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水牛だより

洋食屋から歩いて5分

片岡義男さんのエッセイ集『洋食屋から歩いて5分』が発売になった。食べる、ということがテーマの一冊だが、しかしグルメなどとは何ひとつ関係ない。コーヒーの登場がもっとも多いかもしれない。

2009年から2012年の今年前半までに書かれたエッセイからテーマに沿って集めた。その間には2011年3月11日というあの日もあった。あの日の後しばらく片岡さんは都心に出て来ず、したがって打ち合わせその他は町田あたりまで出向くことになり、夏の暑い盛りに町田駅の近くに一軒の居酒屋を発見したのだった。というわけで、居酒屋に関する考察も存分に書かれている。エッセイなので、時に私らしき人物も登場したりはするのだが、それは私というよりは私の欠片であり、短いものでもフィクションだと感じる。「彼女は彼女のまま、彼女という役柄だった」というわけです。

小説の場合は書かれた時間に沿って並べていくのが編集方針だ。エッセイは短いものが多いし、内容もあれこれあるので、ついその内容に引きずられて、テーマを考えながら魅力のありそうな順番=目次を作ってしまうが、これも時間軸に沿って並べてみればよかったのかもしれない。次の機会にはそうしてみたい。忘れないようにしよう。

「コーヒーに向かってまっ逆さま」という書き下ろしの田中小実昌さんとの一夜はおもしろい。1960年代のテディの頃の片岡さんが夕方に新宿駅地下通路で田中さんと偶然会って、そのまま朝までいっしょに過ごすというお話。実際にあったことだよ、と片岡さんは言うので、それを疑うわけではないが、書かれたものはやはりフィクションに違いない。「作家とは、その人自身、フィクションだよ」と片岡さんが書いている(小説のなかで登場人物にそう言わせている)とおり、片岡さんも田中さんもフィクションなのだと思う。フィクションの二乗がここにはある。
by suigyu21 | 2012-07-29 20:43 | Comments(0)