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水牛だより

メモを活用する

机の上の目の前にはパソコンがある。そして、仕事にかかわる作業や連絡などはすべてこのパソコンを使う。だから必要なことはすべてパソコンのなかにあるのだ。

パソコンのなかの必要事項はたいてい目の前には表示されていない。目の前にないいろんなことは忘れてしまう。そもそもそういう性格のところに加齢というファクターが加わって、忘れることは自分にとってのデフォルトでであるという認識に達している。

だから、忘れてはいけないと思うことはパソコンの脇に置いてあるメモ用紙やノートブックにメモしておく。夜寝る前にメモしておくと次の日に起きたときには覚えている。手を動かして、インプットを確実にする、ということなのだろうか。

用済みのメモは捨てる。ゴミ箱に入れる前に一応確認すると、なにかから書き写したようなメモも混じっていて、それは案外おもしろいのだ、おもしろいと思ったから書き写したのだから、二度目でもおもしろいのは当然といえば当然だけど。二度楽しんでから、すべて捨てていた。

メモが主役のような本を最近2冊読んだ。デイヴィッド・マークソン『これは小説ではない』という(タイトルに笑う)小説とジョルジュ・ペレック『考える/分類する』というエッセイ。メモという断片を編集する楽しさが浮上してくる。この2冊はおそらく目的がまずあって、そのためのメモを集めたのだろうと思うけれど、目的にとらわれないで、ただそのときに必要だったメモを集めて並べてみようか、と思いつく。

そのためにはメモを捨ててはいけないわけだ。とりあえず、ゴミ箱でなく空き箱にでも投げ入れておく。そして、半年くらいたったら、それを床にならべてみよう。そこから何か思いつくかもしれないし、まったくダメだったら箱ごと捨てればいいのだし。
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# by suigyu21 | 2016-07-29 20:54 | Trackback | Comments(0)

黄色の夏

リモンチェッロというイタリアの食後酒を知ったのはそう遠い昔のことではない。レモンの香る甘くて強いお酒は消化を助けるといい、ちいさなグラスでくいっと飲む。冷凍庫に入れておくと、アルコール度数が高いので、凍って固体になることはないが、とろりとしてとてもおいしい。もともとはイタリアの南のほうの大きなレモンを使って、家庭でつくられていたもののようだ。

つくりかたも調べて知ってはいたが、強い醸造用アルコールを使うのでそれをどこで調達すればいいのかわからなかったし、レモンの皮だけ使うから、皮をむいた後の白いワタに包まれたぶよぶよのレモンが残り、それの始末もどうすればいいのかと迷って、なかなか実行に踏みきれなかった。

ところがここに、醸造用アルコールではなく、ジンを使い、レモンの皮だけでなく、実もあまさず使うというレシピを知った。そのレシピを読んでいるだけで、おいしいに違いないことがわかる。ジンとレモンと氷砂糖だけあれば出来る。自然食品のお店も近所にあることだし、材料はそろった。次の日に仕込むつもりだったが、待ちきれず、夜のうちに作業開始。この場合、とにかくレモンの皮と実のあいだにあるワタを取ってしまえさえすれば「雑味」がないということのようだ。

皮をうすくむいてジンにいれると、みるみるうちにジンは黄色く色づいてくる。もっと強いアルコールだと、皮は白くなるまでその黄色い成分が溶け出すようだが、ジンはそこまではいかない。そこに氷砂糖と混ぜた果肉を入れて、じっと待っている。ちょっと味見をしたが、うん、おいしい。時間がもっとおいしくしてくれるのかもしれないが、香りが立つうちに飲んでしまおう。

3リットルのガラス瓶の3分の1ほどに黄色い液体が入っているのを見るのが楽しい。一日一度、瓶を振って撹拌する。
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# by suigyu21 | 2016-06-15 22:18 | Trackback | Comments(0)

みかんの花咲くまがり角

深夜だった。駅から自宅への帰り道で、最後の角をまがると、みかんの花のつぼみが無数に見える。家の隅に好き勝手に伸びているたった一本のみかんの木だが、去年ある程度の剪定をされて、スカスカになっていた。でもだいじょうぶ、というのか、もっとすごいといったらいいのか、ほんとうに無数のつぼみだ。いまにも開きそうな一枝を記念に失敬して、作業用の机の上に置いておくと、乾燥してからでもいいにおいが残っている。ネロリという精油を知っていれば、ああ、あの香り、です。花を鼻先に持っていって香りを味わえば、心も体も一瞬ではあれ、すっきりして、この世界をそのままに受けいれてしまう。

体の老化が安定したのか、いまはどこといって特に調子の悪いところがない。睡眠さえ足りていれば仕事も出来るし、遊ぶのも楽しい。なにもしないでぼんやりしているのは最高だ。以前ひどい五十肩になった。ずばり五十代のときのこと。そのときにあれこれ聞いたり読んだりしたなかで、もっとも説得されたのは、体のどこもかしこも等しく老化が進むわけではないということだった。体のそこかしこの老化の進み具合の軋みが五十肩となってあらわれる。痛いのも動かないのも、老化が安定するにしたがって知らぬ間に治っていく。不安定と安定を繰り返していくのだと考えれば気楽になろうというものです。
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# by suigyu21 | 2016-04-29 20:50 | Trackback | Comments(1)

エイプリル・フール

三月は毎日のようにフェイスブックからお知らせのメールが届いた。フェイスブックに登録はしているものの活用していないので「おともだち」関係も少ない。それなのに「きょうは誰とかさんのお誕生日です」というメールが毎日のように届く。これまで自覚していなかったけれど、三月生まれの友人が多いのだった。星座でいうと魚座と牡羊座の人たちであり、てんびん座の私とは相性がよくないとされている。それなのにこのありさまはどうしたことか。まるで四月馬鹿でだまされたような感じがする。

1997年、45歳で肺がんのため死んでしまった数住岸子は春のお彼岸に生まれたので、岸子という名前がついた。発音しにくい名前を、毎年三月には必ず思い出す。彼岸で元気にしているような気がする。
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# by suigyu21 | 2016-04-01 21:14 | Trackback | Comments(0)

詩のなかの彼女

津島佑子さんが2月18日に亡くなったと知って、まず最初に会ったときのことを思い出した。ある会合の休憩時間にトイレに行ったら、彼女がそこにいて、煙草を喫っていた。喫煙室ではなくトイレというのが「女子高生みたいね」と言って笑いあった。

しばらくして藤井貞和さんが書いた詩で、また彼女に出会った。詩のなかで「全くのフィクションです」と書かれているが、そのフィクションが好きになった。

書かれなかった『清貧譚』試論のために
藤井貞和

与えられる六十八行によって
「小説」を書こうと思います
いま一九八二年十二月二十四日午前十一時ちょうど
あと一時間しかありません
午後にはアルバイトの原稿を10枚
書かなければなりません
ゆうがたには外出して
この作品とそれとを入稿することになっています
すでに八行、経過しました
と書いたら、九行めも経過しました
あせってきます
波打ち際が見えます
以下に書くことは全くのフィクションです
「小説」について考えているのです
ちょうど十年前の今月今夜のことです
小説を書きはじめていた津島佑子と、短い旅行をしました
「ねえ
あなたのいちばんすきな
太宰治の作品は
なに?」
と彼女が尋きました
ああ、重要な質問だ、とわたくしは緊張しました
津島佑子のほんとうのなまえは里子と言い
お里沢市からつけられたのです
晩年の太宰が娘のために
里子とつけたのはしみじみします
わたくしはそくざに
『清貧譚』と答えました
太宰の娘の両のひとみから
おおつぶの涙があふれ出ました
おしとどめようのない涙です
彼女はひとことも言いませんでした
翌日は津軽まで出て、帰京しましたが
その後の彼女はそのことをすっかり忘れたようです
わたくしはそれとなく母親の美知子さんに会う機会を得ました
佑子さんと旅行したことは伏せて
あのおおつぶの涙についてだけ話題にしてみました
母親は
それを聞くと
すぐに言うべきことばがないようでした
それからしずかに
「あれは里子にも話していないことです」
とおっしゃって
こんな話をなさいました
昭和十六年十二月のことです
太平洋戦争が開始されたか
開始されようとしているころです
太宰は『清貧譚』を書きあげると
美知子さんをまえにして
その全文、朗読してきかせたのです
あとにもさきにもないことでした
太宰は泣きながら朗読しました
芸術か
実生活か
苦悩をひとつに
清貧のなかで
戦時下の日本の
たったひとりと言っていい
創作の灯をかかげつづけた太宰
ほかの文学者がなすところもなく言葉を失っていたときに
ひとり太宰は
『お伽草子』を
『津軽』を
『右大臣実朝』を書きました
あれは『清貧譚』から出てきた清流なのです
あのおおつぶの涙は、娘の涙を借りて
太宰が流した涙ではなかったか
美知子さんはそうおっしゃいました

いっしょに居酒屋に行ったとき、「わたしはやっぱりこれよね」と言って津島さんがオーダーしたチュウハイは「津軽」という名前だった。そういう津島さんの人柄と、彼女が書く小説、そしてこの詩に登場する津島さんとの間には矛盾はなにもないと感じる。

この詩が好きになり、それならばと『清貧譚』『お伽草子』『津軽』『右大臣実朝』をせっせと入力して、青空文庫で公開した。1999年から2000年のことだった。四つの作品はとてもおもしろく、ここから読み始めたなら、太宰も少し違う印象があるだろうと思えた。でも入力したのは太宰の作品のためというよりは、この詩を書いた藤井さんと、詩のなかの津島さんのためだったのかなと今は思う。同じときに生きているから起こった偶然の出来事のひとつです。

詩の後から3行目の「娘の涙を借りて」という文言は『ピューリファイ!』に掲載されたときにはなく、のちに加えられた。だからこれは改補版です。
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# by suigyu21 | 2016-02-27 23:40 | Trackback | Comments(0)

1月31日、日曜日

きょう1月31日が誕生日の人をふたり、知っている。ふたりとももう亡くなっている。ひとりは身内で、もうひとりはフランツ・シューベルトだ。

それが暖かな日でも寒い日でも、冬のある日にシューベルトの「冬の旅」を聴くのはいい。CDでもいいけれど、生のコンサートならもっといい。ことしは高橋悠治+波多野睦美のを聴けてよかった(1月25日、東京オペラシティ・リサイタルホールで)。2月にはディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウ+アルフレート・ブレンデルの演奏を笠井叡さんが踊る。どんな演奏についても人にはそれぞれ好き嫌いがあると思うけれど、チャンスがあればどんな演奏でも聴いてみたほうがいいと思えるのが「冬の旅」だ。フィッシャー・ディースカウをはじめ、たくさんの歌手がライフワークとしているし、斎藤晴彦さんの日本語で歌う「冬の旅」は冬のたびに何年も続けた。きっと波多野さんも。曲そのものにそういう力があるのだろう。

「冬の旅」を聴くたびごとに、寒く暗い冬の旅というのは、人間がつくってきた世界の基本の姿で、人間として生まれたこの世のデフォルトなのだなと強く感じるようになった。冬とは自然の季節や気温だけの問題ではないと思うのだけれど、まちがっているだろうか。今朝、SNSのタイムラインに流れてきたフランツ・カフカbot。「身を落ち着けることができないという空しい絶望。苦悩に満足したとき初めて、ぼくは立ち停まっていることができる。[日記1914年11月25日]」
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# by suigyu21 | 2016-01-31 19:38 | Trackback | Comments(0)

雪がふる

静かでひんやりした朝、前夜の天気予報のとおりに雪がふった。ふとんの中でおもいきりぬくぬくとし、起きて外を見たら、白く積もった雪景色だった。雪はすでに雨にかわっていたが、気温は雪の日にふさわしく低いから、雨になっても雪は目に見えるようには溶けない。雪を見るとほんとうに今は冬なのだなと思う。それに今年の冬はきょうまでは寒さを忘れたままのような暖かさだった。

雪を見ると思い出すのは「冬の旅」のツアーのこと。斎藤晴彦、高橋悠治、田川律との四人で、北の地を何箇所か旅した。最初の公演は留萌で、札幌まで飛行機でいき、そこから乗った電車でまず突然の雪の洗礼を受け、それからはどこにいっても雪に囲まれた。留萌は降ったばかりのさらさらな粉雪でおおわれ、町の明かりにキラキラと輝いていた。歩いてもすべらない。もう10年以上は前のことだが、雪のために買った靴はまだ健在だ。コートも新調したが、東京の冬では暑すぎてあまり着る機会はなかった。ヒートテックのようなものはまだ一般的ではなく、斎藤さんはジーンズの下に木綿のズボン下をはいていたな、とついでにへんなことも思い出す。

「人間はかならずしも生まれた国が母国ではない」「風がよそに蒔きたがる種子というものがある」というのを読んだので、知り合いの何人かが思い浮かんだ。風によってよそに蒔かれた種子のような人たち。まずは工藤幸雄さんだ。水牛楽団が最初に紹介したのはポーランドの抵抗の歌だったから、工藤さんにはたいへん助けていただいた。お宅にうかがってはじめてお目にかかる工藤さんは日本人というよりはポーランド人というほうがふさわしい風情だった。水牛楽団の歌については「しょぼくれた感じがいいねえ」という感想だった。しょぼくれた感じを目指したわけではなかったと思うけれど、そう言われてみんなですなおに喜んだことは忘れがたい。帰る道すがら津野海太郎さんが言った。工藤さんみたいに、みんながよその国の愛国者になればいいのにな、と。ほんとにね。のちにシンボルスカの詩集を訳していると、その途中の訳を送ってもらったことがあって、いまでもそのなかの「可能性」という詩の工藤さんの訳が好きだ。
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# by suigyu21 | 2016-01-18 22:18 | Trackback | Comments(0)

忙中にこそ閑がある

自宅のすぐ近くに公立の図書館があるので、自分の書斎と思って利用している。最近、借りられる冊数が5冊から15冊になって、とっても便利。ちょっと読んで、必要だと思った本は買うことになるのだから、発売からひと月は貸出不可、だなんて、出版社が言うのは自分が作っている本に対して失礼というものだ。

その図書館の裏には人口の浅い池がある。真っ白や真っ赤や真っ黒や、その混合や、わりと大きな鯉が泳いでいて、浅いせいなのか、背中が水面の上に出ていたりする。池の端から水面に小さな飛び石が3つほどあり、幼い人たちが得意そうに石から石へ飛んでいる。池の端の一方は喫煙のためのスペースになっていて、池を見ながら煙草をふかす人たちがいる。

池のもう一方の道に面したところには一枚板の大きなテーブルが二つ用意されている。テーブルの両側のベンチもおなじ長さで一枚板のようにみえる。ベンチにすわってお昼ごはん(お弁当やらコンビニ弁当やら)を食べている人がいるし、読書している人がいて、彼らはだいたい一人だ。小学生が群れているのと、将棋をしているのは複数の人たち。小学生たちの中心になっているのはカードらしい。将棋のほうのおじさんたちは誰が持ってくるのか、一つから三つの将棋盤で対局していて、それを立ったまま取り囲んで観戦しているおじさんたちもいる。このごろのような寒い日でも、暗くなっても勝負が続いていることがしばしばあり、いつも勝負は真剣なようだ。光景としてはこどものころから見知っているけれど、全員が身なりに気を使っていないおじさんたちはいったいどこから来るのだろうか。

不思議に満ち足りている雰囲気のおじさんたちを見ていて思い出すのは、ある犬のこと。自宅から乗ったバスが環七を渡るちょうどそこに一軒の不動産屋がある。バスはしばしば赤信号で停車する。そのちょうど横に面した店なので、つい見てしまう。物件の案内は出ていないし、もう積極的に営業はしていないように見える店の出入り口を入ったところに敷かれた玄関用のマットの上にいつも犬がねそべっている。犬はいつもねそべって寝ている。ご老体だということは見ればわかるので、たまに所定の場所に見えないと、死んじゃったのかなと思うが、次に通るとまたしっかり寝ている。冬はひだまりだし、夏は室内は冷房だし、いつだって気持ちよさそう。うらやましいなあと思いながら、バスに揺られて、なにかの用件のためにどこかに出向く自分なのだった。
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# by suigyu21 | 2015-12-13 22:24 | Trackback | Comments(0)

川を見下ろす部屋で

先だって、先輩のアネキ二人とおしゃべりする午後の時間を楽しんだ。ふたりは会社員の世界でいえば、もうとっくにリタイアしているお年ごろだけど、同い年で、現役であることが共通点。性格はまるっきり違うように見えるのに、気が合っているらしく、一日にロードショーを3本、いっしょに観たりしている。性格は違っても、なにごとも楽しんでしまう態度は似ているのかもしれない。そしてそれだけのエネルギーがある。年齢を四捨五入すれば80歳だ。いまはこうして彼女たちの年齢のことを書いているが、会っているときには年齢の話などに焦点が合うことはない。それどころではなく、現役の仕事の話が最高におもしろい。ふたりとも職種は自営業だ。定年はない。高齢で現役だと、職場は介護施設よりも介護がいき届いていることがあり、これではボケてしまうのではないかとハッとする、という話には、心の底から笑いがこみあげてきた。

姉たちにとって、妹としての私がふさわしいかどうかは大きなギモンだが、会っているときにはそんなことは考えない。姉たちが寛容であり、私といっしょにひとときを過ごすのを楽しんでいるのがわかるから。私にとっては世の中の大部分の人たちが年下になっているとしても、こうして年上の寛容な姉や兄たちがいてこその私。なりゆきだからしかたがないとしても、世界最高齢になってしまったら、どんな気持だろうか。。。
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# by suigyu21 | 2015-11-04 20:39 | Trackback | Comments(0)

コーヒーはブラックで

忙中に閑を見つけた午後に、片岡義男さんと会って、コーヒーを飲む。
いくつか進行中のしごとがあり、それらについて軽く打ち合わせをするひとときだ。打ち合わせというのは、軽く、に限る。実際にやってみなければわからないことは多い。始めるまえになにごとかががっちり決まってしまっていたら、やってみる意味がないと思う。

片岡義男.comがきょうリニューアルされた。このサイトでは「全著作電子化計画」が目標だ。私も小説の編集スタッフのひとりで、すでにこの夏に、100タイトルを発売した。片岡さんからは書いた順にナンバーをつけて、というリクエストがあり、それに従って作業を続けている。今月から次の100タイトルが順次発売していくことになっている。

最初の100、というのは、いわば、便宜的に決めた数字で、たくさんあります、という表明でもあった。いま、次に続く100作品を編集していると、前の100とは明らかに違う方向が見えてくる。主人公は女性が多くなり、あいかわらず彼も彼女も移動しているけれど舞台は遠いどこかではなく日本のなかであり、そして結婚(しない)というテーマが多い。身近なストーリーなのに抽象の度合いは高くなっている。100の区切りは偶然のものだけど、その区切りがあったから、前後で違いを感じることができたのだろう。

そんなことを片岡さんに語ると、それは自分が楽に書けたからそうなったのでしょう、という返事が返ってきた。「楽なほうにいくんです、今でもそうかもしれない、きっと楽に書いているのです」。

それから成瀬の映画や万年筆についてひとしきり語り合って、打ち合わせはおしまい。西陽がまぶしい自宅への道を歩きながら、話せば話すほどやることがふえるのだと気がついて、一瞬立ち止まって笑った。私のほかには歩いている人がいない道でよかった。
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# by suigyu21 | 2015-10-19 20:18 | Trackback | Comments(0)