu21 | 2009-04-24 21:17 | Comments(0)