水牛だより

引き算レシピ2 蕗味噌

おとなになってよかったと思うことのひとつは、こどものころ食べられなかったクセのあるものがおいしいと感じられることだ。それは不思議にお酒が飲めるようになった時期とかさなっている。からだの成長がとまって衰退の時期に移ったという変化の証拠なのかもしれない。

春はさまざまな山菜のあくの強い味に魅了される。おとなの楽しみです。このごろは半分栽培されているような山菜が出回っているけれど、それでもほかの野菜のように一年中手に入るわけではなく、春だけのものだ。だから季節の間にできるだけ食べる。スタートは蕗の薹、雪解けを待たずに早々と出てくる蕗の花のつぼみは春の精をとじこめてほろ苦い。

薄田泣菫の『艸木虫魚』には春について書かれたものがたくさんある。南宗画家として明治のはじめまで生きたという日根対山のエピソードもそのひとつだ。

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 対山は自分の居間で、小型の薬味箪笥のようなものにもたれて、頬杖をついたままつくねんとしていたが、客の顔を見ると、
「久しぶりだな。よく来てくれた。」
と言って、心から喜んで迎えた。そしていつもの剣菱をギヤマンの徳利に入れて、自分で燗をしだした。その徳利はオランダからの渡り物だといって、対山が自慢の道具の一つだった。
酒が暖まると、対山は薬味箪笥の抽斗(ひきだし)から、珍らしい肴を一つびとつ取り出して卓子に並べたてた。そのなかには江戸の浅草海苔もあった。越前の雲丹もあった。播州路の川で獲(と)れた鮎のうるかもあった。対山はまた一つの抽斗から曲物(まげもの)を取り出し、中味をちょっぴり小皿に分けて客に勧めた。
「これは八瀬の蕗の薹で、わしが自分で煮つけたものだ。」
客はそれを嘗めてみた。苦いうちに何とも言われない好い匂があるように思った。

   *

このエピソードは数ページの短いもので、こわい結末がついているのだが、それよりも印象が強いのは、薬味箪笥と「わしが自分で煮つけた」蕗の薹。

ちいさな抽斗のひとつひとつにいろんな肴や酒器が入っている箪笥があったら、家で毎日飲まずにはいられませんね。いや、毎日飲むためにこそ薬味箪笥があるというほうが正しいのかもしれない。抽斗をぜんぶあけて見てみたい。お客が顔を出したのは昼間で、案の定、夜まで飲み続けてこわい目にあう。

煮つけた蕗の薹は嘗めているのだから、たぶん蕗味噌だろう。ある程度保存して楽しむためには蕗の薹にも味噌にも火を通すのが一般的な作り方で、味噌に酒や味醂、最近では油や砂糖を加えたりするレシピが多い。

蕗の薹は案外そのへんに顔を出しているから、見つけたら、ひとつかふたつ、細かく切って味噌とただ和える。酒を少し加えて味噌をゆるめると混ぜやすい。火を通さないと、香りも苦みもそのままの春がピシリと身を貫きます。これぞ引き算の力。お酒と合う、ごはんとも合う。そこでだいたい食べきってしまうので、オムレツにするとおいしそうだと思いつつ実現できないままに春は何度も過ぎていく。
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by suigyu21 | 2017-11-27 21:40 | Comments(0)