水牛だより

2017年 12月 02日 ( 2 )

引き算レシピ10 お茶

小学校に入ったばかりの私を父が撮影した写真が何枚かある。そのなかの一枚に固定された私は茶の間のこたつに入り、自分専用の湯呑みでお茶を飲んでいる。祖母から母へと伝わったお茶好きをすんなりと受け継いでいるのだ。子供たちにも年に何度か、ふだんのものとは根本的に違うおいしさのお茶をいれてもらえることがあった。新茶だったのか、玉露だったのか、玉露の新茶だったこともありうる。

   *

普通の人は茶を飲むものと心得ているが、あれは間違だ。舌頭《ぜっとう》へぽたりと載《の》せて、清いものが四方へ散れば咽喉《のど》へ下《くだ》るべき液はほとんどない。ただ馥郁《ふくいく》たる匂《におい》が食道から胃のなかへ沁《し》み渡るのみである。歯を用いるは卑《いや》しい。水はあまりに軽い。玉露《ぎょくろ》に至っては濃《こまや》かなる事、淡水《たんすい》の境《きょう》を脱して、顎《あご》を疲らすほどの硬《かた》さを知らず。結構な飲料である。眠られぬと訴うるものあらば、眠らぬも、茶を用いよと勧めたい。
(「草枕」夏目漱石)

   *

「草枕」の老人が六歳の私に直接こう話してくれたなら、きっときちんと理解できたと思う。あのころから、お茶のせいで眠れないことはない。

抹茶の味を知ったのはおとなになってから。茶道の心得はなくたって、点ててもらったお茶は文句なくおいしい。お菓子も付いているものね。自宅でひとりのときには、抹茶にすることが増えた。それらしい碗に抹茶を入れ、お湯をそそいで茶筅でささっと混ぜる。お茶の味のために茶筅だけは欠かせないと思う。一口飲めば、千利休の「茶の湯とはただ湯をわかし茶をたてて飲むばかりなる本を知るべし」というお言葉をもっとも単純に実現しているような気持ちになる。一杯で満足できなければもう一杯。抹茶や粉茶は飲んでしまうとあとに何も残らない。引き算は成立しないいさぎよさです。インスタントというわけではないのに、お湯さえあればすぐに飲める。旅に抹茶を持っていくのはいい考えだと思う。

そして、お茶に似合う花といえば、だんぜん侘助椿だ。

   *

侘助椿は実際その名のやうに侘びてゐる。同じ椿のなかでも、厚ぽつたい青葉を焼き焦がすやうに、火焔の花びらを高々と持ち上げないではゐられない獅子咲(ししざき)のそれに比べて、侘助はまた何といふつつましさだらう。黒緑の葉蔭から隠者のやうにその小ぶりな清浄身(しやうじやうしん)をちらと見せてゐるに過ぎない。そして冷酒のやうに冷えきつた春先の日の光に酔つて、小鳥のやうにかすかに唇を顫(ふる)はしてゐる。侘助のもつ小形の杯では、波々(なみなみ)と掬(く)んだところで、それに盛られる日の雫(しずく)はほんの僅かなものに過ぎなからうが、それでも侘助は心(しん)から酔ひ足(た)つてゐる。
(「侘助椿」薄田泣菫)

   *

お茶の木が椿の一種だと判明したのは一八一八年らしい。八世紀には「茶経」が書かれてずっと飲まれ続けていたのに、正体がわかるまで長い時間がかかっている。そんな人間界の事情とは関係なく、お茶と侘助とは同じ椿として呼び合っていたにちがいない。侘助が「心から酔ひ足つてゐる椿」なら、お茶は「飲むばかりなる椿」だろうか。ふたつの椿の取り合わせは茶室の中もいいけれど春先の日の光の下でもよく似合う感じがする。


[PR]
by suigyu21 | 2017-12-02 19:52 | Comments(0)

引き算レシピ9 山葵

好きなものは、と訊かれたら、些の躊躇なしに、旅と酒と本、と私は答える。
種田山頭火「雑記」

   *

あまりにもそのものずばりな、好きなもの。どう考えても反論はできません。

旅はこの身を遠くにはこぶ。本はここで静かに読んでいるのに知らない間にどこか遠くにはこばれてしまう。その間にある酒は、飲むほどに別世界にはこばれることがあれば、ここにはないかあってもかけらだけの、この世のあるべき姿を見せてくれることもある。三つの順番が山頭火らしいと思うけれど、泥酔して死んだ山頭火にとっては、この三つは別々に存在している好きなものというより、旅と酒、酒と本、と酒は旅と本とにぴったりとはりついていると感じる。よく考えるとおそろしいことだ。おいしく飲んで、ある量に達するとそれ以上は飲めなくなる体質でよかった。おかげでアルコールのおそろしさとは無縁でいられる。

寒いときにはお燗した酒がよい。あたたかい日本酒はすぐに吸収されるからグビグビとは飲めないし、かならず肴が必要なのもいいことだ。食べながら飲むと、酒も肴も、よりおいしくなる不思議は、足し算ではなくかけ算だと思う。

味と酒がよいかけ算になるように、肴は引き算でいきたい。たとえば、こんなふうに。

   *

酒の良いのを二升、そら豆の塩茄(しおゆで)に胡瓜(きゅうり)の香物(こうのもの)を酒の肴(さかな)に、干瓢(かんぴょう)の代りに山葵(わさび)を入れた海苔巻(のりまき)を出した。
「深川の散歩」永井荷風

   *

東森下町の二畳と四畳半の二間きりの裏長屋に深川夜烏という俳人が元芸者の妻とその母と姉の四人で暮らしていた。そしてある日その家に友だち十人ほどを招いた酒宴のメニューがこれ。四畳半に毛布を敷き真ん中に食卓を置いて宴会場としたらしい。

永井荷風によれば、深川夜烏は「山の手の町に居住している人たちが、意義なき体面に累(わずら)わされ、虚名のために齷齪(あくせく)しているのに比して、裏長屋に棲息している貧民の生活が遥に廉潔(れんけつ)で、また自由である事をよろこ」んだ人であり、「この湯灌場大久保の裏長屋に潜(ひそ)みかくれて、交りを文壇にもまた世間にも求めず、超然として独りその好む所の俳諧の道に遊んでいたのを見て、江戸固有の俳人気質(かたぎ)を伝承した真の俳人として心から尊敬していた」。

そら豆と胡瓜だから、きっとこの酒宴は夏だったのだろう。野菜を季節のものに変えて、山葵だけの海苔巻きがあれば、どの季節でも完璧にいけそうだ。わが家では海苔の袋を開けたら一帖ぜんぶを四半分にして密封容器に入れかえる。だから各自海苔にごはんとすりおろした山葵を好きなように好きなだけ乗せて、くるりと巻けばいい。あえてすし飯にしなくてもよさそうだ。

山葵が残るようだったら、梅干しひとつの実と同じ量のすりおろした山葵とを叩いてあえる。鶯宿梅という美しい名前がつけられていて、これ以上はありえないほどに日本酒と合う。もちろんごはんにも合う。かけ算の結果が最高値を記録すること間違いなしです。


[PR]
by suigyu21 | 2017-12-02 19:51 | Comments(0)