水牛だより

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愉しみ 18(2010.11.25)

かわいいビンに入ったリモンチェッロがありますよ、と電話口で彼が言う。

そうだ、二週間ほど前にイタリアンレストランでいっしょに食事をしたときに、最後にリモンチェッロを飲んだのだった。その場にいた四人のうち、私以外は男性で、それなのに食後酒を飲むと言ったのは私だけだった。ショットグラスで出て来たリモンチェッロを三人に強要して一口ずつ回しのみをした。しようがねえなあ、と言いながら飲んでる人もいたけれど、一杯のお酒をみんなで味わえるのはいい。お茶やコーヒーではこうはいかない。

リモンチェッロはアルコール度数の高い甘いリキュールだ。冷凍庫に入れておくと、凍らずにとろりとなる。それを小さなショットグラスに注いで、食後にきゅっと飲む。食べたものの油をとかすとか、消化を助けるとか、いろんな効能があるらしいが、薬ではないし、おなかがいっぱいでもとてもおいしく飲める。食後でなくてもおいしい。

もともとはレモンの産地である南イタリアで、自宅用に作られていたものだという。イタリアからヨーロッパ各地に広まり、そして日本でも手に入るようになったのは、きっとおいしいからというのが第一の理由にちがいない。

材料はレモンの皮と砂糖とアルコールだけ。まずレモンの皮の成分を強いアルコールに浸出させる。すっかり黄色の成分をしぼりとられて白く色あせたレモンの皮を取り出し、そこに砂糖を溶かしたシロップを混ぜて少しねかせれば出来上がる。作るのは意外にかんたんなようだ。自宅用だったことはそのかんたんな作り方からも理解できる。イタリアにはグラッパという食後酒もあるが、これは自宅ではとうてい作れない。

レストランでそこの自家製のリモンチェッロを飲んだときには、フレッシュなレモンの香りにやられた。もちろん日本で。あれこれ調べてみると、本家のナポリ湾のアマルフィー海岸や、カプリ島などで採れるレモンは日本のレモンの三倍もある大きさで、果汁でなく果皮を使う種類らしい。ちなみにシチリア産のレモンは果汁用。

香りも成分も違うのだろうけれど、日本産のレモンかあるいは柚子の皮で一度は作ってみたいと思いつつためらい続けているのは、皮をむかれたあとの果実十個ほどの使い道がピシリと定まらないから。ジュースにしてしまえばいいのかな。ともあれ白いふにゃふにゃのレモンがシンクのあたりにいくつもころがっているのは困ります。

電話で話した次の週に彼と会って、そのかわいいビンのリモンチェッロをもらった。ビンにはカプリ島のレモンの絵が描いてある。イタリアの国のかたちをしていて、下はハイヒールの底そのものになっているから、ビンはちゃんと立つ。飲んだあとは花を挿すのもよろしいとの注釈もついている。

その場でぐいっと飲んでもいいよと言われたけれど、冷えてないものね、そうはいきません。冷凍庫に一日ほど格納して、とろりとなったところで、きゅっ、と。すっきりとおいしい。今度彼と会うときには、もっと大きいサイズのビンがほしいと言おう。
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by suigyu21 | 2011-01-22 21:19 | Comments(1)

愉しみ 17(2010.9.25)

「影の反オペラ」初日七月十六日の開場時間午後六時三十分直前のシアターに入ってみる。もちろんまだだれもいない。エアコンであらかじめ冷やされてひんやりとしている。ほんのりと照明の当たったステージが斜めにシアターのほぼ半分くらいを占めている。これから花ひらこうとしている夢をこの場所はまだ知らない。だってさっきまでのあれは稽古だったのだから。準備は完璧に終わっていて、でもまだ始まっていない、という短い特別な時間の劇場の空気はいつだってすっきりと透明で、外の空気とはまったく別のものだ。これを味わえるのが制作の醍醐味かもしれない、とにんまりしてしまう。

モノオペラをやりたいと言われたとき、シアターイワトでなら出来ると思った。ほかのところではまず無理でしょう。だって、「やりたい」というだけで、まだかたちはなにもないのだから、どういうものが出来上がるのかきちんと説明なんか出来ないし、そうと知っていて受け入れてくれるところがあるとは到底思えなかった。

平野甲賀さんデザインの「めくって読む」本のような斬新なチラシには三人の出演者の名前が小さく書かれているだけで、スタッフの名前はひとりもクレジットされていない。どうしてですか? 何か意図でも? と聞かれてはじめて気づいたが、そのときにはまだ何も決まっていなかったのだった。実際には出演者とスタッフ全員あわせても十人に満たない少人数で、舞台のかたちもほんの少しの演出も照明も、稽古しながら考えを出し合って、ゆっくりとあるべきように出来上がった。そこに自分という痕跡を残そうという人はいなかった。

いつもどんぶり勘定でザルのように抜けているにしても、お金の問題は避けて通れない。一日の定員は八十人だから三日で二百四十人。入場料の合計は最大で百二十万円だ。これでは赤字ということは最初からはっきりしていたので、アサヒビール芸術文化財団と朝日新聞文化財団からの助成はありがたいことでした。感謝の気持ちとともに、次の機会にもぜひにとお願いもしておきたい。

最終日の公演が終わって、ロビーでCDなどの売り上げを計算してから劇場を覗いてみたら、すでにステージは解体作業に入っていた。夢はおしまい。

夢から醒めて、次にシアターイワトを訪れたのは七月三十日。斎藤晴彦さんの古希のお祝いの日だった。七十歳になったばかりの斎藤さんはみずから半七捕物帳の一編を朗読し、エノケンの歌をうたった。この夜のシアターイワトは隅から隅まで斎藤さんのもので、「影の反オペラ」のときのかけらもそこにはなかった。劇場は毎日が新しい夢なんだな。
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by suigyu21 | 2011-01-22 21:18 | Comments(0)

愉しみ 16(2010.7.25)

春に柴田南雄作曲「優しき歌」(詩は立原道造)をはじめて聞いた。歌は波多野睦美、ピアノは高橋悠治。好きな詩に音がついていると、音はないほうがいいと感じることが多いけれど、これは違和感がなかった。詩人と作曲家が同時代の人だったことと関係があるのだろうか。

立原道造の詩に出合ったのは高校のときの現代文の教科書だった。『萱草に寄す』のなかの一編「のちのおもひに」が載っていて、その日本語をとてもきれいだと思った。中学二年のときに信州に移り住み、毎日乾いた空気を吸っていたから、私の体のいくぶんかはその空気で出来ていたからだろう、言葉の背後の空気の気配がすっと入ってきたのだ。

教科書には「のちのおもひに」と並んで、三好達治の「甃のうへ」も載っていた。上級生の文学少女から、三好達治に手紙を出したら返事が届いてしかもそれが巻紙だったという話を聞いて、すごいなあと思った。でも詩は「のちのおもひに」のほうがずっといい。

大学に入って東京に舞い戻った。同じ年に父親はまた転勤になり、もう信州に帰る家はない。昼間は友だちと楽しく都会を満喫しているが、ひとりになると恋しいのは信州のあの空気であり、あの空気をつくる自然だった。そんなときに開く本は立原道造の詩集、あるいは北杜夫の小説『幽霊』ときまっていた。『幽霊』には私の知っている風景が精神性そのままに描かれていて、それがストーリーよりも重要だったのかもしれない。

立原道造は二十四歳という若さでとっくに死んでしまっていたが、北杜夫さんはベストセラー作家として大活躍中だった。あるとき三好達治からの巻紙の返事のことを思い出して、深く考えもせず、手紙を書いた。何を書いたのかまったく覚えていない。まあ覚えていない程度のミーハーな読者からのファンレターだったにちがいない。お返事ください、とは書かなかったと思うけれど、でも、来たのですね、返事が。巻紙ではなくはがきだったけど。最初のは官製はがきだったが、そのうち会合などの出欠を知らせる返信用のはがきが使われるようになった。印刷してある返信用の住所を黒く塗りつぶして、その横に私の住所と名前が書いてあるのだ。いまならエコといえるのかもしれないが、そんなことをする人はまわりに誰もいない環境だったから、驚いて、そして笑った。巻紙よりはこちらのほうが自分にはふさわしいと思えたこともよく覚えている。

『幽霊』は一九六〇年に中央公論社から出版されたが、一九五四年、北さんが二十七歳のときに文芸首都社から自費出版している。テキストは少し違う。北さんの手元にはもう二冊しかないという自費出版のその二冊のうちの一冊がサイン入りで私のものになったとき、うれしかったのはもちろんだが、貴重なものをもらった責任も感じた。ずっと大事にして、死ぬ前には若い誰かに手渡そうと心に決めたのだった。そろそろその時期だけれど、受け取ってくれる人はどこにいるのかな。
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by suigyu21 | 2011-01-22 21:16 | Comments(0)

愉しみ 15(2010.5.25)

タイの田舎に行ったとき、おなかがすくと、ぞろぞろとみんなで市場にでかけ、それぞれ食べたいものを買ってきて、道から少しだけひっこんでいる庭にござを敷いて食べる、というのが毎度の食事だった。近所のおじいさんが通りかかって、見なれない私に「どこから来た?」と訊く。「日本です」「ふ〜ん、日本にも犬はいるのかね」「いますよ」「ほんなら猫はどうかね」などという笑いながらの会話も食事の一部だった。タイの友人のその家は貧しいというわけではない。でも冷蔵庫には水しかはいっていないのだった。一日の半分くらいは家の外で暮らしていると、水くらいしか入れておく必要がない。ほんとは冷蔵庫だっていらないのかもしれない。個人的生活のなにもかもを家の中にとじこめなくてもいいと思うようになったのはあの冷蔵庫を見たときからだ。

以前暮らしていた家は路地の奥にあった。路地の入口はかつて路面電車が走っていた道だから、かなり大きな通りだ。路地の入口からその通りをわたったところに比較的大きな酒屋があった。酒屋ではあるけれど、味噌なんかの量り売りもしているし、食べ物もいろいろある。切手は買えるし、宅急便は送れるし、むしろよろず屋といったほうがふさわしい。建て替える前には立ち飲みのスペースもじゅうぶんにあって、夜な夜なおじさんたちが集っていた。いまは個人商店コンビニのような外観になっているけれど、よく見ると町内の豆腐屋の豆腐なんかも置いてある。そして、入口には「○○屋はみなさまのお宅の冷蔵庫です」という貼り紙がある。

このキャッチを毎日見ているうちに、そういうふうにこのお店を使ってみようと思うようになった。ここにあるものは買い置きしないで、無くなったらちょっと走って買いに行けばいい。朝から夜遅くまで開いているし、ふつうのコンビニと違って、マニュアルとはまったく無縁な人間的対応が我が家の延長としてふさわしい。というわけで、巨大(といっていい)冷蔵庫をゲット!

その後、近くに引っ越した。新しい家のすぐ裏には図書館がある。ということは書斎をゲット! 椅子や机はたくさんはないけれど、平日ならたいてい座れる。校正など大きな紙を広げる仕事はこの外部書斎でおこなうことにした。調べものもすぐにできるしね。ほんとは本も借りずに書斎で読むようにしたいのだけれど、本は寝転んで読むのが流儀なのだ。図書館には椅子に腰かけたまま眠っている人はたくさんいるが、まさか寝転がるまでは許されまいと自制する。

引っ越して家が狭くなったので、人を呼んで宴会する快適なスペースがない。とはいえ、人と会ってごはんをいっしょに食べたり飲んだりするのは生きていくのに必要不可欠なことだから、その場も家の中ではなく、外へ拡張することにした。近くにみつけたおいしくて安くて満ち足りる居酒屋は、我が家のキチン+応接間ゲット! である。我が家は半径二キロほどに広がった大豪邸となりつつある。
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by suigyu21 | 2011-01-22 21:15 | Comments(0)

愉しみ 14(2010.3.25)

水牛レーベルの十三枚目となる最新版CDは「富樫雅彦/Steve Lacy/高橋悠治」です。リリースは二〇〇九年十二月だが、録音されたのは二〇〇〇年のライブだ。そのライブを主催したエッグ・ファームとの共同制作にすることで、双方の聴き手にとどけるとともに資金難をのりこえた。

三人の演奏者のうち二人はすでに亡くなっている。そういうものをリリースしたのははじめてのことだ。あるライブで販売していたら(出張して売り子をするのも重要な仕事です)、富樫雅彦ファンだという若い人がとてもうれしそうにかつ激しく「ありがとうございます!」と言って買ってくれた。ふつうは売るほうがお礼を言うものなのにね。

たくさん売れるものなら企業としてのレコード会社が出せばいい。大量生産大量消費にはけっしてのらないものを送り出すのが水牛の役割だと考えてやってきた。買ってくれる人の満足した様子に触れると、この考えは間違っていないと実感する。きっとCDも大切にされているだろう。

出来心に近い状態で、でもいろんな人の協力を得て、水牛レーベルの最初の一枚「水牛楽団」を出したのは二〇〇一年二月だった。せっかくレーベルを作ったのだから、何か出し続けてみようと、これもまた出来心で思い立ち、それから九年たって十三枚目まで出したことになる。最大の難関はなんといっても資金がないことだから、どんなものでも出せるというわけにはいかない。「水牛楽団」の場合はすでに音源があった。藤井貞和「パンダくるな」、矢川澄子「ありうべきアリス」、木村迪夫「まぎれ野へ」など詩人の自作詩朗読シリーズは、声だけなら自前で録音できるというアイディアの実ったもの。

すべてのCDには資金問題とともにストーリーも残される。いちばん大きな事件は、矢川澄子さんが録音を終えて二か月後に自殺したことだろう。お別れの会にあわせてCDを仕上げ、それは予定よりたくさんの人たちに配られた。朗読の作品として残ってよかったとは思ったけれど、ぜんぜんうれしくはなかった。いちばん長い事件は、「冬の旅」の公演がことしで六年目を迎えて、まだまだ続きそうなことですね。

CDやDVDを作るのはとてもかんたんになり、全曲あるいは一曲ずつのダウンロードもあたり前になっている。水牛のCDの役割は終わったかなと感じることもある。それに、意識して在庫をあまり持たないようにしていても、十三タイトルもあるとすぐに合計一〇〇〇枚くらいのCDと印刷物が部屋を占領してしまって、困る。ちょうど「水牛楽団」が品切れになったのをきっかけに、少しずつこれまでのものを終わりにしながら、リリースしたい新しいものが出てくるのを静かに待ちたいと思うようになった。
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by suigyu21 | 2011-01-22 21:13 | Comments(0)

愉しみ 13(2010.1.25)

ケータイやメールなんてカゲもカタチもなかったころにすでにおとなになってたくらいだから、少女のころのコミュニケーションツールといえば手紙だけだった。いまでもツールとしての手紙は手離していない。自分のことばを助けてくれる絵はがきやびんせんはいつも引出しひとつに満杯だ。切手も常備してあるし、自分の住所なぞをプリントしたラベルも作ってある。

二月十四日に何人かの男友だちにさらりとカードを送るのは若いころは楽しみのひとつだったけれど、二〇〇六年から思わぬ助っ人があらわれて、その年以来、またその日が楽しみになった。

助っ人は「限りなき義理の愛大作戦」という。首謀者JIM-NET(日本イラク医療支援ネットワーク)の作戦目標はイラクのがんの子どもたちに抗がん剤を送ること。そのためにヴァレンタインの日に合わせてかわいいチョコレートを作っている。五百円でそのチョコが一個もらえる。買うのではなく、五百円の寄付にたいして一個お返しがくるという仕組み。チョコの包装紙には、がんになったイラクの子どもたちの描いた絵が何種類か印刷されている。鼻血がとまらないという男の子の絵は悲惨な状況なのに、どことなくユーモラスで、愛を送る日にはぴったりな気がしてしまうのだった。病気の子どもがかかわっていると、男子との関係にちいさな風穴があく。愛を受けとめてください、とチョコを送れば、その愛のなかに子どもの病気も含まれているからね。

大作戦が開始された年にサブリーンという十一歳の女の子が目のがんになった。貧しくて学校に行かれなかった彼女は、JIM-NETが運営する院内学級ではじめて字を覚え、絵を描いた。右目を摘出したので、左目だけで描いた絵はとってもチャーミング。すっかり心うばわれて、毎年チョコを心待ちにするようになった。写真で彼女の笑顔とも出会った。

ことしのチョコはサブリーンの絵だけ四種類、しかも缶入りになった。でもがんが全身に転移したサブリーンはそのチョコを見ることなく、二〇〇九年十月十六日にイラクのバスラで亡くなった。「私は死にます。でも幸せです。私の書いた絵がチョコレートの缶にプリントされ、それがイラクのほかの白血病の子たちの命を救うからです。みなさんありがとう」十五歳のさいごのことば。

亡くなるときまで着ていた赤いドレス、サングラスやスカーフなど、一枚のプラスティックバッグに入ってしまうわずかな遺品は遺言によってJIM-NETにゆだねられた。死んだあとはJIM-NETとともに生きることにしたのだと思う。「限りなき(いつまでも続く戦争を止めさせたい)義理の(約束した支援はちゃんとやろう)愛(やっぱり愛でしょう。平和のためには)大(十万個売ります)作戦」のための仕事のひとつとして、彼女の絵は今月のイワトの表紙を飾ることになった。
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by suigyu21 | 2011-01-22 21:12 | Comments(0)

愉しみ 12(2009.11.25)

伊藤整と瀬沼茂樹による講談社文芸文庫『日本文壇史』全24巻を青空文庫のために入力しておきたいという意欲がまたふつふつとわきあがってきた。伊藤整の著作権が消滅するのは二〇二〇年、瀬沼茂樹は二〇三九年だから、わたしの寿命が先に尽きる可能性のほうがずっと高そうだけれど、明治期からぼちぼちとすすめておけば、後を引き継いでくれる人もあらわれるだろう、たぶん。

伊藤整の『日本文壇史』1から18巻が講談社文芸文庫から発売されたのは一九九四年から九七年にかけて。毎月新しい巻が出るたびに買っていた。ちょうどそのころ青空文庫をはじめようという話が持ち上がっていたので、『日本文壇史』をガイドにすれば、将来はその中に出てくる小説や詩などの本文が青空文庫に収録されていて、注釈としてすべて読めるようになるのだと想像して、ちょっと興奮したことを思い出す。

発足から十二年目を迎えたいまの青空文庫は、著作権の切れた日本語のテキストのデータベースとして存在しているが、最初はすべての作品のテキストデータとともに、エキスパンドブックという電子本に仕立てて並べていた。テキストを紙の本にならってコンピュータのモニタでも縦書きで表示する。日本語を読みやすく加工することは斬新なよろこびで、青空文庫はエキスパンドブックを集めた電子図書館という構想がはじめにあった。

入力して送られて来るファイルの数がどんどん増えたことが誘因となり、青空文庫からエキスパンドブック版が姿を消してからすでにたっぷりと時はすぎた。そのあいだに、インターネットは繋ぎっぱなしになり、携帯電話が手放せないものになり、コンピュータの環境はすっかり変わった。そして、最近ついに「SkyBook」「i文庫」「豊平文庫」などiPhone用の青空文庫ビューワーが相次いで発売された。縦書きで読みやすいフォント、文字などのサイズが変更できるなど、読書のための機能がいくつかついていて、何冊あっても持ち運びに困らない。まるで一巡したように、青空文庫をはじめたときに夢見たことが現実になっているのだ。iPhoneで読書だなんて、と思うでしょう? 思っているよりちゃんと読めますよ。こういうフォーマットのためなら、ふんだんにリンクのついた『日本文壇史』を作ってみたいと初心にかえったほどだもの。

アマゾンが開発した電子本を読むためのキンドルが日本でも発売されるというので、「電子書籍元年」とか騒がれているが、それは単にビジネスの世界のことにすぎない。電子書籍は使い勝手がよくないという話ももう心底聞きあきた。ほんとうに読みたいものがそこにあれば、どんなことをしてでも人は読む。伊藤比呂美さんはこんなふうにかっこいい。

「鷗外、それから太宰も、実は、ふつうの本より青空文庫で読んだ方が、五臓六腑に染みわたるような気がしております。つまり、ネットの画面そのままでは読みにくいので、まずHTMLで表示して、全文をハイライトして、それをコピーして、自分のコンピュータのWordに移して、縦書きに直して、好きなフォントに直したり旧かなを新かなにあるいはふりがなを除去したりして、自分の読みやすいように直していくうちに、全文を、まんべんなく、すみからすみまで、目で読むというより手で読んでいく。そうしますと、鷗外や太宰の声のあとをしっかりなぞりながら、耳を澄ませていくことができるのです。」(岩波文庫『読書のすすめ13』2009年5月)
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by suigyu21 | 2011-01-21 20:03 | Comments(0)

愉しみ 11(2009.9.25)

電子本の編集はたいてい編集者とコンピュータ・プログラマーとを含むチームですすめていく。双方のちからを合わせないと出来ないからだ。先日、そのような仕事の最初の会合があった。十年以上にわたる仕事仲間がその日初対面の人に「遊びながら仕事している人です」と私のことを紹介した。反射的に「そんなことはありません」と反論してしまったが、黙ってにっこり笑っていればよかったな。遊びながら仕事している、というような核心的なことを言ってもらえる機会はそうそうあるわけではないのに。

片岡義男さんの本の編集はたしかに遊びながら仕事していると見えるかもしれない。仕事と遊びには境目がない、というほうがより正確で、ちゃんと仕事になっている。新刊の『ピーナツ・バターで始める朝』(東京書籍)は編集に携わった四冊め、はじめてのエッセイ集です。

宇高連絡船のうどん。アイスクリーム。三冊の本。シャーロック・ホームズ。青年の虚ろな内面。この世の果て。母親。白い縫いぐるみの兎。『路上にて』。吉永小百合。パット・ブーン。水鉄砲。鉛筆。などについて、四十三編の短い物語が収められている。

「どの話のなかにも僕が登場している。だからこの本は端から端まで僕だらけだが、その僕はけっして主人公ではなく、さまざまなものが結びついた相手であり、結びついてそこに生まれた話を、なり代わって語っている人にすぎない。」とあとがきにある。小説家としての態度ですね。
 
純情な日本は一九五五年ごろに終わっているというのは片岡さんの持論のひとつだが、四十三編の物語のほとんどはどこかで純情な日本と関連がある。そう考えると、「端から端まで僕だらけ」というのは片岡さんによってけっして書かれることのなかった、そしてこれからも書かれることのない膨大なことがらも含んでいる、ということがわかってくる。

いくつかの本にかかわる話のうち「『草枕』のような旅を」はめずらしく日本の小説についてのものだ。これは女性について書いたと片岡さんはおっしゃった。結びついた相手が漱石でもなく、『草枕』という小説でもなく、登場人物の那美さんという女性であるところが片岡さんらしい。そこから「漱石が小説のなかに描いた女性たちは、近代を楽々と抜け出すだけではなく、現代の突端でも精彩を放ってやまない、独特な魅力を持っているのではないか。」という仮説が生まれたり、「夏目漱石の作品がいまも多くの人に読まれている理由のなかで最大のものは、描かれる人たちの会話にある、と僕は思う。」という発見がある。

おしまい近くの「金魚と散歩だ」はこの本のなかでもっとも長く、しかもエッセイ集なのに完璧な小説で、全編ほとんどが「僕」と美代子さんとの会話だけですすんでいく。漱石作品の会話の発見が思い起こされて、小説の助走はそういうところから始まるのかもしれないと感じる。遊びながら仕事ができるのは、片岡さんの「小説家」という肩書きが職業ではなく生き方なのだと、これは『ピーナツ・バターで始める朝』を編集して私が発見したことです。
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by suigyu21 | 2011-01-21 20:00 | Comments(0)

愉しみ 10(2009.7.25)

ひとりで製本をするとき、いつも手元において参考にするのは、山崎曜『手で作る本』(文化出版局)だ。二〇〇六年三月に出版されたこの本を見ながら、青空文庫のテキストを二十冊くらい製本したのは二〇〇七年の春だった。シンプルな一折中とじ、ステッチ中とじ、和本、交差式製本、リボンリンプ製本、コプティック製本など、はじめてなのに見よう見まねでやってみちゃって、なんとか形にはなったものだから、青空文庫製本部の発足祝いもかねて、限定一部一律一〇〇〇円で売ったら、ほぼ完売した。

コプティック製本の花切れの編み方の図版を見てもどうしてもわからず、結局それらしく見えるようにごまかしてすましていたのはちょっとまずかったが、そんなふうにに大胆(?)になれたのはこの本にあふれている山崎さんの姿勢や考えかたによるところが大きい。

写真で見ても実物も山崎さんの作る本は美しい。でもどれも工芸品の域におさまらない美しさで、本というものが本質的に持っている量産品としての軽やかさが匂う。興味を持ったらどこからでも入っていけるすきまがたくさんあって、私を誘うのだ。

イワトから手渡された『楽園』(立山ひろみ作)の台本を見ている。A4にプリントされてちょうど一〇〇ページ、ガチャックで二か所綴じてあるだけだが、稽古に使うにはこれでじゅうぶんともいえる。これを11/25〜29日の公演に合わせて製本してみよう、そしてうまくいったら売ってみたい、というのがひょうげん塾製本ワークショップの次からの課題なのです。

まずは本文を糸でかがって綴じてみる。そのための本文を用意しなければならないので、さっきから台本を見ているわけなのです。ワードのデータをそのまま使っても、一〇〇ページならば七折にはなるから、「糸だけ製本」にはちょうどいい分量だな。文字通り「糸だけ」で糊は使わずに表紙も綴じてしまう。表紙は本文を覆って保護するのが第一目的だけれど、中身をあらわす顔の役目も担っている。顔のデザインを考えつつ好きなように遊んでみるのは楽しい。

「糸だけ製本」をマスターしたら、次には機械ではなく複数の手による量産を目指したい。『楽園』というひとつのテキストにいろんなサイズといろんな装幀、それぞれ顔の違う五十冊くらいがテーブルの上にひしめきあって並んでいるところを想像すると笑えてくる。買ってくれる人たちを悩ませましょう。

山崎曜さんのブログにはこんなことも書いてある。
「職人は自分の道具を厳選して鍛え抜き、材料を吟味しますよね。
私の態度はそれとかけ離れています。いいかげんな道具を道具に合わせて使いこなし、どんな材料でも、なんとか形にすることが、かっこいいこと、だと思ってます。」

イワトひょうげん塾の次回製本ワークショップは八月二日(日)午後一時から五時です。
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by suigyu21 | 2011-01-21 19:54 | Comments(0)

愉しみ 9(2009.5.25)

『隼別王子の叛乱』を読んで以来の田辺聖子ファンだ。このごろ箴言集をよく開く。どれも自身の小説やエッセイのなかから選びとられたもの。『苦み(ビター)を少々 399のアフォリズム』『おせい&カモカの昭和愛惜』もいいけれど、みずから編集した『人生の甘美なしたたり』が一番おもしろい。著者七十四歳のときの刊行で、この年の始めに伴侶のカモカのおっちゃんを亡くしている。ほとんど一行か二行の短さがなによりすばらしい。もっとも短いのは「良心は悪」。たった四文字がグッとくる。「非行は健康の素」や「落ち目に定年なし」や「人格もみてくれのうち」というのもある。ぴったりな誰かさんの顔が浮かんで、なはは、と笑えてくる。「真実はつねにおかしいのである」というのもどこかに書いてあった。

『風花』(川上弘美)を読んだ。著者はじめての「結婚小説」だそうだ。のゆり、という主人公と同じ名前をどこかで見たことがある。そう、『鏡を見ては行けません』(田辺聖子)の野百合だと思いついて、こちらもまた読んでしまった。このふたりはまったく似ていないけれど、のゆりは野百合を意識してつけられた名前かもしれないという感じがどことなくする。気のせいだろうか。

思いついてふたつの愛のかたちのエッセンスを『人生の甘美なしたたり』から選んでみる。その一。『風花』は「愛も食べ物と同じで、旬がある」『鏡をみてはいけません』は「ココロとココロのむすびつきは食べることからはじまる」その二。『風花』は「わかれ、というコトバには自浄作用はない」『鏡をみてはいけません』は「人生、エエとこ取りでよい」

『風花』はのゆりひとりにつきあって終始タイトに読んでいかなくてはならない。『鏡をみてはいけません』のほうは朝ごはんも主人公のひとり(?)として位置づけられているので、野百合も解放されてゆるくなることがある。小説はときにレシピをかねているし、読んでいるだけでおいしい。いろんな問題をかかえていてもごはんを食べてるそのときはだれも幸せなのだわ。そう、「〈とりあえずお昼〉と〈とりあえず寝る〉こと以上の、大事な事はない」のです。

主人公も小説のかたちも似ていない。でもね、「人生は非常時の連続である」「人生は非常識の連続である」という人生を、のゆりと野百合は表と裏のように生きている、と思えるのだった。

『人生の甘美なしたたり』は古本屋の店頭の一〇〇円均一の箱をあさっていて見つけた。抜き出された元の小説やエッセイが収録されているからか、全集には入っていないみたい。大事にしよう。「六十過ぎたら、自分が神様じゃっ」なんてのを毎日見ていれば、いつかその気になるかもしれない。

田辺聖子は女学校に通っていたころに「少女草(おとめぐさ)」というお手製の雑誌を三号まで出した。挿絵や表紙の絵も自分で描いた一部限定。戦渦をくぐりぬけたその「少女草」の写真を見ると4つ穴のある和綴じになっていた。ほら、やっぱり製本、なのです。
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by suigyu21 | 2011-01-21 19:43 | Comments(0)