水牛だより

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すべての終わりの始まり

『すべての終わりの始まり』を少し読む。著者のキャロル・エムシュウィラーは1921年生まれで、作家になったのは50代になってからのようだ。さらにSFという手法をなによりも必要としたとある。そのことと関係があるとはっきりわかるような変な話ばかりな短編集だ。「わたし」がつきあわなくてはならないはめに陥る相手が人間とは限らない。どこのだれ(何)だかよくわからない謎のいきものだとしても、関係を持つことは謎ではなく当然であるという一貫した態度です。あとがきで紹介されている、最初の著書のための自筆略歴に親しみを感じるので、写しておこう。わたしも仕事はすべて食卓か寝室でやっているし、自分の部屋を持ったことはない。

なぜか私は三十近くなるまでものを書かなかった。
最初にアートと音楽を試した。
三人弟がいることで、もろもろの説明はつくだろう。
自分が妻と母になるべきか、作家になるべきかわからなかった。
断筆しようと三、四回試みたが、やめられなかった。
私は現代詩人が好きだ。
いつも思っているのだが、ほかの作家は自分で洗濯をするのだろうか? 皿を洗うのか? 壁のペンキ塗りを自分でするのだろうか? たとえばサミュエル・ベケットは? ケイ・ボイルは? アン・ウォルドマンは? アナイス・ニンは?
書くようになってまもなく最初の子が生まれたので、書き手としてはつねに戦ったり、すねたり、叫んだり、わめいたり(ときにはいい子であろうとしたり)して、書く時間がないことに相対してきた。
本書に収録した作品はすべて食卓か寝室で書いた。
これまで私は自分の部屋を持ったことはない。
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by suigyu21 | 2009-04-24 21:17 | Comments(0)

花はやがて散る

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毎年見ている近所のみどりのさくらの花。ことしは写真に撮って、御衣黄(ぎょいこう)という名前も覚えた。地下鉄が開通したころだったか、道の両側にいっせいに八重桜の若木が植えられたとき、偶然混じってここに咲いているのだ。八重桜ははなびらの数が多いうえに色も濃い。そのなかにあるこの一本は、満開でもみどり一色だから、まるで葉がしげっているように見える。はなびらが光合成するためにみどりになるということだから、葉に見えるのも道理です。

さくらの次は竹の子。これは、毎年恵まれている。まず小泉循環農場の野菜の箱に一本あるいは二本入って届くのが最初。そのうち竹林を有する家に嫁いだ友だちから数本もらう。さらに今年は別の友人が竹林の隣にある庭に出たのを掘っておくから食べにおいで、と誘ってくれた。竹の子三昧の午後。竹の筒に日本酒をいれてたき火でおかんをするんです。たき火にあたりながら飲む。おいしい。たき火のすぐそばに次の穂先がちょこんとふたつも出ていた。あたためられて一気に育ったかもしれない。きっと翌日も掘ったのでしょう。掘る時期は限られているから、毎日が竹の子とのおいかけごっこだと当主は言っていた。
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by suigyu21 | 2009-04-19 17:58 | Comments(0)

胸に影を落とす月

家の上に屋根あり
屋根の上に月あるをおもふのみにて
わが心足る
(百田宗治)

ベランダに出ると一本だけソメイヨシノが見える。小さいけれど年齢を重ねていることは木肌を見ればわかる。きのうあたりまでは満開だったのに、きょうはもう花は盛りをすぎて、葉もだいぶ出てきた。ときどき風に乗ってはなびらが上までやって来る。犬を連れた女の子の髪の上にもはらり。もっと上にはまんまるに近い月。机の上のカレンダーを見ると、あすは満月だ。

しごとの〆切がせまっているのに、まだアイディアが浮かんでこない。お月さま、あすはきっといい考えを授けてね。
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by suigyu21 | 2009-04-08 21:45 | Comments(0)