水牛だより

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椿よ椿

椿の花というものをきちんと意識して見たのはちょうど去年のいまごろだった。今年のいまは、去年のいまごろより花はたくさん咲いている。そう感じるのは少しはアンテナの精度があがったからかもしれないが、まわりにはじつに椿の木が多いことに感嘆してしまう。日本全国そうなのだろうか。そうだといいな。種類もたくさんある。花を見れば椿だと分かるけれど、木の幹や葉だけでは特定できないほどにさまざまだ。

世田谷通りと交差する環七のあたりの街路樹は椿で、まだ背の低い木々がまばらに植えられてぼったりと赤やピンクの花を咲かせている。ちょっとかわいそうな景色だ。歩いていて見入ってしまうのは庭に植えられている変わった花で、ほんの少しだけその家の前に立ち止まっていると、その家のガラス戸の内側からブルドッグに睨まれたりする。私と目が合っているその真剣な顔がおかしくてつい笑う。花はおしなべて去年のほうが美しかった。いろんな要素があるから、毎年同じというわけにはいかない。過ぎた夏の暑さのことも思い出しました。きょうは枯れ木に百舌鳥と雀がまるで花のようにたくさん止まっているのも見た。

花や木や犬や鳥や、そして海や空や月や、そういう身近なものに向い合っているときには言葉はいらない。語る必要のない状態というのは生きもののあるべき状態のひとつなのかもしれないな。何かが終わった世界の片隅で、そんなことを思った三月の終わりの日。
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by suigyu21 | 2011-03-31 21:24 | Comments(2)

センセイは隠遁中

落ち着かない日々が続いているけれど、週明けは文句のない快晴の日だった。小さな田舎町へ隠遁した気持ちのなかに自分を置き、楽しんでいる、という片岡義男さんと午後のコーヒーを飲むべく、隠遁先の小さな田舎町、つまり片岡さんのご自宅のある町へ向かう。宙吊りになっている仕事の相談もあったのだ。駅前の小さな喫茶店で震災後の再会を果たした(笑)。

地震が来たとき、片岡さんは電車で都心に向かう途中で、各駅停車から急行に乗り換えたところだったそうだ。電車はそのまま止まってしまったので、自宅に戻るため下り車線のホームへ行き、止まっていた電車に乗って、動き出すまでそのまま10時間、ということは聞いていた。それ以来、電車には乗っていない、つまり隠遁している。ダイアが元に戻るまでは乗らないらしい。昔から文学者とは自宅の近所を散歩する人で、そのことを作品にしてきた。ぼくもそういう人になろうかなあ、というアイディアには、反射的に「それはムリ!」と言ってしまった。

四月に刊行予定だった短編集『木曜日を左に曲がる』は少し延期になった。順調(?)にいけば五月かな。本文は出来ているので、あとがきの分量と内容について双方合意。その次の短編集のための一編についてのプロットも聞いた。小説をつかって展開する小説論ともいうべきそれは、とてもとても観念的なものだった。むふふふ、楽しみ。

小説の原稿というリソースを預かっているわけだから、できるだけ早くそれを公にしたいと思う。震災のすぐあと、もしも出版するまでに長い時間がかかるようだったら青空文庫で公開してもいい、と片岡さんは言ってくださった。私もしばしその気になったが、でも、やはり本にすることをまずは考えようと思いなおした。その道が絶たれたわけではないのだから。青空文庫は最後の砦です。
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by suigyu21 | 2011-03-29 14:21 | Comments(0)

カフカノートの第一歩

「カフカノート」の台本を前にして、始めて関係者が集まった。作者以外はみな台本を初めて見る。テキストはすべてカフカで、それが一冊のノートに書かれているわけです。そしてすぐに36の断片をかわるがわる読んだり歌ったりをこころみた。

「カフカノート」の作者にとって、カフカはある種のライフワークになっている。今度は三回目になるが、連作ではなく、改訂というのがふさわしい。ヴァージョンはアップしているのかそれともダウンなのか、かんたんには決められないにしても、いくつか同じテキストを使っているのに、おもしろさが毎回違うことだけは確かだ。

ステージのプランも出来上がりつつある。節電問題とは関係なく、明かりは押さえられるだろう。それをほの暗いと感じるか、うす明るいと感じるかによって、ぜんたいのとらえかたも変わるのではなかろうか。いまのこのときだから強くそう思う。ぜひ見に来てください。4月16日(土)15時と19時、17日(日)15時の三ステージ、会場は東京神楽坂のシアターイワトです。

シアターイワトでは震災前に予定されていた公演を予定していた通りにすべておこなう。「カフカノート」もそのひとつ。ちいさいことがいい、とは具体的にはそういうことなのだ。打ち合わせがおわって劇場を覗いてみたら、時々自動が初日を前に最後の追い込みに入っていた。テーマは「死」だそうdeath。もちろん、見に行きます。
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by suigyu21 | 2011-03-25 00:16 | Comments(0)

揺れている

2月のおわりに仙台にある父のお墓参りに行き、大船渡から仙台に引っ越した友人にほぼ20年ぶりに会ったばかり(彼女の無事は昨日の夜に確認できた)。

父の転勤によって、小名浜で生まれ、宮古と仙台で育ち、塩釜で小学生となった。当時の記憶があるのは仙台と塩釜だけだけれど、育ったところの痕跡はきっと自分のなかにあるのだろう。その大地一帯の揺れで、身も心も揺れる。

東京にいても、これまで経験した地震とはまったく違うエネルギーを感じる、しかも長い揺れだった。揺れがおさまって、本その他がぶちまけられている床を呆然と眺め、少し落ち着いてから、出かけていた家族に電話をするが通じない。こういうときこそのはずなのに、携帯電話はあてにならないのだなと思いつつ、震源はどこかとTVをつけたら、津波が押し寄せている映像が目に入ってきた。あそこに自分がいたらすでに呑み込まれていたのだと確信した。そのような時間の感覚だったから、失われた命は万という単位だろうと一瞬で実感できてしまい、また呆然とした。

余震は続くし、福島原発はコントロールを失うし、落ち着かない日々が続いているけれど、被災地ばかりでなく、いろんなところから明るいニュースも届くようになった。東北の人は開放的で充足していて、しかもガマン強いのだ。それらを心にとめて、今を生きるしかないべ。すべてが落ち着いていく長い時間のなかから、新しいなにかが立ち上がってくるだろう。そしてきっとその芽はすでにあるのだ。んだな! 
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by suigyu21 | 2011-03-15 19:52 | Comments(0)