水牛だより

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詩のなかの彼女

津島佑子さんが2月18日に亡くなったと知って、まず最初に会ったときのことを思い出した。ある会合の休憩時間にトイレに行ったら、彼女がそこにいて、煙草を喫っていた。喫煙室ではなくトイレというのが「女子高生みたいね」と言って笑いあった。

しばらくして藤井貞和さんが書いた詩で、また彼女に出会った。詩のなかで「全くのフィクションです」と書かれているが、そのフィクションが好きになった。

書かれなかった『清貧譚』試論のために
藤井貞和

与えられる六十八行によって
「小説」を書こうと思います
いま一九八二年十二月二十四日午前十一時ちょうど
あと一時間しかありません
午後にはアルバイトの原稿を10枚
書かなければなりません
ゆうがたには外出して
この作品とそれとを入稿することになっています
すでに八行、経過しました
と書いたら、九行めも経過しました
あせってきます
波打ち際が見えます
以下に書くことは全くのフィクションです
「小説」について考えているのです
ちょうど十年前の今月今夜のことです
小説を書きはじめていた津島佑子と、短い旅行をしました
「ねえ
あなたのいちばんすきな
太宰治の作品は
なに?」
と彼女が尋きました
ああ、重要な質問だ、とわたくしは緊張しました
津島佑子のほんとうのなまえは里子と言い
お里沢市からつけられたのです
晩年の太宰が娘のために
里子とつけたのはしみじみします
わたくしはそくざに
『清貧譚』と答えました
太宰の娘の両のひとみから
おおつぶの涙があふれ出ました
おしとどめようのない涙です
彼女はひとことも言いませんでした
翌日は津軽まで出て、帰京しましたが
その後の彼女はそのことをすっかり忘れたようです
わたくしはそれとなく母親の美知子さんに会う機会を得ました
佑子さんと旅行したことは伏せて
あのおおつぶの涙についてだけ話題にしてみました
母親は
それを聞くと
すぐに言うべきことばがないようでした
それからしずかに
「あれは里子にも話していないことです」
とおっしゃって
こんな話をなさいました
昭和十六年十二月のことです
太平洋戦争が開始されたか
開始されようとしているころです
太宰は『清貧譚』を書きあげると
美知子さんをまえにして
その全文、朗読してきかせたのです
あとにもさきにもないことでした
太宰は泣きながら朗読しました
芸術か
実生活か
苦悩をひとつに
清貧のなかで
戦時下の日本の
たったひとりと言っていい
創作の灯をかかげつづけた太宰
ほかの文学者がなすところもなく言葉を失っていたときに
ひとり太宰は
『お伽草子』を
『津軽』を
『右大臣実朝』を書きました
あれは『清貧譚』から出てきた清流なのです
あのおおつぶの涙は、娘の涙を借りて
太宰が流した涙ではなかったか
美知子さんはそうおっしゃいました

いっしょに居酒屋に行ったとき、「わたしはやっぱりこれよね」と言って津島さんがオーダーしたチュウハイは「津軽」という名前だった。そういう津島さんの人柄と、彼女が書く小説、そしてこの詩に登場する津島さんとの間には矛盾はなにもないと感じる。

この詩が好きになり、それならばと『清貧譚』『お伽草子』『津軽』『右大臣実朝』をせっせと入力して、青空文庫で公開した。1999年から2000年のことだった。四つの作品はとてもおもしろく、ここから読み始めたなら、太宰も少し違う印象があるだろうと思えた。でも入力したのは太宰の作品のためというよりは、この詩を書いた藤井さんと、詩のなかの津島さんのためだったのかなと今は思う。同じときに生きているから起こった偶然の出来事のひとつです。

詩の後から3行目の「娘の涙を借りて」という文言は『ピューリファイ!』に掲載されたときにはなく、のちに加えられた。だからこれは改補版です。
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by suigyu21 | 2016-02-27 23:40 | Comments(0)