水牛だより

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忘れられない忘年会というのは矛盾です

ことし最後の月になって、たくさんの忘年会に誘われた。こんなにたくさんの人たちに会ったのは、実はお別れで、来年あたり死んでしまうのだろうかと、ロマンチックな妄想が立ちのぼってくる。実際にそうなったらすばらしい。

忘年会の一つは幹事を務めた。だいぶ年上のトラたちの忘年会だったから、永遠に年下としての役割はいつも楽しく引き受ける。トラたちというのは、1938年寅年生まれの鎌田慧、高橋茅香子、高橋悠治、津野海太郎、林のり子、平野甲賀、それはもう元気な面々。この人びとは個別に知り合って、その結果、全員が知り合うことになり、現在にいたっている。それぞれがその人でしかありえない個性を高めていて、さらに超という字をつけてもいい頑固者でもあるが、しかし、ジコチューというようなものとはまったく無縁だ。あれだよな、そうだよそれだ、などとと固有名詞なしで勝手に分かり合っているし、手もとのグラスはひっくり返すし、一応そのために集合したはずのテーマはすぐに忘れ去られたのか、最初から誰もわかっていなかったのか。

毛皮のコートを着たニシンという名前のグルジア料理を食べつつ強いウオッカを飲んで、ただ楽しく笑って飲んでいる悪ガキみたいな顔を見ていると、それが感染するのだった。彼らの身近にいるのはおもしろい。それは自分にとっての選択でもあったのだとあらためて意識した夜でありました。
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by suigyu21 | 2013-12-29 23:55 | Comments(2)

ミッキー・片岡

待ち合わせのコーヒー・ショップにあらわれた片岡義男さんは、校正用紙の入ったリサイクル用紙で出来たオレンジ色の封筒をテーブルの上にばさりと置くと、チェックのシャツの左の袖口を黙って折り返して、手首の甲のほうを私のほうに向けた。そこにはミッキーマウスの腕時計の文字盤が金色に輝いていた。ははははは、と私は笑った。かわいいですね、よく似合ってます。

腕時計のなかではミッキーの右手が短針、左手が長針になっていて、現在の時刻を示している。それでさ、と言って片岡さんは椅子から立ち上がって傍らに立った。足はこういうふうにほとんど180度に開いてるでしょう、そして6時30分になると、右手と左手が文字盤の下のほうで、まるでなにかを隠すように重なるんです。と実演してくれる。私だけのために繰り広げられるショーを見て、またも、ははははははは、と笑わずにはいられない。

片岡さんが椅子にすわりなおして、私の笑いもおさまり、さて、校正紙を見ると、その6時30分のミッキーは小説の重要な役割をは果たしているのだった。雑誌で発表されるのは来年なので、楽しみに待っていてください。

ひとつ前に小泉英政さんの「国に拠らず」のことを書いたが、片岡さんも「国に拠らず」生きている人だ。大学を出て就職したのに3か月でやめ、それ以後はフリーランスを貫いている。書く人になってからも、大学の先生になったりはせず、書くことだけで生活を成り立たせている。80年代の活躍からごく一般的にイメージされているようなやわな人ではありません。自由でいるのがもっとも大事なことだというのは、生きかたから、そして小説からもわかるようになった。
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by suigyu21 | 2013-12-13 21:49 | Comments(0)

国に拠らず

岩波新書で小泉英政さんの『土と生きる 循環農場から』が出版されたのは今年9月だ。9月といえば農繁期でもある。ようやくそのお祝いの会が出来たのは12月7日のことだった。小泉さんの作る野菜を使った料理がたくさん並ぶカウンター席での小泉さんを囲む少人数のお祝いはとてもよかった。小泉さんが「書く」ということについて話すのを聞くのは楽しい。ベ平連のころに、「思想の科学」に書くことになって、鶴見俊輔さんに、一冊の本にすることを考えて書くように、と言われたという話は、長いつきあいだけど、はじめて聞いたことだった。

月に一度届く循環農場の野菜のダンボール箱を開けると、新聞紙に覆われた野菜の上に、「循環だより」というA4一枚のビラが入っている。野菜から浸出してくる水分を吸って、紙はたいていしっとりとしめっている。小泉さんが書くこのビラの蓄積から本は生まれた。毎回一枚のものなので、読んでから捨てることもあるが、心にとまることが書いてあると、保存してある。新書が出たあとの10月後半のビラはとってあった。その一節。

「ぼくが文章を書く時、ほとんど無意識のうちに気にかけていることがあります。一つは、人を感動させないように書くという事です。これは、詩人、金子光晴の教え(実際会った訳ではないが)です。もう一つは、正義を振りかざさないという事です。これは非暴力の座り込みから学んだ事です。もう一つは、自分が何を感じたか、どう思ったのかをつきつめて書くという事です。前の二つは、いつも念頭には置いていませんが、三点目の、自分はどう思ったのかという問いは、いつも自分に発しながら、机に向かっています。」

書き下ろされた四章にあたる「国に拠らず」を読むと、これらの三つのことはどういうことか、実際に感じることができる。なにを書くかはもちろん大事だけど、どのように書くか、はもっと考えなければいけない。こんな世の中だからこそ、感動と正義からどう距離をとるか、もっともっと考えなければいけない。
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by suigyu21 | 2013-12-09 22:53 | Comments(0)