水牛だより

昭和の事情

昭和に建てられた賃貸の集合住宅に住んでいる。配管が最初に老朽化するのは人間における血管とおなじようなイメージだが、実際の理由は配管の素材が原因であるらしい。つまり鉄管が使われていた時代に建てられていると、そろそろ管の内部にサビが出てきていて、そのちょっとした突起に、流れていくあれこれがひっかかり、やがて詰まる。

2年から3年に一度、上の階の排水管が詰まって、天井から水が落ちてくる。ことしもそれが来て、しかし経験を積んでいるから、天井が少し膨張しているという徴候で気付き、水が落ちてくるのは食い止め(てもらっ)た。

それから数日後の夜に、今度はトイレが詰まった。人生初というわけではないし、それなりに対処はできるのだが、今回は重症。夜だったけれど、管理会社に連絡して、処置をしてもらった。やはり鉄管内のサビが原因だから、だましだまし使うよりないね、と深夜に駆けつけてくれたプロは言う。

賃貸なのだから、こんな状態ならいつ引っ越してもいいのだが、人間のほうの老化もあるし、配管の劣化よりも地の利のほうが大事で、いまのところは動く気持ちになれない。次の問題が起こったときにあらためて考えることにしよう。メンテナンスに駆けつけてくれる老若のプロの話を聞くのは、おもしろくてためになるし、まだ完全にアウトという状況ではないこともわかる。ときどき、だいじょうぶだろうかと気にかけて暮らしているくらいがちょうどいいような気もする。


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# by suigyu21 | 2015-03-29 20:14 | Comments(0)

春が来たなら

ここではなく、「マガジン航」というところで、こんなことを書きました。

池澤夏樹電子全集プロジェクトにたずさわって

世界のなかで、私のなかで、いろんなことが蠢いている春です。
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# by suigyu21 | 2015-03-01 22:39 | Comments(0)

本の立場

近くの公共図書館に、一度も借りられたことのない本、というコーナーが出来ていた。現物が何冊か並んでいる。
誰も借りたことのない本は、ピカピカしたまま世に出てからの時間をまとっている。大別すると、ひとつは専門のなかの専門の領域というのか、誰も知らないような技術についての具体的な解説のようなもの。もうひとつはなにかの記念の作文集のようなもの。技術書ならきっと必要な人はいるだろうが、この図書館を利用している人のなかにはいなかったということだろう。作文集はその中に書いている人とその周辺の人たちはきっと読んだだろう。でもここの図書館を利用している人ではなかったのだ。読んだ人にとってはきっと大事な本なのだと思う。彼らの本棚にはいまもちゃんとあるかもしれない。

図書館には「ベストリーダー」というコーナーが常にあり、多くの人が予約の番を待って読んだらしく、解体寸前のようにぼろぼろな本、それも同じものが複数そろえられたりして、ずらりと並んでいる。並べられているだけで、今はほとんど読む人もなく、残骸といった感じがただよっている。

読みたいと思って買ったものの、積んであるだけの本が自宅にも何冊かある。これは一度も借りられたことのない本の立場とおんなじかもしれない。ここにある一冊の本はまだ読まれていない、のだから。
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# by suigyu21 | 2015-02-16 20:38 | Comments(0)

2015年の冬の旅

斎藤晴彦さんが日本語で歌った「冬の旅」以来、はじめてライブで「冬の旅」をきいた。歌ではなく、歌の旋律を奏でるのはヴァイオリンであることに少し不安を感じていた。声、というよりも歌詞(ミュラーの詩)がなくていいのかな、と思ったのだけれど、なくてもよかったのだった。

歌がないので、ときおり斎藤さんがあの世で歌っているような感じがしたし、シューベルトのメロディーの素晴らしさもよくわかった。さみしくてほんのりと明るいヴァイオリンの音色がそうしたいろんなものをもたらしてくれたのだと思う。帰宅してから、斎藤さんが歌っていた日本語の「冬の旅」の歌詞をじっくりと眺めて、テキトーでもいいから歌えるようにしておこうと思った。


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# by suigyu21 | 2015-01-16 20:25 | Comments(0)

年頭所感

振り返ると、生まれてからずっと成り行きで生きてきのではないか。ほんの少しだけ、数字であらわすとすれば0.1パーセント未満という感じだけれど、成り行きでよかったことはたしかにある。どんなに先のことを考えてもそのとおりにはならない。明日でいいことは明日考えればいいし、明日でいいことは今日はやらない。

流れるままにその日暮らし。できるだけそう志して、死ぬまで生きるのさ。


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# by suigyu21 | 2015-01-01 00:04 | Comments(0)

冬の東京で

これまでのところ、東京のことしの冬は寒い。2005年の冬に斎藤晴彦さんと高橋悠治さんとの「日本語で歌う冬の旅」の北への旅があった。冬のさなかに松本、金沢、留萌、釧路、網走、鷹栖、札幌、花巻、森岡などへ行くことになったので、その旅のためにコートを買った。北海道に着いたそのときから吹雪にみまわれ、コートは役に立ってくれた。東京の冬は暖かいのでそのコートは着る機会があまりない。特に電車の暖房では苦しいほどに暑くなってしまう。が、ことしは着ている。10年も前のものだから、時代遅れなデザインかとも思うけれど、温かい快適さはありがたい。

忘年会の季節。参加するのは少し、個人的なものだけにしている。最初は台東区民となった友人が率先して幹事を引き受けてくれ、浅草でどぜう。どぜうもいいが上にこんもりとのせるネギがおいしくて、何度もおかわりしてしまう。また燗酒によく合うのだ。「柳川ってのは子供のためのものだ、めしは食わない、どぜうだけ」と、この界隈で生まれた別の一人がうるさいほどに教えてくれる。柳川は食べたけれど、ごはんは食べずにガマン。ちょうどよく満たされたのは、彼の教えが正解だったからだろう。

食べたあとで駅の近くのバーでウイスキーを一杯というのもこの集まりのお約束だ。バーテンダーのおじさまが言うには、ウイスキーは食後にいいんです、消化を助けますからね。空腹だと強すぎます。ということでおすすめのシングルモルトウイスキーをストレートで。四人で違うものを頼んで、回し飲み(?)をする。味はそれぞれだけど、それぞれにおいしい。みんな機嫌がよくなって、新年会もやろうよということになる。また飲むのだな。

ウィスキーというのはふしぎだ。たいていは理性を失わせるだけだが、まれに、思考不能なことがらを正しく思考する契機ともなる。
(トーベ・ヤンソン「石の原野」)

人といっしょに話しながら飲むときは、この中間くらいな感じをただよっている。まるで理性を感じられないことを言ったりするし、そうかと思えば、昼間の会議などでは絶対に出てこないようなおもしろいアイディアが続々と湧いてくることもある。

トーベ・ヤンソンの「石の原野」はよかった。小説のなかではウィスキーは重要な脇役で、主人公は娘に内緒で飲んで、理性を失ったり、正しく思考したりする。
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# by suigyu21 | 2014-12-20 13:22 | Comments(0)

夜は月を

新月の夜に、最近若くして死んだ人の話を聞いた。ふさわしい夜だったのかもしれない。その前の夜には山田うん振付の『十三夜』を見た。うんさんによれば「「十三夜」は13人のダンサーによる動く静止画です。日本特有の湿度ある風景を描きました。ダンスという絵の具と筆が一体化した素材を使って描いた静物画です。」ということで、その夜の十三夜にやられてしまい、本物の月を見るのを忘れた。

夜になって月を見上げると、見える月のかたちは日々変化しているから、一日として同じ日はないということはよくわかる。昼間に見上げた空にうっすらと見えることも多い。きのうはきのうの月、きょうはきょうの月だ。明日があるなら、また明日も。

空に浮かぶ月は、広い海に浮かぶ小さな島のようだ。空に囲まれた月と海に囲まれた島とはどこか似ているところがあると思う。

地上は高い建物に覆われている東京だし、自宅に居ながらにして月を見ることのできる環境ではないから、見ようとしなければ月は見えない。家を探すときにコンパスを持ち歩き、ある部屋の窓からはちゃんと月が見えることを確認してから借りたという友人がいて、そうするべきだと深く納得する。南向きのベランダに出てみると、たとえ空に雲が広がっていても、月の在処はわかる、と思う日もあり、晴れているのに探せない日もある。自分にとっていろんな月夜があるけれど、萩原朔太郎のような月夜はまだ経験していない。


   月夜  萩原朔太郎

  重たいおほきな翅をばたばたして
  ああ なんといふ弱弱しい心臟の所有者だ。
  花瓦斯のやうな明るい月夜に
  白くながれてゆく生物の群をみよ
  そのしづかな方角をみよ。
  この生物のもつひとつのせつなる情緒をみよ。
  あかるい花瓦斯のやうな月夜に
  ああ なんといふ悲しげな いぢらしい蝶類の騷擾だ。


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# by suigyu21 | 2014-11-26 23:09 | Comments(0)

冬立ちぬ

満月に呼ばれるようにして空を見上げると、ビルの谷間から上ってくるときで、月は下にあるほど大きい。ちょっと得した気分。めぐってくる春に、島でまた満月バーができるらしい。満月の朧月だったらいいなあ。ずっと海辺にいて、ほろほろと湿気に包まれるるのだ。

きょうは立冬だというのに、まだペラペラのコートを着ているのがちょうどいい。電車のなかでは冷たい風が降りてきたりするし。しかし、歩いているときに道端をみると、すでに山茶花がたくさん咲いている。白から赤までのグラデーションがきれいだ。冬の花だから、きっともう冬なのだな。

トーベ・ヤンソン展を見に行ってきた。ムーミン展ではなくて、トーベ・ヤンソン展。大きく引き伸ばされた写真のひとつでは、バルト海のクルーヴハル島の夏の海で泳いでいるトーベは頭に花輪を乗せて笑っている。冷たそうな海の色だ。背後に夏の家が見える。油彩の自画像がいくつかあって、写真でしか知らないトーベ・ヤンソンだけど、その写真と違和感がないどころか、写真から感じるイメージがさらにとんがっていくのだった。


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# by suigyu21 | 2014-11-07 21:55 | Comments(0)

青空文庫と満月はよく似合う

10月8日の夜に満月バーをするために小豆島にいってきた。

西神田にイワトというスペースがあったときに、そこでおこなわれるコンサートのあとに、お酒を出して、それぞれが楽しくおしゃべりをするためのちょっとした仕組みが満月バーだった。満月というほぼ月に一度の夜にだけ開店する。ただ単においしいお酒をショットで出すだけ。イワトを運営していた平野公子さんが今年のはじめに小豆島に移住して、そこでも満月バーをしようという提案があって、やる、と即答した。

東京から小豆島へいくのにはいろんなルートがある。どこの港から船に乗るか決めなくてはならない。港は海にあり、駅や空港は港から遠いところが多い。ただひとつ、高松駅は海に近く、電車を降りてから歩いて数分で港に着くのがいいなと思い、その経路を選んだ。東京から新幹線で岡山まで三時間半ほど、そこで乗り換えて、瀬戸大橋を渡って高松へいくのが一時間弱。港でフェリーに乗って一時間で小豆島の土庄港に着く。台風18号が過ぎていったばかりの日で、大気は澄んでいたから、瀬戸大橋からはじめて見る瀬戸内海は島の緑も海の青もくっきりと美しく穏やかだ。フェリーがぐっと右に方向を変えて土庄港に向かうと、真正面に月がのぼりはじめていた。

次の日は午前中に小豆島の隣にある豊島に渡る。この島にサウダージ・ブックスの淺野さん一家が暮らしていて、自宅に青空文庫の底本をまとめて置いてくれているのだ。そこを訪ねるのは巡礼のよう。淺野さんの案内で島を巡って、新しい美術館は外見だけ見るにとどめて、美術館と隣り合う棚田を見た。コスモスが盛りだ。本を読むのに快適な場所をいくつか見た。高いところで真下に海を見ながら読書できるなんて! 展望台から海や島を見た。スダジイの原生林を見た。甲生という集落では海に近い墓所で、無縁仏となったキリシタンの小さな墓石が集められているのを見た。豊島の石で作られた墓石は風化が進んでいるけれど、彫られた十字架はまだ見える。

そして淺野さんの家の一部屋に収められている青空文庫の底本と再会した。静かな和室の四方の壁と床の間に置かれた手作りの本棚に並べられていた。本が本棚に縦に並べられているのは美しい。底本という資料として、段ボール箱に入ったままにならなくて本当によかった。そのうち、たとえば「青空文庫底本図書館」というような名前がついて、誰でも訪れることができるようになるはずだ。ネットの青空文庫とはまるで異なる本という物質の雰囲気を味わうのには最高の場所であることに疑いはありません。

夕方に小豆島に戻って、タコのまくら、というカフェのオープニングに満月バーを加えてもらう。古民家を5年かけて仕立てたというカフェは、東京のような都会ではありえない長い作業の時間をかかえていて、はじめて見るのに懐かしい。満月バーはカフェの開店を祝う乾杯のためにふるまい酒をした。その後は職務(?)を忘れて飲んで食べ、そして同時に皆既月食をずっと味わった。暑くもなく寒くもない快適な夜だったから、ほとんど海辺にいた。ずっと外で暮らせたらどんなにいいだろう。

島はいろんなものやことが凝縮されているところだと思う。船でしか行けない島は閉じられていて開いている。「離島」なんていうけれど、ほんとは世界の中心だと思う。


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# by suigyu21 | 2014-10-16 23:11 | Comments(1)

すきまからとびだす

コンクリートで地面がびっしり覆われている東京の町だけど、土はある。住宅を解体したり、建て始めたりする都合で地面を掘り返したばかりのところは土だけが見える。けれどもほんの少し時間がたつと必ず草が生えてくる。解体から着工まで一夏あれば、いろんな草で覆われてしまい、土は見えなくなる。ひろびろとしたところほど、草の生命力そのままに生い茂って、人間の背丈くらいならすぐに越えてしまう勢いだ。

土の上をびっしりと覆っているコンクリートだが、じつはすきまだらけ。すきまの下は土だから、偶然そのあたりにいた植物の種子が芽を出すのは自然のいとなみで、それまで待っていた時間が長かったせいなのか、妙に力強い風情だ。夏の終わりのすきまはとびだしだらけ。


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# by suigyu21 | 2014-09-29 21:14 | Comments(0)