水牛だより

2017年 11月 28日 ( 2 )

引き算レシピ4 キノコの水分を飛ばす

もう何年も前のこと、はじめて訪ねた友人の家で、不思議なものをごちそうになった。ざるにこんもりと盛られたそれは細くて茶色いものの集合体だった。さあ、食べてみて、これが何だかあててごらんなさい、と言われて数本を手にとる。

細いけれどしなったりせずにしっかりした風情。口に入れると、こんがりと甘い。しゃっきりとした繊維質のなかにうまみの本質だけがある感じ。頭の中にハテナマークを点滅させながら、しばらく食べているうちに、あ、エノキだ、とわかった。ご名答! それはエノキの素揚げなたのでした。素性が知れるとさらにおいしく感じられて、ざるはたちまちからっぽになった。

ふだんはうちでは揚げ物をしない方針なので、あのエノキの味を再現するにはどうしたらいいかと考えた。フライパンにエノキをばらして入れ、上からオリーブオイルを回しかけて、エノキとなじませる。それを火にかけて、じっくりと炒めてみる。

キノコは大部分が水だというとおり、すぐにしんなりする。しかし軽く火が通ったあたりの水っぽいのを食べてもあまりおいしくない。弱火にして気長に炒めていると、水分がとんでねっとりとしてくる。三分の一くらいにかさが減って、ぜんたいがきつね色になってきたら、ちょっとつまんでみましょうか。うまい! と声が出たらそのへんで火を止める。ぱらりと塩をして出来上がり。

素揚げのときのひょろりとした姿とちがって、茶色の太めの糸がからまったような状態は美しいとは言いがたいが、ビール、ワイン、日本酒、どれにでもよく合います。「これ、なあに?」という台詞がついてまわるのも楽しい。暗い室内でいわば大量に促成栽培されたエノキだから、こんなふうに乱暴に調理しても、おいしく食べられるのならば許されるだろう。

渡辺隆次『きのこの絵本』(ちくま文庫 一九九〇)によれば、天然ものの「エノキタケ」は「十一月中旬から五月初旬までの採集記録があり、最も発生頻度が高いのは一、二月の真冬である。(中略)雪解け水をたっぷり含んだエノキタケは、しなやかで弾力のあるビロード状褐色の束生する柄に、濃い栗色の傘がひときわ逞しく太ってみえる。湿ると全体が著しい粘性でおおわれ、栽培物などからは想像もつかない姿形である」

力強くも繊細な天然ものは赤出しの味噌汁か鍋で食べると、重厚な味わいとこくがあっておいしいと書いてある。

ふと思いつく。素揚げにするか、とことん炒めた栽培もののエノキを赤出しの味噌汁に入れたらどうだろうか。天然ものの味を知らない身にも、なんだかおいしそうな気がする。水分を飛ばすというのはたしかに引き算ではあるし。

青空文庫で茸を検索してみると、食べる話より茸が口をきいたりする話のほうが多いのに驚く。宮沢賢治と茸はすんなり結びつくが、泉鏡花の小説に茸が数多く登場するのは意外だった。菌類の不思議です。もっともぴったりきたのは種田山頭火『行乞記』九月五日(一九三二年)の一節。

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「味覚の秋――春は視覚、夏は触覚、冬は聴覚のシーズンといへるやうに――早く松茸で一杯やりたいな」

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この秋、松茸にありつけるだろうか。
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by suigyu21 | 2017-11-28 21:11 | Comments(0)

引き算レシピ3 つるんと甘い

夏を涼しくすごすのは、冬あたたかくというのより、いろんな工夫がいる。今は夏でも冬でもできるだけ外界を遮断した部屋でエアコンをオンにすれば、とりあえず涼しくもなりあたたかくもなる。けれども、外の世界をむりやり無関係にすることで成立しているその涼しさといいあたたかさといい、それほど快適なものとは言えない。

こどものころに暮らしていた家は木造平屋で、あちこちすきま風が通りぬけていた。ごはんのあとに食卓で父が吸う煙草の煙はまっすぐにのぼってはいかれず、いつも斜めにたなびくのだった。長谷川時雨の『旧聞日本橋』を拾い読みしていて、そんなことも思い出した。

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ふと、自分の家の午後も思出さないではない。みんなして板塀(へい)がドッと音のするほど水を撒(ま)いて、樹木から金の雫(しずく)がこぼれ、青苔(あおごけ)が生々した庭石の上に、細かく土のはねた、健康そうな素足を揃えて、手拭で胸の汗を拭(ふ)きながら冷たいお茶受けを待っている。女中さんは堀井戸から冷(ひや)っこいのを、これも素足で、天びん棒をギチギチならして両桶に酌(く)んでくる。大きな桶に入れた素麺(そうめん)が持ちだされる時もあるし、寒天やトコロテンのこともあるし、白玉をすくって白砂糖をかけることもある。
(長谷川時雨「流れた唾き」)

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やりましたよ、水撒き。板塀がドッと音をたてるのがおもしろくて、もういいかげんにやめなさい、と大人に言われるまで。知らぬ間に自分もびしょぬれになっている。つるんとした食べ物は自然な夏の工夫だ。昭和の少女は素麺をお茶受けではなくもっぱらお昼に食べた。寒天は塩えんどうとあわせて黒蜜をかけるのがおいしい。トコロテンも寒天なのに、細長いかたちは甘さと似合わない。だから葱と紅ショウガとカラシをのせて酢醤油で。暑い昼下がりに酢にむせながら食べるのが正解です。

白玉に白砂糖をかける、これ以上は引くもののない食べかただ。白砂糖は明治維新後に日本にもたらされたらしい。少女の時雨が食べていたのはきっと今より精製の度合いが低い白砂糖だったのだろう。できたてのむっちり白玉をよく冷やしてとろりメープルシロップをかけることを思いつく。サトウカエデの樹液を煮詰めてできたメープルシロップも砂糖だから、夏の午後のお茶受けにつるんと甘く、きっといける。

青い梅が出たらシロップを作る。梅と同量に砂糖を用意するだけ。梅はきれいに洗ってヘタをとり、皮を半分残してまだらにむく。ビンに梅と砂糖を交互に入れると、入れるそばから梅のエキスがしみ出してきて楽しい。毎日朝と夜にビンを揺すって、とろりとしたシロップにしわしわの梅が浮かぶ状態になれば出来上がり。梅はとりだして、シロップを冷たい水や炭酸水でうすめて夏中楽しむ。ことしはいろんな砂糖を混ぜて作って、白玉にかけてみよう。

江戸ッ児は「ほろびゆく江戸の滓」だったのかもしれないと長谷川時雨は書いているけれど、文明開化のあとの明るさが日本橋のひとたちの暮らしの上にあるのを感じる。その暮らしを支えていたものは、わたしが木造平屋の家に住んでいたこどものころまではすんなりとつながっていたのだった。


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by suigyu21 | 2017-11-28 21:06 | Comments(0)