水牛だより

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水路の上の道を行くと

気候のいいときには緑道を2キロほど歩いて繁華街まで行く。緑道という名のとおり、木々は繁り、きれいな花だって咲いている。が、両側の家がみな裏側を向けて建っているのが気になる。緑道はかつて水の流れていたところなので、こちら側を玄関にすることはできなかったわけだから当然なのだけど、両側に家の後ろ姿がすきまなく並んでいる道というのは、ふつうではないと思う。

途中の公園では、男の子たちがおもちゃのマシンガンで撃ち合いをしている。そのうち片方の子が走り出して「テロリストだ〜、逃げろ〜」と叫びだした。古典的な遊びも現実によって少しずつ変わっているのだ、それもイヤな方向へ。

太陽はあかるく輝いて、あたたかな光を届けてくれるけど、あまり愉快になれない初冬の午後だった。
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by suigyu21 | 2007-11-20 22:53 | Comments(1)

カミングアウト

「ミーハーの分子を持ってゐ、それを隠さない、といふことが、本もののインテリである証拠である。」(森茉莉)

ミーハー、それはわたし。だってメンクイですもの。本もののインテリの資格があるのね!
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by suigyu21 | 2007-11-09 21:34 | Comments(2)

姉です

水牛を更新しました。見てね。

片岡義男さんの翻訳を読んだことがないので、図書館の保存庫から『ふくろうが私の名を呼ぶ』(マーガレット・クレイヴン 片岡義男訳 角川書店1976)を借りて読んだ。タイトルに惹かれたわけです。
不治の病をかかえた青年牧師がキングカムという人里をはなれたインディアンの村に派遣される。そこではじめて会うインディアンの若者。「高慢さとは関係のない、誇りが、インディアンの目にあった。その誇りのすぐ後ろには、深い悲しみが横たわっていた。深すぎるほどに深い。マーク・ブライアンの想像をはるかにこえた太古の神秘にまでつながっているような悲しみだった。」
マーク・ブライアンという青年牧師は病気ではなく、地すべりによって事故死する。それまでの二年ちかくをインディアンたちの村で暮らし、生きることを学んでいくうちに、彼の目にも悲しみが横たわるようになっていた。
ドラマティックに陥らず、静謐で抑制のきいた描写は、まるで片岡さんのスタイルそのままのようだけど、実際の経験を著者が70歳をすぎて書いたことと関係がありそうだ。

片岡さんといえば。
あるとき地下鉄のプラットフォームで片岡さんと立ち話をしていたら、「まるできょうだいのように見える」と言われた。もちろん、わたしが姉で片岡さんは弟である。年齢ではなくキャラクターのモンダイです。
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by suigyu21 | 2007-11-01 22:27 | Comments(2)