IE9ピン留め

水牛だより

振り子と結石の日

これまで半世紀以上にわたって過ごしてきたように「おめでとう!」と明るく迎えられない、新しい年の始まりだった。大晦日は「冬の旅」だったし、あけて2日にはもう片岡義男さんから原稿が届いたので、そのような意味でちょっとした労働としての日常が続いていたのは、年末年始の過ごしかたとしてはよかった。

ことしは新しくなったイワトであれこれやってみる一年だ。まずはイワトとの共同企画で、「高橋悠治50人のためのコンサート」五回のシリーズが始まる。当人がやりたいことを50人の物好きにそっと見て聴いてもらおうという企画だけど、どうもその50人の物好きにもサービスしてしまうような態度があるような気もする。第一回は「胸の振子、膀胱結石手術図ほか」1月22日(土)午後3時開演で一時間強のプログラム。

あるコンサートの観客として来ていたバリトンサックスの栃尾克樹さんが、打ち上げの席でたまたま隣りにすわった。そしてバリトンサックスを通奏低音として使ってみたい、絶対にいいと思うと力説してくれたことのひとつの実現が今回のライブとなった。ウン、たしかにすばらしい、とリハーサルを聴いて納得です。歌う波多野睦美さんは右からピアノ、左からバリトンサックスのでかい音に挟まれて、歌が聞こえるのかどうかと気にしていたが、彼女の声という楽器もイワトの空間いっぱいにじゅうぶん響いて、バランスは完璧なのであった。ときに笑えるのがいいな。
# by suigyu21 | 2012-01-19 20:08 | Trackback | Comments(1)

年を越えて

「冬の旅」を終えて帰ってきた。イワトもピアノも新しくなったけれど、演奏者ふたりと制作陣を含めてみな年をとったので、今年は明るいうちに始めた。西に向いた大きな窓から薄いカーテンをとおして入ってくる西陽が美しく、譜めくりする必要のない歌のときにはその西陽にみとれていた。暗い世の中にあって、暗い歌を聴きながら暗さの意味を考えているときでも、美しいものは美しい。きっと来年も大晦日は冬の旅ですね。

みなさまの多大なご心配および関心をよそに、譜めくりは難なく終えることができた(あくまでも当社比です)。理由なく緊張することはたまにあるけれど、ふつうはきょうのようにリラックスしているのでございます。

さあ、これから明日の水牛の更新の作業だ。大晦日から元旦にかけて、いつも仕事している状況はいつから始まったのだろうか。少なくとも半分は自分の責任だから、だれにも文句は言えない。それに案外楽しんでいるのだった。

それではみなさま、よい年を! 新年のごあいさつは水牛でね。
# by suigyu21 | 2011-12-31 22:00 | Trackback | Comments(0)

大晦日は危険がいっぱい

大晦日恒例、日本語で歌うシューベルトの「冬の旅」が近づいてきた。新しいイワトと新しいピアノだけれど、歌手とピアニストは古いまま。そろそろリハーサルがある。この演し物だけはいつも譜めくりを担当しているので、リハーサルからつきあわなくてはならない。

譜めくりは若いころから数えきれないほど経験してきたけれど、あまり好きになれない業務である。最近は老眼なので、繰り返し記号がよく見えなくて、めくった途端に演奏者にめくり戻されるということもありました。めくり戻すことが出来るのならそもそも譜めくりなんかいらないのではないかと思うし、さらにはそれを演出と見る人がいる、という程度に目立ってしまうのが困る。

四半世紀くらい前に譜めくりしてる私を見て、林光さんから聞いた怖い話。譜めくりでさ、めくりそこなうことはふつうにあるでしょ。ぼくが知ってるいちばんスゴイのはさ、めくりそこなって譜面を落とし、それを受け止めようとして、鍵盤に手をついてしまったんだ。光さんの話なので、うそかまことかわからないけれど、めくっている身にはいかにもありそうなことだと思える。失敗もそこまでいけばどんな演奏よりすごい。
# by suigyu21 | 2011-12-19 21:20 | Trackback | Comments(0)

高齢者です

もう十年くらいは前になるだろうか。十歳近く年上の友だちが言った。髪を染めていると、白髪があることはわかっているけれど、いったいそれがどの程度なのか、自分のことなのに、まったくわからないのよ。少し出てきた白髪をヘアマニキュアで赤くして楽しんでいた当時の私には、へえ、そんなものかしら、であった。しかし今はどうか。自分の白髪がいったいどのくらいあるのか、よくわからない。もういい年齢なのだから、若いころからのあこがれだったチャーミングな白髪の人になりたいと思いつつ、途中の汚らしさに耐えられず、何度も挫折して、つい染めてしまう。冬のあいだにずっと帽子をかぶって、決行してみようか。

もっとずっと若いころ、叔母が結婚した人の母親が亡くなった。お通夜に手伝いにいって、お別れに来た人にお茶を出したりした。亡くなったおばあさんの友だちが来た。おばあさんと同じくらいの年齢で、和服のその人がお茶を飲みながら言った。みんな死んじゃって、とうとうわたしひとりになっちゃったわ。泣くわけでもなく冷静に。誰かが最後のひとりになって、ひとりになったそのことを自覚するなんて、そんなことがあるんだ、と私は驚いた。今ならある程度はわかる。人の死に慣れることはできそうもないけれど、できるだけ冷静に受けとめることは死んだ人にも自分にもよいと思う。みんな死んじゃって、ひとりになっても、なんとか静かに生きていけそうな気もする。
# by suigyu21 | 2011-11-13 23:54 | Trackback | Comments(0)

あしたを書く

ナッちゃんの日記帳を見た。高橋書店発行の日記帳にはページ毎にいろんなものが貼りつけてあり、その余白に日々のメモなどが書いてあるらしい。書いてあることを読むまではしなかったので、あくまでも「らしい」なのだ。日記帳はまっさらなときの二倍から三倍の厚さにふくらんでいる。その日に貼ったものを見れば、必要なメモにたどりつくという記憶装置をかねているところがおもしろいと思った。文字でなく、貼ったものが索引の役目をしている。

日記帳には興味をひかれて、何年かに一度は「今年こそ」と思って買ってみるが、続いたためしがない。終わってしまったきょうを書くことに興味が持てないし、意味もあまり見出せないのだと思う。ひとが書いた日記はおもしろいのになあ。

こまごまとした用事などがかさなると、その日にしなければならないいくつかを忘れることがある。次の日でも間に合うが、その次の日に、きのうやっておけばよかったなと思うようなこと。だから忘れてはならないことは前の晩に箇条書きにするようになった。あす買うものなどもついでにメモしておく。自分の記憶力にはぜんぜん自信が持てないが、書くと記憶に残っていたりする。

そこで思いついたのは、日記にはあすを書くということだ。前の日に、明日の予定とやるべきことを書いておく。これなら必要性があるから続くかもしれない。ということで、ナッちゃんの真似をして、高橋書店の文庫版の日記帳を買った。2012年1月1日始まりだから、今年の大晦日に書き始める。それまではこれまでと同じように、そのへんにある手帳かメモ用紙を使っておこう。
# by suigyu21 | 2011-10-22 23:35 | Trackback | Comments(0)

きょうがすべて

「屋上」の連載二回目を書き終えてちいさくため息をつく。亀について。

十月というたそがれの国は、ここ東京では木犀の香りにつつまれて始まる。ことし始めてその匂いをかいだのは二日くらい前のことだった。きょうは図書館に行ったついでに、その香りに導かれるままに少し歩いた。花の命は短いが、まだ散っているものはほとんどなく、いわば盛りで、木によってこれからのものも、真っ盛りのものもそれぞれ。たくさんあるからあたり一面木犀の香りにつつまれている。庭木として植えられている木は剪定がきちんとされているが、そのせいなのか花の数が少ない。一方、学校の際にある木はもう少し自然のかたちを残して、花があふれるほどにについていて見とれた。毎日のように歩く道だけれど、木犀の木や葉は地味なので、花のない時期はほとんど存在も忘れて素通りしている。それこそが在り方なのかもしれないと花を見ながら考えた。

明日は雨の予報だから、その雨でちいさな花はきっと一斉に散るだろう。チャンスとばかり満開の花を写真に撮ったのだが、う〜む、パソコンに繋ぐケーブルが行方不明でお見せすることが出来ませぬ。木犀の木のある道の反対側には、これも見事に大きな芙蓉の木があって、白から濃いピンクまでの花をたくさん咲かせていた。もちろん撮影したのですが。。。
# by suigyu21 | 2011-10-04 20:04 | Trackback | Comments(0)

ともしい日々

頼まれて原稿を書くことが少しだけあって、例外なくいつも困っている。「はい。書きます」と返事はするけれど、そのときには何のアイディアもないのだ。でも友だちと話しているときには、その友だちとの関係もあって、考えるより先に口先からどんどんアイディアだけは出て来る。そうして、それならそれを書いてみれば、と編集者の友だちに言われて、ひとつ連載を持っている。レシピというひと言が連載タイトルに入っているのだが、そんなことが書けるとは思ってもいなかったのに、なんだか書いているのだ。二十歳になるころまでは偏食気味だったことを思うと、我ながら信じがたい。

興味をもった食べ物と季節との関係とを検索してみると、たいていいつも片山廣子という著者のなにがしかのエッセイが引っかかる。どれも、いわゆるグルメからは遠いものだ。たとえばキャベツのおかゆ。

「米一合に小さいきやべつならば一つ、大きいのならば半分ぐらゐ、こまかくきざんで米と一しよにぐたぐた煮ると、米ときやべつがすつかり一つにとけ合つてしまふ。うすい塩味にして、それに日本葱を細かく切つて醤油だけで煮つけて福神漬ぐらゐの色あひのもの、まづ葱の佃煮である、これをスープ皿に盛つたお粥の上にのせて食べる。」

「ともしい日の記念」というタイトルのエッセイだ。ともしくてもおいしくなくては。こんなふうにして知った片山廣子は自分でも知らなかった自分の触覚のようなものを考えるきっかけとなり、それだけではなく、新しい窓を開いてもくれたのだった。はじめて読んだのはずいぶん前だったが、敗戦後すぐのころに書かれたエッセイは、震災後のことを考えるよすがにもなっているように思う。触覚の伸びていく先にはなにがあるのだろうか。
# by suigyu21 | 2011-09-23 21:06 | Trackback | Comments(0)

旬子さんと屋上にいる

ことしの講談社ノンフィクション賞を受賞した内澤旬子さんのお祝いの会に行った。賞なんかフン、と思ってはいても、友だちが受賞すると他愛なくうれしくなって、おめでとう!と言いたくなる。

授賞式を終えたあとの会だったので、主役は黒で身を包んで完璧なおしゃれ。お嫁さんになる前の日のように、背中を剃ったというツイッターを読んだから、そっとその背中をさわらせてもらった。そして次の日には、舌の付け根の筋肉痛を覚えるとツイッターに書いていたから、参加者すべてにご挨拶をしていたらしい。受賞は副賞とともに喜ばしいけれど、らくでないことはよくわかる。

あ、ここでも会ったね、というすでに知っている人たち、名前は知っていて、はじめて会う人たち、そしてほんとうにはじめて会う人たち。気が合う、合いそうな人とはすべからく飲む約束を取り交わした夜だった、もちろん主役も含めて。夏がほんとうに終わったら、実行する。

そして今月から連載を始めた「屋上」で、またも内澤旬子という名前に出合った。彼女とわたしと、そしてその他のさらに高名な男たちとの個別の連載がスタートしているのです。どうぞ楽しんでください。

# by suigyu21 | 2011-09-13 21:09 | Trackback | Comments(1)

サワーなら翠色

サワーという飲み物に開眼したことしの夏だ。
夏のはじめと、ついこの間と、はじめての店で出合った甘くないサワー。名前にひかれて頼んでみたら、大当たり!

夏のはじめのサワーは、きゅうりワサビ。焼酎のソーダ割りといっしょに小皿にきゅうりの細切りとわさびが小さじいっぱいほど盛られてついてくる。わさびは粉を溶いたもの。それを焼酎のジョッキにすべて投げ込み、マドラーで攪拌する。しだいにぜんたいが淡い翠色がかって白く濁ったら準備完了。口に含むとほんのりわさびの香り。辛くはない。きゅうりの青臭さがほどよい複雑な味となり、さっぱりとおいしい。ときどきそのきゅうりを箸でつまんで食べてみると、焼酎を含んだ味に変化していて、これもよい。夏の味だな。外がまだ明るい夕方が似合う。自分でも作れそうな気がする。町田にて。

ついこの間のサワーは、ずばり、ゴーヤ。青汁のようにしか見えない、ほんとの翠色が満たされたグラスが美しい。ほんのり苦くて、なんともいえず後を引く。飲むとさっぱりして、アルコール分はどこにあるのかわからない。しかし、そのアルコール分がゴーヤのほんとうのおいしさをきわだてていることはわかる。毎日一杯飲みにいけたら。。。沖縄でゴーヤジュースというのをはじめて飲んで、その苦さと清々しさに感動したことを思い出したなあ。神保町にて。

おまけ。そしてゆうべはドアを開けると薪の香りのするピッツアの店で、パリッとおいしいローマスタイルのピッツアを食べたあと、さらにリモンチェッロとグラッパを飲んだ。ほろ酔いで帰るころには満月に近い輝く月が中天ちかくにのぼっていて、見守られていた。代々木にて。

ありがとう、いのち!
# by suigyu21 | 2011-08-14 00:01 | Trackback | Comments(2)

ああ無情。。。

いつも乗っているバスの窓から見続けていた古い木造の家。バス通りと交わる少し細い道の、角から三軒目にあって、三階建てのビルに両側を挟まれている。通りに面した前面はすべて引き戸になっているから昔は商店だったのだろう、お米屋さんならぴったりの風情だ。ずいぶん前に閉店したらしく、閉じられている引き戸の前にはプランターの花が並び、いつも季節の花がきれいに咲いていた。見るたびに写真に撮ろうと思って、しかしなんだか機を逸していたら、夏のはじめに取り壊されてしまった。バスの窓から小さな更地となっているのを発見して、ああ無情。取り返しがつかないとはこういうことだ。

まち遺産ネット仙台を運営している友人から「荒巻配水所旧管理事務所が解体の危機!」という連絡が入って、また取り返しのつかない、ああ無情な気持ちに襲われる。しかもあの震災の影響だ。小学生になる前の幼いころに荒町配水所の近くに住んでいた。市電で終点の八幡町までいき、そこから坂を上がって行くと、右側にそこだけ平らな配水所が見えてくる。舗装されていないきつい坂なので、いつも静かに広々としているそのあたりでちょっと中休み。左側に茂る樹木の間からは下を蛇行して流れる広瀬川が見えた。そして一息ついてからもう少し坂を登っていくと、道の左側の家に着くのだった。うろ覚えながら風景は思い浮かぶ。そのころは家から先に続く坂を登ったことはなかった。子供にとっては鬱蒼とした山がある感じがしていたけれど、おとなになって訪ねてみると、すぐに坂は下りになって、下のほうには開発された住宅地が広がっていた。

幼いころの記憶はともかく、取り壊されようとしている建物はこんなにかわいい。そしてこういうものが建てられることはこの先ないだろうから、取り壊すのはちょっと待ってください、と言いたい。まち遺産ネット仙台のブログには保存要望書が載っていて、署名もできるようになっている。
# by suigyu21 | 2011-07-23 13:03 | Trackback | Comments(0)

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