水牛だより

トラの秋

昼間はむせかえるような木犀の香りが少し落ち着いてきた。
今夜はいつもより大きな満月のスーパームーン。

この二つだけでも濃い秋といえると思うが、今年は1938年生まれの寅年の人たちが77歳を迎えた。喜寿というおめでたい年齢なので、どうせならご本人たちになにかやってもらおうと企画したのが「高橋悠治50人のためのコンサート 7「Tyger, tyger, burning, bright」」。このコンサートはかつて東京の西神田にあったスペース「イワト」で始めたシリーズだが、肝腎の「イワト」が小豆島に移住してしまったので、東京とのアバウトな中間地として神戸を選んだ。タイトルにある「Tyger, tyger, burning, bright」はブレイクの詩で、もちろん寅を意識したわけでした。

水牛ゆかりの寅年の人たちが来てくれて、以前はみんな東京にいたから、なにかことあるごとに集まっていたけれど、77歳になって、はじめて神戸という、全員にとって往復6時間ほどかかるところで集まった。折しもシルバーウィークと重なってしまい、ホテルの予約がとれずにほとんどの人は日帰りという強行軍。でもね、あ、もう帰る時間だ、と言って、もすこしいっしょにいたかったなという感じで帰るのがよかった。

公開のコンサートなので、喜寿を祝うということは謳ってはいない。喜寿ということで閉じてしまうのだったら、やる意味はないと思う。
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# by suigyu21 | 2015-09-28 23:38 | Comments(0)

目覚める

朝、名前を知らない鳥が鋭く啼く声で目が覚めたのだから、雨は降っていなかった。昨日の8月30日の国会議事堂前のデモを経験して、新しい今日という日が始まったのだと感じる。あそこにいた人たちはみんなきっと元気でいるだろう。

毎日のように買い物にいく近くのスーパーマーケットに、「農家さん家からの直送野菜」というちいさなコーナーができたのはこの春だったか。旬の野菜や果物が少しずついろいろ置いてある。夏の胡瓜や茄子やトマト、そして枝豆など、育てた人それぞれが選んだ種類や特徴があっておもしろい。ふつうの棚の、みょうに形のそろった野菜はとことん工業製品のようで、まったく魅力を失ってしまい、このごろはもっぱら「農家さん」に頼っている。夏の野菜では茄子が圧倒的に種類が多い。小さいのから大きいの、短いのから長いの、細いのから丸いのと、まずかたちがさまざまであり、色も白、緑、薄紫、濃い紫、とそのグラデーションがあり、さまざまだ。つい食べてみたくなるじゃありませんか。それからトマトも種類が多い。日によってはハーブやめずらしい野菜もある。育てた人の名前と県名がわかるようになっていて、それによると、東京のここでは関東の六県に加えて、静岡、山梨、長野、山形、新潟、秋田あたりまで。大事に(たぶん小規模で)育てられたものはこのように出荷できるシステムがあればいいのだ。この国も農業国になったらよかったのにね。
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# by suigyu21 | 2015-08-31 20:11 | Comments(0)

ことしも夏がきた

甥っ子がついに南の島に旅立った。大学を卒業するときに、すぐには就職しないで世界を見てみたい、と言ったヤツだが、なかなかどこへも行かないので、結局は行かないのかなとも思っていたので、一週間で戻ってきてもいいんだから、行ってみればいいよ、と言っていた。島で働くところも見つけたらしく、しばらくは居つくらしい。よかったね。

いつも持ち歩いているかばんの底から、2015年4月11日14時開演、京都フィルハーモニー室内合奏団第198回定期公演のチケットの半券が出てきた。青木昌彦さんとこの世で会った最後の日になってしまったコンサートのチケットなので、なんとなく捨てられないまま、無造作にデスクの上に置いてある。コンサート後にいっしょにワインを飲んだ。いつものように上機嫌な昌彦さんだったなあ。秋にはまた帰ってくるから、そのときには喜寿のお祝いをしようね、と約束したのだった。会うときには飲んで食べる。

亡くなった知らせを聞いてから、喪失感がどんどん深まっていく。いなくなってしまった人との関係と、ともに生きているときの関係とは、かならずしもおなじではない。そしてそれはその人がいなくならないとわからないことなんだな。
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# by suigyu21 | 2015-07-28 20:00 | Comments(0)

入口に立っている

きょう、7月1日は、「片岡義男 全著作電子化計画 スタート!」の日だ。ほんのアイディアだけのところからこの企画にかかわり、実現に向けて編集を担当してきたので、無事にスタートできて、うれしい。

去年の春から、おなじくボイジャーの編集要員として池澤夏樹の著作の電子化にかかわってもきた。一冊目の『クジラが見る夢』は映像や音声も含んでいたので、そういうものに強い人が担当した。私は二冊目の『静かな大地』からだったのだが、のっけからぶ厚い一冊だったし、電子化のための仕組みも新しいものだったから、自分なりにキンチョーした。でも、最初にこうした重厚な作品を与えられると、そのあとはずっと楽に作業ができるようになる。段階というのは踏まないほうがいいのかもしれない、たとえ、途中で失敗したとしても。

すでに出版されている池澤さんの作品を一冊ずつ忠実に電子化するのが基本だったが、比較的最初のころに、短篇集に収録されている短篇を、一作品ずつ独立させてみることになった。書籍という容れ物の属性から解放されて、短篇小説はそのものの世界で完結する。そこがデジタルの新しさだと感じた。このときに、片岡さんがたくさん書いてきた短篇をずらりと並べてみたいと考えはじめた。

それからいくつかのきっかけがかさなって、ついに現実することになった。最初は短編小説を、と思ったが、『友よ、また逢おう』を読んでみると、これは長い作品だけれども、長いからといって長編であり、短篇ではない、とは安易にいえないのだった。それで、小説をすべて、ということに路線を変更した。せざるを得なかったというべきかもしれない。

どこから始めるか、片岡さんは明確に言った。小説家としてのデビュー作は「野性時代」の創刊号に掲載された「白い波の荒野へ」です。そこからスタートしましょう、と。そして、作品は書いた順にフラットに並べたい、と。期日もせまり、第一期の100タイトルは決めたけれど、スタートからそれはいわば途上にある。書いた順、というのが判明できていないものがすでにあるし、抜け落ちている作品もあるだろうから。それでもアーカイヴを構築する入口が出来たのはよかった。

短篇をばらすというアイディアは片岡さんにもあった。一作品ずつ、紙に印刷されているものを、読者が選ぶ。それをくるくると巻いて、色のついた輪ゴムでとめて「はい、どうぞ」と手渡すというイメージだったと思う。

そのようなわけで、このところ池澤+片岡の小説ばかりを読む日々だ。この二人、ほんとうはそれが主人公なのではと思うほど、自然をたんねんに描写する。そして偶然にシンクロするところに出会う。霧が深くなった凍結した湖の上でスケートをしているうちに転倒し、方向がわからなくなる。月のない暗闇のなかを、宿泊するところに向かってはじめての道を行きつつ惑う。一方は白い闇、一方は黒い闇。読んでいるうちに軽い酩酊感におそわれて。。。


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# by suigyu21 | 2015-07-01 11:36 | Comments(0)

虎が雨

業務で毎日小説まみれになっている。寝る前の読書タイムは、すぐに眠くなってしまうため、時間は短いけれど、なにか少しちがったものを読もうと思い、昨夜は『雨のことば辞典』を開いてみた。雨づくしの1200語、と帯にある。日本は雨がたくさん降るから雨のことばは1200語もあるのだね。地域に特有なものもあるから、誰でも知っているのはそのうち半分くらいだろうか。

虎が雨、というのは陰暦5月28日に降る雨。鎌倉時代のこと、あまりよくわからない領地争いがきっかけとなって、源頼朝に曽我祐成がその日に殺された。愛人であった遊女の虎御前が命日には悲しみのため泣く涙雨を「虎が雨」と呼ぶようになった。この日は太陽暦でいうと、6月28日にあたり、雨の特異日なのだそうだ。この日の東京で雨が降る確率は49パーセントもあり、一年のうちでもっとも雨の振りやすい日であるらしい。虎御前はいまでも泣いているのだろうか。

インドネシアの作曲家スラマット・シュークルが3月26日に亡くなっていたことを知ったのはつい最近のことだ。会ったのは数回ほどだと思うが、変わった人だったので、強い印象がある。スラマットという変わった人がジャカルタやスラバヤで生きていて、いつも変わったことを考えていたり行動したりしている。遠くにいても、そのことは自分が生きている一部だった。いなくなってしまったのだと思うと、ものすごくさみしい。虎御前のように命日に雨を降らしてみたいものだ。

ジャカルタ・ポストの追悼記事がすばらしい。
http://www.thejakartapost.com/news/2015/03/26/in-memoriam-slamet-abdul-sjukur-silence-or-music-beyond-grave.html


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# by suigyu21 | 2015-06-20 20:32 | Comments(0)

「災難ですね。」

誰にすすめられたのでもなく、SNSにあふれているような、誰かがおもしろいと書いているものでもなく、自分がどこかに惹かれて偶然のように手に取った本が、なんだかおもしろくて読みとおしてしまう。こどものころなら、ふつうのことだったけれど、高齢者になってからでも、やっぱりふつうにあることだ。

最近のそれはテッフィ『魔女物語』(田辺佐保子訳 群像社 2008)。我が家の書斎(歩いて2分のところにある公共図書館を書斎として使っている)で、外国文学の「テ」の棚を見ていたときに、ふと目にとまった。群像社ライブラリーの本はちょっと小さめなサイズなので、四六判の単行本と並んでいると目立つ。それが知らない作家の知らない本ならば、つい手にとってみる。そしてぱらぱらといい加減にページをめくってみる。

「春というのは煩わしいことのはじまる発端のときです。自然界が喜びに目覚めて、獣や人間たちは愛し合い、小狡いガキどもを産みます──災難ですね。」

こんなフレーズを目にとめて、あら、おもしろそう、と思い、一冊読んでしまった。

テッフィ(1872ー1952)はペテルブルグに生まれ、1910年に出版したユーモア短篇集で作家としての地位を確立した。チェーホフの後を継ぐ作家だったらしい。詩も書いた。ロシア革命のときにパリに亡命して、そこで死んだ。『魔女物語』はパリで書かれたものだと思うが、15の短篇すべてにロシアの伝説の妖怪や魔物が登場する。だからといって別世界のおどろおどろしい出来事ではなく、少しだけ偏ったマジメな現実のお話であり、ときに笑える。甘さのない笑い。

読者としてはじゅうぶんに楽しんだけれど、どこからか「災難ですね」という著者の声が聞えてくるような気がした。
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# by suigyu21 | 2015-05-09 10:56 | Comments(2)

チップスは山盛りで

ゴールデンウィーク前の忙中閑ありな午後、夫とふたりで外に出る。暑くもなく寒くもない、快適な午後だから、ビール一杯のんじゃおうか、ということになった。こういうアイディアならすぐに実現の運びとなる二人である。

雑居ビルの二階にあるアイリッシュ・パブにいき、道路に面してオープンな席を取る。桜の若葉が目の前にあるせいで酸素の供給がじゅうぶんなのか、両車線に自動車が行き交う道の上でも気分は快適だ。そしてギネスとキルケニーのパイントに山盛りのチップス(=ポテト・フライ)。自宅では揚げ物をしないので、おいしいチップスに出合うとうれしい。少しは休んだりしてゆっくり食べたほうがいいとは思っても、それができない。チップスのはじめの一本を手にとって先のほうを少しだけケチャップの容器に浸し、口に運ぶ。最後の一本がなくなるまで、リズムに乗ったかのようにそれを繰り返す高齢の二人である。

「週刊朝日」で、片岡義男さんが『ポテト・ブックス』復刊版を書評しているのを読んだばかりだ。訳したのは伊丹十三。若いころはジャガイモと同じくらいに伊丹十三が好きだったので、この本も出たときに読んだと思うけれど、内容はまったく覚えていない。アメリカのポテト文化について書かれたものだと思うし、片岡さんだってポテトが好物だから書評をしたのだと思う。今度会ったときにはチップスとコルカノンについて忘れずに語ろう。ランチタイムが終わって夜の時間が始まるまでのハッピータイムに味わう一杯のビールとチップスは、コーヒーとケーキの組み合わせよりこの時期にはふさわしいと思う。
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# by suigyu21 | 2015-04-25 12:35 | Comments(0)

昭和の事情

昭和に建てられた賃貸の集合住宅に住んでいる。配管が最初に老朽化するのは人間における血管とおなじようなイメージだが、実際の理由は配管の素材が原因であるらしい。つまり鉄管が使われていた時代に建てられていると、そろそろ管の内部にサビが出てきていて、そのちょっとした突起に、流れていくあれこれがひっかかり、やがて詰まる。

2年から3年に一度、上の階の排水管が詰まって、天井から水が落ちてくる。ことしもそれが来て、しかし経験を積んでいるから、天井が少し膨張しているという徴候で気付き、水が落ちてくるのは食い止め(てもらっ)た。

それから数日後の夜に、今度はトイレが詰まった。人生初というわけではないし、それなりに対処はできるのだが、今回は重症。夜だったけれど、管理会社に連絡して、処置をしてもらった。やはり鉄管内のサビが原因だから、だましだまし使うよりないね、と深夜に駆けつけてくれたプロは言う。

賃貸なのだから、こんな状態ならいつ引っ越してもいいのだが、人間のほうの老化もあるし、配管の劣化よりも地の利のほうが大事で、いまのところは動く気持ちになれない。次の問題が起こったときにあらためて考えることにしよう。メンテナンスに駆けつけてくれる老若のプロの話を聞くのは、おもしろくてためになるし、まだ完全にアウトという状況ではないこともわかる。ときどき、だいじょうぶだろうかと気にかけて暮らしているくらいがちょうどいいような気もする。


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# by suigyu21 | 2015-03-29 20:14 | Comments(0)

春が来たなら

ここではなく、「マガジン航」というところで、こんなことを書きました。

池澤夏樹電子全集プロジェクトにたずさわって

世界のなかで、私のなかで、いろんなことが蠢いている春です。
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# by suigyu21 | 2015-03-01 22:39 | Comments(0)

本の立場

近くの公共図書館に、一度も借りられたことのない本、というコーナーが出来ていた。現物が何冊か並んでいる。
誰も借りたことのない本は、ピカピカしたまま世に出てからの時間をまとっている。大別すると、ひとつは専門のなかの専門の領域というのか、誰も知らないような技術についての具体的な解説のようなもの。もうひとつはなにかの記念の作文集のようなもの。技術書ならきっと必要な人はいるだろうが、この図書館を利用している人のなかにはいなかったということだろう。作文集はその中に書いている人とその周辺の人たちはきっと読んだだろう。でもここの図書館を利用している人ではなかったのだ。読んだ人にとってはきっと大事な本なのだと思う。彼らの本棚にはいまもちゃんとあるかもしれない。

図書館には「ベストリーダー」というコーナーが常にあり、多くの人が予約の番を待って読んだらしく、解体寸前のようにぼろぼろな本、それも同じものが複数そろえられたりして、ずらりと並んでいる。並べられているだけで、今はほとんど読む人もなく、残骸といった感じがただよっている。

読みたいと思って買ったものの、積んであるだけの本が自宅にも何冊かある。これは一度も借りられたことのない本の立場とおんなじかもしれない。ここにある一冊の本はまだ読まれていない、のだから。
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# by suigyu21 | 2015-02-16 20:38 | Comments(0)