水牛だより

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1月31日、日曜日

きょう1月31日が誕生日の人をふたり、知っている。ふたりとももう亡くなっている。ひとりは身内で、もうひとりはフランツ・シューベルトだ。

それが暖かな日でも寒い日でも、冬のある日にシューベルトの「冬の旅」を聴くのはいい。CDでもいいけれど、生のコンサートならもっといい。ことしは高橋悠治+波多野睦美のを聴けてよかった(1月25日、東京オペラシティ・リサイタルホールで)。2月にはディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウ+アルフレート・ブレンデルの演奏を笠井叡さんが踊る。どんな演奏についても人にはそれぞれ好き嫌いがあると思うけれど、チャンスがあればどんな演奏でも聴いてみたほうがいいと思えるのが「冬の旅」だ。フィッシャー・ディースカウをはじめ、たくさんの歌手がライフワークとしているし、斎藤晴彦さんの日本語で歌う「冬の旅」は冬のたびに何年も続けた。きっと波多野さんも。曲そのものにそういう力があるのだろう。

「冬の旅」を聴くたびごとに、寒く暗い冬の旅というのは、人間がつくってきた世界の基本の姿で、人間として生まれたこの世のデフォルトなのだなと強く感じるようになった。冬とは自然の季節や気温だけの問題ではないと思うのだけれど、まちがっているだろうか。今朝、SNSのタイムラインに流れてきたフランツ・カフカbot。「身を落ち着けることができないという空しい絶望。苦悩に満足したとき初めて、ぼくは立ち停まっていることができる。[日記1914年11月25日]」
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by suigyu21 | 2016-01-31 19:38 | Comments(0)

雪がふる

静かでひんやりした朝、前夜の天気予報のとおりに雪がふった。ふとんの中でおもいきりぬくぬくとし、起きて外を見たら、白く積もった雪景色だった。雪はすでに雨にかわっていたが、気温は雪の日にふさわしく低いから、雨になっても雪は目に見えるようには溶けない。雪を見るとほんとうに今は冬なのだなと思う。それに今年の冬はきょうまでは寒さを忘れたままのような暖かさだった。

雪を見ると思い出すのは「冬の旅」のツアーのこと。斎藤晴彦、高橋悠治、田川律との四人で、北の地を何箇所か旅した。最初の公演は留萌で、札幌まで飛行機でいき、そこから乗った電車でまず突然の雪の洗礼を受け、それからはどこにいっても雪に囲まれた。留萌は降ったばかりのさらさらな粉雪でおおわれ、町の明かりにキラキラと輝いていた。歩いてもすべらない。もう10年以上は前のことだが、雪のために買った靴はまだ健在だ。コートも新調したが、東京の冬では暑すぎてあまり着る機会はなかった。ヒートテックのようなものはまだ一般的ではなく、斎藤さんはジーンズの下に木綿のズボン下をはいていたな、とついでにへんなことも思い出す。

「人間はかならずしも生まれた国が母国ではない」「風がよそに蒔きたがる種子というものがある」というのを読んだので、知り合いの何人かが思い浮かんだ。風によってよそに蒔かれた種子のような人たち。まずは工藤幸雄さんだ。水牛楽団が最初に紹介したのはポーランドの抵抗の歌だったから、工藤さんにはたいへん助けていただいた。お宅にうかがってはじめてお目にかかる工藤さんは日本人というよりはポーランド人というほうがふさわしい風情だった。水牛楽団の歌については「しょぼくれた感じがいいねえ」という感想だった。しょぼくれた感じを目指したわけではなかったと思うけれど、そう言われてみんなですなおに喜んだことは忘れがたい。帰る道すがら津野海太郎さんが言った。工藤さんみたいに、みんながよその国の愛国者になればいいのにな、と。ほんとにね。のちにシンボルスカの詩集を訳していると、その途中の訳を送ってもらったことがあって、いまでもそのなかの「可能性」という詩の工藤さんの訳が好きだ。
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by suigyu21 | 2016-01-18 22:18 | Comments(0)