水牛だより

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外に出る

パソコンだけが相手のデスクを離れて、この週末と週明けは人の集まるところへ出かける。三つの催しには特に関連がないところが拡散型の自分にはふさわしい。毎日があたらしいことの始まる日、と言ったらちょっとカッコよすぎるけれど。

15日(金)は、片岡義男(小説家)×鴻巣友季子(翻訳家)トークショー「翻訳真剣勝負」。千駄ヶ谷のビブリオテックで午後7時から。このふたりによる翻訳についての対談をなかば担当している。これまで何度かおこなってきた対談の仕上げとしての公開バージョンだ。この日はレイモンド・チャンドラーの『長いお別れ』とモンゴメリーの『赤毛のアン』の冒頭をふたりが実際に翻訳しての「真剣勝負」となる予定。原文に細かく分け入っての考察はおもしろいですよ。予約は定員に達しているらしいが、きっと当日券は何枚か出ると思う。

16日(土)は、高橋悠治50人のためのコンサート番外篇「高橋悠治+Phew」神保町に近いスタジオイワトで午後3時から。
コンサート終了後のイワトは、おなじみ満月バーとなる。午後5時から8時くらいまでの営業。いつものように一杯500円のショット・バーだが、なんといってもいちばんのごちそうは豪華なちいママたちだ。内澤旬子さん、岸本佐知子さん、そして歌い終えたPhewさんも加わる。バーテンダーはぐっと若手の足立昌弥さん。お酒はよりおいしくなるはず。コンサートは完売のようだが、会場に隙間があるかぎりは、きっと入れてもらえるだろう。もしそれがだめだとしても、バーは楽しんでいただけます。イワトでは最後になるバー、気持ちのよい冬の夜にしたいなとママのおいらは考える。

18日(月)は「水牛・八巻美恵×夏葉社・島田潤一郎 百年と詩、そして出版 〜行く手を照らす灯り〜」。吉祥寺の古書店百年で午後8時から。
『ジット・プミサク+中屋幸吉 詩選』を編集した責任の一環として、トークに出る。こんな役割が自分にまわってくるなんて考えたことなかったな。私に特に話すべきことはあるだろうか。夏葉社の島田さんはかつて沖縄で暮らしていたことがあり、そこで中屋幸吉をめぐる「小説より奇」な経験をしたらしい。又聞きだが、なんというか、いかにも沖縄らしい笑わずにはいられない話なので、それをご本人に詳しく聞かせてもらおうと思う。いっしょに聞いてもらえたらうれしい。
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by suigyu21 | 2013-02-12 14:58 | Comments(0)

いつだって逆境、どこだって辺境

編纂を担当した「叢書 群島詩人の十字路」の三冊目、『ジット・プミサク+中屋幸吉 詩選』サウダージ・ブックスから発売となった。100ページほどの軽く小さな本になって、うれしい。

ジット・プミサクはタイのいわば国民的詩人と言っていいかと思う。中屋幸吉はほとんど誰にも知られていない沖縄の詩人だ。ふたりの共通点は、その詩の歌が水牛楽団のレパートリーになっていたことと、1966年に亡くなったこと。ジットは36歳で政府軍に殺され、中屋幸吉は26歳で自殺した。

水牛楽団で活動し水牛通信を発行していたころ、ふたりはすでに死んでいたけれど、身近な存在だった。そのころはふたりが生きていた時代の延長にあったのだ。そういう意味で身近な存在は世界中にたくさんいたから、そこからふたりだけを取り出してみようと考えたことはなかった。そのアイディアはサウダージ・ブックスの淺野卓夫さんのものだ。なあるほど、おもしろい、とすぐに賛成したのだった。

水牛でタイ語の翻訳が必要になったら、ほぼ自動的に荘司和子さんの仕事となる。ジットの詩はすでに彼女によって訳されていて、水牛でも読めるようになっているけれど、中屋幸吉の詩とならべることを考えて、改訳をお願いした。さらにジットについても書いてもらった。

ふたりが生きていたころの世界から遠のいた今の世界で、ふたりの詩はそのままに抽象度を増しているように感じられる。そして、ふたりにとってはいつだって逆境だったし、どこにいても辺境だった。それを嘆いているわけではなく、ただそれを生きたのだった。暗い時代の持っている逆説を深く感じる。詩の言葉は遠く遠くまで届く。

淺野さんとはじめて会ったのは台風の沖永良部島だった。どうしてそこで出会ったのかは説明できる。その後、あまりうまく説明できない偶然のような出会いもあって、ついには本をいっしょに作った。「一冊の本は、著者がそこから出発したしるしだ」という辻まことの一文がよくわかる。ジット・プミサクと中屋幸吉に続いてなにを作ればいいのか、アイディアだけはいくつも生まれているから。
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by suigyu21 | 2013-02-01 16:58 | Comments(0)

いたれりつくせり

ホスピスというところへ初めていった。そこで、静養というのか療養というのか保養というのか、なんと言えば正確なのだろう、ともあれ闘病とはいえないことだけは確かな、静かにベッドに横たわっている友に会った。ほんのり黄色がかったミルク色のふわふわのパジャマがよく似合っている。パジャマの裾からまっすぐに出ている両脚は細くて透きとおっていた。

「ここはいいわよ、いたれりつくせりで。みんなおしまいはここに来たらいい。お風呂は家族ではいれるし、バーだってあるんだから。そうだ、帰りに一杯飲んでいったら?」酒豪らしいおすすめにみんなで笑った。ベッドの片側は床から天井までガラスになっていて、薄いレースのカーテンがかかっている。ちょっとカーテンをあけると、目に入るのはいろんな色の小さな花の咲く花壇だ。話しているうちに太陽が低くなり、部屋のなかもうすぐらくなった。帰るとき、彼女と手を握り合う。大きくてがっちりした手は長いあいだほぼひとりでお店を切り盛りしてきた、働く人の手だった。

それから二週間ほどたって、彼女は亡くなった。その二週間のことは詳しくは知らない。彼女がこの世からいなくなったことを受けとめて、いないけどいる、いるけどいない、などとも思った。最後に会ったときのことが夢のなかの出来事のように感じられてくる。そこがホスピスという場所だったことと関係があるのかもしれない。
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by suigyu21 | 2013-02-01 16:57 | Comments(0)